第十八話「進むべき方向を見る努力の最初の一歩」
学生時代なんて、ついこの間までそうだったっていうのに、こうして話してみると随分と昔のことのように感じる。俺は社会人とはとても言い切ることはできない立場にいるのだが、それでも光陰矢の如しを実感しているのは、自分も社会の一部となっているからなのだろうか?
少なくとも、学生時代とは明らかに時間の流れが違う。そんなことさえもやっぱり気のせい、なんだろうか? 周りが作る、あるいは作られる空気(雰囲気)が、時間の流れを変えるとでも?
気がつくと、彼女のが俺の顔を眺めていた。さっきの話と合わせて、俺の表情から俺の人生を探っているような。俺はなんだか恥ずかしくなって、さっきの話の続きをすることにした。
「社会人になって良かったことってのを俺は鈴木さんに聞きたいんです。その……人生の先輩として。俺は……その、なんていうか、中途半端なんで。でも、どこまで言っても自分とは、付き合っていかなければならないと思うんですよ。
どんな時だって、絶対に自分自身から逃れることはできないですよね。今の環境や、今の立場、現状を見ないことは簡単ですけど……認めたいんですよ。これだって俺なんだって」
彼女は一度窓の外を見る。その行為は一度、自分の気持ちを確かめるかのような動作に映った。
「そうですね。そうですね……。私の社会人生活ってアオキ板金しかないんですけど、少なくとも、学生時代よりはずっと良いですね。学校は……私はあんまり学校の雰囲気や空気が好きではなかったんですけど、学校の方でも多分、私のことが好きじゃなかったんじゃないかと思います。
今は、自分で考えて自分の仕事ができるわけですよね。通勤で、車も運転できますし。なんて言うか……認められている気がするんです。学生時代はそうじゃなかった。学業のことはどうでもいいんですよ。私は好きな教科しかろくに勉強しませんでしたし、興味深いこともありました。
でも、学校生活というか、生活態度も評価基準なんですよね、学校って。もちろん、社会だってそういう点がないわけじゃないんですけれど、もっとシビアというか。他人の視線もありますし。
私は……黒田さんみたいに、自分で自分を認められるほどの強さは持っていませんけれど、そのカケラくらいは多分、掴めるんじゃないかって気がするんですよ。こういうことを続けていくと」
何かを言わなければならないのかもしれないんだけれど、彼女と俺の圧倒的な差を感じてしまって、何も言葉が出てこなかった。俺は正直なところ、本当に何も考えてこなかった。そういう甘えられる環境だった、と言ってしまえばそれまでなのだが、
自覚していなかった自分の空っぽさに衝撃を受けてしまった。自分の持っている穴の深さ、それを覗き込んだことによって底を知れたのは、もしかしたら良い点だったのかもしれないが。
「黒田さん自身の恋愛話はないんですか?」
俺の衝撃を知ってか知らずか、彼女はあくまで、いつも通りで俺に問いかけてくる。というか、初めて会った時から彼女はいつも俺に対して一定のトーンで接してくれている。
それは店長とか、佐々木さんとかに対しても同じような気がする。でももしかしたら、青木さんだけには少し、違うのかもしれないと今までの話を聞いて思った。
「俺のは……ないわけじゃないですけど、なんていうか普通の話ですし、それにもう随分前のことになってしまっているので、あんまりよく覚えていないんですよね。もし……仮に、なんですけど、今の状況で俺に恋人ができたら、多分、就職活動をすると思います。
いろいろなことが現実的になると思いますので。正直、恋人がいる、いないってのも関係なく、今のままでいいとは思っていないんですよ。働きたくないわけでもないんですよね。
でも……まあ、少しくらいならいいか、って現場に言い訳しているような感じです。だから、さっきは自分を認める、とかなんとか、偉そうなこと言いましたけど、正直言ってどうしようもない人間なんですよ。
今目の前に現実があって……あるんですよ。とてつもなく大きくて硬い壁のような現実が。そして、それさえも直視できないんです。だから俺は、」
「ストップ」
鈴木さんが人差し指を立てて、俺の唇に触れる。ほら、漫画とかドラマとか、映画とかでよくあるじゃない。本当にあんな感じで。
「こんなこと聞いといてなんですけど、私も別に、そういうのはないんですよ」
今までの話はなかったことのように、鈴木さんは明るく、そう言ったんだけど、自分たちを少し、離れてみてみると、彼女がそうしたわけがわかる気がする。俺は少し、個人的な話をし過ぎたんだ。彼女は、秋生くんと同じではない。俺たちの関係はそこまで深くはないんだ。距離を間違えてはいけない。
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