第十三話 考えるべきことを考えるときは自宅じゃないこともある

 秋生君と話をしてから少し経った。


 季節はもう五月の半ばになっており、異様に忙しかった連休中の仕事も過去になりつつある。不思議なもので、皆、連休直前にオイル交換だタイヤの空気圧だ、タイヤ交換だと言ってくる。


 俺も店長も佐々木さんも『あと一週間早かったら間に合ったんですがね』というセリフを、少なく見積もっても一万回くらい言っただろう。よく俺も、彼らもうんざりしなかったもんだ。


 俺もここで働き始めて一ヶ月半、ようやくこの店の空気にも慣れてきたように思う。そういえば学生時代もコンビニや書店、居酒屋、通販の倉庫なんかでバイトをしたもんだが、不思議なことに場所によって匂いが違った。もちろん空気も違うんだが、それよりも俺は匂いが気になった。


 そしてその匂いが合わないところは、いくら頑張っても短期でその場所を離れることになった。今、ここで働き続けられているのは、ここの匂いが合っているってことなんだろう。


 しかし、そう考えていくと、例えばこれから先の未来、俺の気が良い方面に変わって、どこかの会社に就職することになった時、その根拠のない匂いが合う会社なんて見つけられるものなのだろうか? 会社何てそれこそ星の数ほどある。いや、何も会社に限ったことじゃないぞ。


 もし、もし俺がこれから先の未来に、誰かを好きになったとする。なにがしかの理由を持って。その流れで、もしその人と結婚をすることになったとして、その後に匂いが違うと気がついたらどうしたものだろうか。


 今のように、アルバイトなら話は簡単だ。すぐに辞めることができる。すぐ、ってことはないが、まあ二、三日で。ところがそう言った他人と関わり、責任を持ったらどうなのだろう? 二、三日なんてことは難しいだろう。いや、そんなことは簡単に決められるようなことじゃないぞ。


 ……一体なんなんだ。年を重ねるたびに荷物が重くなる。そんなこと、どこの学校でも絶対に教えてくれなかった。


 ……単純に、そういう所謂人生に付随する責任、なんてものは誰も教えてくれないものなのかもしれない。だから、自分で見つけていくしかないものなんだ。それこそが俺が初めて、自分で掴んだものになるはずなんだ。


 ガチャ、と従業員専用の扉が開き、佐々木先輩が入ってくる。


「おお、お疲れ様、黒田君。まだ帰ってなかったんだ」


 俺は何も現場でこんなことを考え続けていたわけじゃなく、こうやって一人、事務所の奥にある従業員用のロッカーで考えていたわけだ。何時間も。


 そして、そうこうしているうちに佐々木先輩が仕事を終えて入ってきた。彼はあんまり残業というものが好きではないので、仕事が終わればすぐに帰る。もちろん愛車のワンエイティSXで。


「お疲れ様です。ちょっと、人生について考えていたもので」


 俺は冗談めかしてそう言った。こんなこと、素面で言うような空気の店じゃないんだ。飲み屋のカウンターならともかく。そもそも、俺たちは車で来ているわけだから、飲み屋に行く機会、なんてものはほとんどないのだが。


「人生か、そりゃあ大変だ。人生について考えることは沢山あるよね」


 まさか佐々木さんがこんな話に乗ってくるとは思いもしなかったので、俺はすこし驚いてしまった。しかし、彼だって俺と同じように生きているわけで、生きていると言うことは、脳を使って何かを考え続けなければならない、というわけだ。


 そう考えると、何も不思議はない。むしろ当たり前のことなんだ。俺はちょっと、他人に対しての考え方を変える必要があるのかもしれない。

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