現実の先、虚ろな夢
はじめは良かった。そう思いたくなる。それがたとえ見せかけでも、そう信じたくなる。
何か、何かきっかけがあれば。何か策があれば。であればまた、勝利を臨むことができるから。
奇襲成功、宣戦布告の知らせを、私は内地で受け取った。当時の私は、教官として、鹿児島の航空基地で従軍していた。招集された当初から、開戦の空気感は感じていた。が実際、それも華々しい幕開け、私も、私の周囲も、熱に浮かされた。
私は何人もの若い、学生上がりの子らに、実戦の技術を叩き込み、そして送り出した。皆胸を張って、飛んでいった。
日に日に入ってくる情報に、心を躍らせた。いつからか騒がれた、日本の不敗神話、神州不滅を、本気で信じていた。
それが今は。我々の空を、彼らが飛ぶ。東京のほうも、かなりひどかったと聞く。
こちらはだいぶ、追い詰められていた。
そして今日これから、私も飛ぶ。志願した子らを護衛し、送り届け、そして見届けるのだ。この作戦噂では、だいぶ成果が出たらしい。何もできずに死ぬよりか、よっぽど良いだろう。せめてもの、祖国への恩返しだ。それを私は、見届ける義務がある。
操縦桿を握るのは、そう久しいことではない。つい先日も、偵察に出た。とは言え、いくら経験があろうと、気が引き締まる。コックピットの閉塞感で、ものが焼けるにおい、被弾する衝撃、刻まれた記憶を、体が思い出す。
離陸する順番が回ってきた。目の前の作戦を一つ一つ成功させれば。そんな思いで、私は機体を発進させた。
(~~なんか、音おかしくないですか)
(ん?本当だ。ちょっと、いったん止めたほうが)
.
(爆発した?機体から、火出てるぞ)
(機体が、火ぃ吹いてるから、急いで救出、ほら急げ)
「ただいま。今帰ったよ」
返事はない。
「おーい。誰もいないのか」
返事はない。
おかしいな、と思いながら、ひとまず靴を脱ぎ、家に上がる。
「おーい。っているじゃないか」
寝室から出てきた妻と、鉢合った。
「ごめんなさい。ちょっと寝てて。
ご飯かお風呂、急いで支度したほうがいい?」
「いや、もう寝ようかな」
「そう。体だけでもお拭きしましょうか」
「ううん。大丈夫」
私は足早に寝室へと向かった。そこには、妻と子供、二人分の布団が敷かれていた。
私は息子の顔の横に座って、その顔を眺めた。穏やかな表情をしている。
「よっこらせ」
姿勢を崩し、肘枕して横になる。
どうしてか疲れていた。眠りに落ちるのに、そう時間はかからなかった。
なぜか目が覚めた。
(どうしたのかしら。この子は寝てるし。
まあ、起こさないよう便所に行ってこようかしら)
布団の中でもぞもぞしていると、玄関のほうから声がした。
「おーい。誰もいないのか」
夫の声だ。こんな時間に。
上がってくる様なので、私も急いで寝室を出る。
「おーい。っているじゃないか」
だいぶ汚れてはいるが、目の前にいるのは、確かに夫だ。
「ごめんなさい。ちょっと寝てて。
ご飯かお風呂、急いで支度したほうがいい?」
「いや、もう寝ようかな」
「そう。体だけでもお拭きしましょうか」
臭いはそこまでしないが、隊服には血とすすがこびり付いている。脱いで、着替えたほうが楽な気がする。
「ううん。大丈夫」
そう言って夫は、息子が寝ている寝室に入っていった。
息子が起きるのでは、と心配になった。が、夫が横にいても、変わらずぐっすりだ。
(明日、豪勢に労ってあげないと)
そんなことを思いながら、私も再び布団に入った。
目が覚めた。エンジンの音が聞こえる。状況を見るに、どうやら私は...バスの車内にいるようだ。
バスの車内にいるといっても、どうもおかしい。窓の外では、とてつもなく長い行列ができている。前も、後ろも、右も左も。どこを見ても、バス、バス、バス。あたり一面埋め尽くされたバスは、みな同じほうを向いて、ゆっくり進んでいる。
車内は珍しく、人がちらほら。私の隣にも、男性が一人。うつむいたまま、動かない。
(どういうことだろう。家に帰ったはずだが。また、前線に戻っているところなのだろうか)
混乱していると、急にバスが止まった。前のバスは進んでいるから、渋滞につかまったというわけではないようだ。窓の外に目をやると、数人、道路の白線の上に立っている。周りをバスが走っているというのに、動じている様子はない。
ドアが開き、彼らが入ってくる。彼らはそのまま、私の前に座った。
状況が変わらないまま、時間だけが過ぎた。いくら外を見ても、バスしか見えない。どこへ向かっているのか。それすらわからない。
バスに乗ってから、どれ程経っただろう。けれど、不思議と腹は減らない。ということは、そこまで時間は経っていないのかもしれない。
雨が降ってきた。しかしこれまた、不思議な雨だ。なんと、雨粒が黒いのだ。黒い雨が、あたり一面降り始めた。
バスが止まった。窓の外には、子供を抱いた女性がいる。顔までは、よく見えない。ドアが開くと、その女性は子供を抱えたまま、乗り込んできた。しかしその後、その子供を床に降ろし、女性はバスを降りた。ドアは閉まり、再びゆっくりと走り出した。
子供はというと、その場でキョロキョロと、置かれた状況を理解しようとしているようだ。背丈は3歳頃だろうか。雨に打たれて濡れたままだというのに、周りの大人はうつむいたまま、誰も動こうとしない。私にはその子がかわいそうに思え、声をかけてやりたくなった。
隣の男に、「失礼」、とだけ声をかけ、席を立つ。近寄ると、その子は私にだっこをせがんできた。
「しょうがないなあ。いいぞ、ほら」
腕を広げると、彼は飛び込んできた。
「おうよしよし」
持ち上げて、彼の顔を覗き込む。驚いたことに、夢の中で見た、息子の顔にそっくりだ。
そんな、腕の中の子供に、異変が起きた、黒い水滴がついている場所から、徐々に皮膚がただれ始めたのだ。頬、腕、が特にひどく、髪の毛も抜けている。子供は苦悶の表情を浮かべ、
「お母さん、お母さん」
と叫びながら、やがて静かになった。
私は怖くなって、素早くそれを床に置いた。
「止めてくれ!この子がおかしいんだ」
私は思わず叫んでいた。すると、これまでずっと黙っていた運転手が、口を開いた。
「止めることはできません。私らも急いでるんです。なんせこれだけいるんですから」
彼は続けた。
「それにしても怖いですよね、戦争って。誰しもが、何も守ることはできない。大きすぎる力の前で、待っているのは痛みと死」
死。えぐられる痛み。焼ける傷口。息苦しさ。その時すべてが思い出され、すべてが私を襲った。私はその場で、うつむくしかなかった。
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