兵士、発つとき

振り返れば、赤紙が届いてから今まで、時間が経つのは本当に早いと思う。妊娠の話を聞いたのが、つい昨日のようにさえ感じる。それほど、衝撃も大きかったからだろうか。

今私は、田んぼを横目に、ぬかるんだ道を歩いている。昨晩はだいぶ降ったようだが、今日晴れてくれれば、それでいい。お天道様すら、私の出発を祝福してくれているような、そんな気さえする。

目当てのバス停までは、おおよそ30分かかる。ただ、バスの予定時刻には余裕がある。それほど焦る必要もない。当分お目にかかれない、故郷の景色を、ゆっくり目に焼き付けることにした。しかしじっくり見れば見るほど、どうにも代り映えのしない景色が目に入る。まだ苗の埋まっていないいた田んぼ、奥に見える山々、作業中の人々...この静けさだけは、どうにも好きになれない。


もう少し歩くと、バス停が見えてきた。時計を取り出し目をやると、出発から10分経ったほどたっている。いつもより気持ち早いくらいだ。


バス停は、閑古鳥が鳴くようなもの寂しさで、独りベンチに座ってバスを待った。


しばらく待っていたが、ふとバス停に違和感を覚えた。近づいてみてみると。こんな張り紙が張ってあった。


『安佐町ー広島駅間 

3月14日より当面の間運行休止』


達筆で、日焼けした紙にそう書かれている。今日は11日なのであまり関係はないが、こんな張り紙、2週間前にはなかった気がする。


少し困惑している内に、バスが到着した。珍しいことに、5分程度しか遅れていない。

「このバス、広島駅まで行きますよね?」

念のため、聞いてみた。

「ええ、行きますよ。さ、どうぞ」

運転手はそういって、乗車を促した。

(なんだ、いつも通りじゃないか)

不穏な張り紙に心を乱されたが、無事目的のバスに乗車できた。


バスの車内に、乗客は誰一人おらず、随分がらんとしている。とは言え、そう珍しものでもない。

「お客さん、招集かかった?これはこれは、おめでとうございます」

隊服を着ているからだろう、そう話しかけてきた。陽気な運転手の、退屈しのぎに付き合うのも、いつものことだ。

「あぁ、ありがとうございます。ひとまず駅に向かいたかったんですが、ほら、あの張り紙。あれ見て、ちょっとびっくりしちゃって」

「ん、あれねぇ。僕ら雇われも、ちょっと困っとるんだよね。何せ急だったから。会社がいうには、ガソリンが厳しいから、運行数の少ないところから随時休止だってさ。怖いよねぇ。なんか、戦争にじわじわ蝕まれてるみたいでさ」

「いやいや、そんなに悲観することは無いですよ。以前も一時的なものだったじゃないですか。今回も、あと半年もすれば、まあ、元通りでしょう」

「そう言う人多いけどさ、今回は相手が違うでしょ。いくら何でも、無謀なんじゃって、こちとら夜な夜なちびってんのよ」

「確かに、そう思う気持ちもわかりますけど。それでも、こちらには勢いがある。自分の手で、祖国を守ってきた経験がある。そう不安になることは無いですよ」

「頼りになるわ。それじゃあ俺みたいな爺さんは、隠居してゆっくりしてりゃいいわけだ。流石日本男児だねぇ」

そう言って、彼はケラケラ笑った。


それから先、話題は子供の話、相撲の話、とりとめのない話へと移っていった。途中で誰も乗ってこなかったこともあり、結局最後まで話し続けた。


バスは駅に到着した。時計を見ると、時間は予定通りといった具合だ。荷物を背負いなおし、運転手にどうも、と礼を伝える。

「それじゃ、頼りにしてますけぇね。息子の分も、よろしく」

軽い会釈で返す。その時見えた、くしゃっとした笑い顔が、私を勇気づけた。



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