第十四話「仕事が終わった後に時々、頭が冴えることもある」

 人は見た目じゃない、なんてことは分かっていたつもりだったのだが、やっぱり視覚から得られることというのは俺が考えていることよりもはるかに多いみたいだ。車の運転だって、視覚の情報が大事だから、どうしてもそれが大事だと思ってしまう。


「人生に後悔とか、あるんですか?」


 どうして、そんな言葉が出てきたのかはわからない。なんとなく、佐々木先輩から今までと違う雰囲気を感じたのは事実だが、それだけではないと思う。


「後悔しない人生なんてあるもんか。そうだろう?」


「まあ、そうですね」


「煙草を吸いだしたことに後悔している。学生時代にもっと青春してこなったことに後悔している。もっと早く、車を好きになっていたかった。……それぐらいか」


「三つですか。少ないですね」


 僕は笑いながらそう答えた。そこに悲壮感を持ったら終わりだと思ってしまった。どういう理由で、何が終わるのかはわからないけれども。


「そうかな? まあでもさぁ、こうやって高卒で働いているわけだけど、俺は車が好きだから車に触れられる仕事で良かったと思っているし、車が好きで良かったと思っているし、彼女とかできる見込みはないけれど、それでも趣味全力でいいか、とも思えるわけだよ。


 だから、確かに後悔はしているんだけど、それなりに俺は幸せなのかもしれないよな。あんなに……あんなに程度の良いワンエイティを見つけられたのも運が良かったと思うし、こうやって車のことに詳しくなればここじゃない他のところでも働けるかもしれないだろう?」


 彼はそう言って煙草に火をつけた。煙草と缶コーヒーと車。まさしく走り屋漫画的世界じゃないか。この後にファミレスにでも誘うべきなのかもしれない。でも、この間行ったか。佐々木さんとじゃないけれどさ。


「あ、いいかな。吸っても」


「どうぞ。俺はそういうの全く気にしませんので」


「あれ、黒田君は煙草吸わないんだっけ」


 彼は水色のパッケージから煙草を取り出した。ハイライトだ。そういえば、アオキ板金の誰かも吸っていたような気がするな。ハイライト、もっと日の当たる場所。俺たちは多分、日の当たりにくい場所にいる気がする。


「そうですね。俺はどうも吸う気にはなりませんね。……でも、そうやって気持ちを煙に変えられたら、少し楽になりそうですね」


「排気ガスみたいに?」


 俺たちは笑う。


「そうですね……どっちも、環境にも体にも悪い気がしますが」


「確かに。……俺もさぁ、何度も何度もやめようと思ったんだよ。でもさ、こうやって仕事が終わって一本吸うってのがどうしても辞められないんだよな。多分、病気にでもなれば辞められるかもしれないが」


「じゃあ、車と煙草だったらどっちを取るんですか?」


「なんだ、小学生みたいなこと言うね。……そうだな。車だな。そりゃそうだよね。はっきり言ってさ、こうやって車に乗るために毎日生きているみたいなものだよ。冗談抜きで」


「羨ましいですよ。俺はそこまで人生に固執する理由ってないです」

 彼は煙を上に向けて吐く。そうやって薄くなって消えていく、煙草の煙になりたいと思ったのは生まれて初めてだ。少し疲れているのかもしれない。まあ、ここ最近はいろいろとあったからな。


「まぁ俺もさ。別にカッコつけているわけじゃないんだけどさ……ほら、どんなものにも理由が必要だと思うんだよ。働いている理由、生きている理由、ここにいる理由。そういったものを少しでも集めていって、自分が生きていることは無駄じゃないんだ、って考えていかないと、全てが暇つぶしみたいに感じるんだよね。


 極端な話、俺がいまここにいないといけない理由なんて、全部自分で作れるわけじゃん。だとすると、その逆だってあり得るわけでさ」


 彼は、何度も煙を吐きながら自分の考えを俺にぶつけてくる。俺の頭がもう少しよかったら、彼とちゃんと会話ができたんだろうか? 違うな。俺が会話する気になっていれば、ちゃんと会話できたんだろう。


「……おっと、俺はもう帰るよ。明日も出だからね、じゃあ黒田くんお疲れ様」


「お疲れ様でした」


 俺も店を出て自分のプレオに乗る。暗くなったガソリンスタンド、事務所だけまだ電気がついている。店長がまだ仕事をしているんだろう。店長は、幸せなんだろうか。そんなことがふと、頭に浮かんだ。今からそこに行って、そのことを聞いてみようかと思ったのだけれど(ドアに手をかけたくらいだ)、思い直してやめた。


 なんだか、そんなことを大人に聞く自分が酷くふざけた人間だと思えてしまった。


 家に帰る気にはならなくて、誰かに電話をかける気になった。スマートフォンを取り出してタップする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る