第十六話「時々、過去がツケ払いみたいに顔を出す」

 店員が、このテーブルの会話を聞くことができないだろう、という距離まで行ったのを確認してから口を開く。


「あんまり、学校に良い思い出がないってことですか?」


 我ながら惚けたことを聞いてしまったものだ。もう少しあるだろう、言い方、聞き方。でも、それしか思いつかなかった。


「そうですね、少なくとも、中学校にはないですね。まあ、高校もそうかな。そういう傾向って、小学校高学年くらいからあった気がしてて。でも小学校はなんとか卒業まで毎日行ったんです。中学校に入って、二ヶ月くらいで、なんだか学校に馴染めなくなっているようで行かなくなりました」


 俺はどう対応をしたものか迷っているのが、態度に出ているらしく、料理には手をつけていなかったのだが、気がついたらドリンクが空になってしまった。前を見ると鈴木さんのも空になっていた。


「……飲み物、取ってきましょうか」


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 言った手前、自分の分だけは入れにいく。ドリンクバーまで歩く時間、とにかく、普段通りにしていればいいのだ、と思った。


「それからどうしていたんですか? 中学生の間は」


 コーラ片手に、席に戻って、なんでもないんだ、という風に聞いてみた。


「ずっと家にいて、時々昼間に自転車に乗って走り回っていましたね。まさか車やバイクに乗って走り回るわけにはいかないので。別に家にいるのは苦じゃないんです。ただ、どうしても、この時間に他の……他のって、他の同年代は、って意味なんですけれど、他の人は学校に行っているわけじゃないですか。


 私が着もせずに、クローゼットにかけているだけの制服を着て? 本当に時々だけれど、そういうのに我慢ならなくなる時が来るんです。そうなるともう外に出るしかなかったんです。とは言っても近所だけ、なんですけど。一度だけ、少し遠くまで出たことがあります。青木さんとは、その時に知り合ったんです」


「青木さんって、秋生くんとですか?」


「……いえ、社長の方です」


 いつたっだか、俺がアオキ板金で鈴木さんを待っていた時に、出てきた青木さんのことを思い出していた。確かに、あれは俺がまともな男かどうかを確認しにきたんだろう。


 ところで、鈴木さんってのはいったい幾つなんだろうか? 俺は本当に見た目から年齢を探るのが下手だ。ガソリンスタンドの佐々木さんでさえ、最初は三十くらいかと思ったものだ(もちろん、いくら世間知らずの俺だとしても、本人にそんなこと直接言わないくらいの礼儀くらいは持っているのだが)。


「何か、面白いエピソードを教えてくれませんか?」


「エピソード。それは、学生時代のってこと?」


「そうです。中学校はほとんど行かなかったんですが、そんな生徒でも高校は受験させてくれました。中学校からしたら、さっさと卒業してくれってことだったんでしょうね。


 今の年齢になった今なら、それも分かります。先生も一つの基準では生きていけませんものね。時々、家で教科書を読んで勉強をしていましたので、受験勉強も苦ではなかったんです。入る前から、高校に入れば劇的に何かが変わる、なんてことはあり得ないと思っていたので、できるだけ出席日数の緩い学校を選んだんです。家から遠くても、とにかくそこを重視しました。


 それでも、なんとか卒業はしましたけれど、本当にギリギリまでしか通いませんでした。だから、学校にまつわる良いエピソードってないんです。友達もいませんでしたからね。知り合いレベルで言えば何人かできましたけれど。


 中学校時代から考えるとそれも驚くべきことなんですけれどね。卒業してからは、青木さんのご好意でアオキ板金で働いています。だから、私が関わる人たちって、基本的にアオキ板金の人たちだけなんです。


 秋生さんはあんな感じだし、彼のエピソードってあまり一般的ではないんですよね。高校にもバイクで通っていたって言っていました。確か、〇〇県の学校でバイク通学ができる高校ってないはずなんです。でも彼は学校の近くまでバイクで行って、どこかにバイクを隠して、でもヘルメットは学校に持って行っていたっていうんですよ。ヘルメットなんて持って行ったらすぐにわかるじゃないですか。そういう感じで、彼、抜けているというかちょっと変わっているんですよね」


「この間、秋生さんとは食事してちょっと深い話をしましたけれど、そんな感じは受けませんでしたよ」


「あの人は最初はそうなんです。だから黒田さんも近いうちに彼自身を見ることになると思いますよ」


 そこで会話が一旦、途切れた。なので俺は自分の中に持っているであろう、何か過去の出来事を探すことにした。しかし、最近は少しは良い方向に変わりつつあるとは言え、現状を見ればわかるが俺はこんなんだ。だから、急に何か面白いエピソードを、と言われても出てくるはずがない。


「……これは確か高校に入ったばかりのことなんですけれど」

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