第八話 少し離れて自分を見ると、情けない自分も見つかる

 そんなこんなで約束の日になった。今まで、あまり興味がなかったが、こういう事態になってからは、「とにかく走り屋漫画を読め!」と、そういう漫画を佐々木さんが貸してくれることが多くなり、その手の漫画を何度も読み返したおかげで、今回のように昼間に走りに行くような人間はあまりいない、ということがわかった。それにしても、漫画の世界だけだとは思うがこんなに皆、走りたがっているものなのだろうか?


「今回はさ、昼間行くわけだろ」


 佐々木さんがレギュラーガソリンのノズルを拭きながら言う。


「鈴木さんが指定してきたのは昼からでした」


 俺は給油マシンのレシートを交換しながら言う。レシートの紙は残りが少なくなると両サイドにピンクの色が付く。交換の合図、ってわけだ。こうやって、ちょっと見てすぐにわかるものであればわかりやすいのだが、たとえば車のオイルとかブレーキパッドとか、ある程度意思をもって確かめなければならないものというのは交換のハードルが高い。


 みればわかるタイヤだってそうだ。明らかに使用度限度を超えているであろうタイヤをつけた車がガソリンを入れにくる。店長や佐々木さんが『交換した方がいい』と勧めても基本、断られる。なんだかな、とは思うが……。


「じゃあ、どっちかと言うとツーリング、なのかな」


 ツーリングなんて聞くとバイクを連想してしまう。そう言えば同じ大学の連中もバイクで走りに行っているのを何人か見たな。


「そんな大層なものじゃなくて、ただ、走るだけ、じゃないですかね」


「ただ、走るか……。ま、そうかもな」


「俺の車も鈴木さんのと違ってそういう系でもないので」


「それはそうかもしれないけれど、要は気の持ちようっていうか」


「気、ですか?」


「そう。もう随分前のことになるけどさ、高校の時に大きめの原付に乗っていたんだ」


 それが何を意味するのかよくわからなかったけれど、多分、一般的にイメージする原付=スクーターではない、ということだろう。


「はあ」


「そんでそのバイクが壊れちゃって、バイク屋に持っていたんだけど、その時代車としてスクーター貸してくれたんだ。ほら、あんなかんじのさ」


 目の前の道路をおばちゃんが乗ったスクーターが通り過ぎていく。原付と聞いて誰もが想像するようなものがこれだろう。中にはカブみたいなものを想像する人もいると思うが、どちらもイメージされるバイク、ではない気がする。


「最初は思ったわけよ、なんだよ、スクーターかよ、せめてカブにしてくれよ、ってさ。ところがそれでも乗ってみると案外楽しいわけ。忙しいギアチェンジも必要ないしさ。何が言いたいかって言うと、結局はどんなものだって、ちょっと見方を変えれば楽しくなるんだって、ことなんだよね。だから、今回のことだって、黒田君にとって何か新しい発見があるんじゃないのかな、ってことさ」


「……そうですね、自分も、そんな感じがしてます」


「だろ?」


「なんて言うか、自分って今まで深く、何かを考えるってことをしてこなかったんですよ。高校もそうだし、大学もそうです。というか、それよりも前から多分そうだった。だから今……こうやって、フリーターになっちゃっているわけですけど、それでも、そんな僕でも少し、ほんの少しだけでも何か変われそうな気がしているんですよ。変なこと言っていますけど」


 佐々木さんは笑う。別に、いやな感じの笑いでもなんでもない。というか、今までで一番親しみを込めた笑みだったような気がする。


「いーや、全然変じゃないぜ。ただ、黒田くんは本当はもう少し前にそうなれるべきだったのかもしれないね」


「……」


 ハッとしたと同時に、自分がなんだか恥ずかしくもなった。少しでも成長した気になった自分が。だから、何も言えなくなってしまった。



 そこからは結構忙しく、結局佐々木さんとは俺が上がる時の挨拶くらいしかできなかった。スマートフォンをナビがわりにして、アオキ板金を目指す。この間走ったばかりの道だから、案外覚えていた。


 少し離れたところに停めて、連絡を入れる。車の中で待っていると、窓ガラスがコンコン、とノックされた。顔を上げると、アオキ板金のアオキさんその人が立っていた。


「よう、たしかガソスタのにいちゃんだよな?」


「そうです、こんにちは。……覚えててくれたんですか?」


「ああ、俺は人の顔だけは覚えられるんだよ。教科書の内容は全然、ダメだったけどな」


 ガハハハ、と笑う。笑い声が少し続いた後、ポケットから潰れたハイライト・メンソールを取り出してライターで火をつけた。この煙草特有の、ラムの香りがあたりに漂う。


「この間持ってきた車はどうですか?」


「ん? ああ、もうすぐ直るよ。取りに来てくれ……。鈴木を待ってんだろ? 呼んでくるよ」


 断ろうと思う前にもう、彼は俺の前からいなくなっていた。少なくとも彼には自信が見てとれた。それは、この板金屋で働いている彼の倅の秋生君や、鈴木さんにも見えたものだった。間違いなく、俺にはないものだ。もしかしたら、それが何かを知りたかったから、俺は鈴木さんに声をかけたのかもしれない。


 目の前から純正マフラーではない音のする車が近づいてくる。鈴木さんのシビックだ。彼女は窓を開けて、「お待たせしました。じゃあ、いきましょうか」と言った。僕は頷いて、自分の車を彼女の後ろに動かした。

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