第三話 今は見なくなった車はどこにいったのだろう
店長が視線を俺の方に向ける。俺も店長の目を見るが、店長の目は『確かに、佐々木の言う通り。それもそうだな』と語っていた。どうやら、俺もそのアオキ板金という店に行かなければならないらしい。
まあ、ここでこうやって客を待つよりは、たまには外に出るというのも悪くないのかもしれないが。
「黒田くん、ちょっとこの車見てくれるかな」
店長がそう、俺に言う。
「はあ」
言われて、その深いグリーンの車を見る。日産のちょっと古い型のコンパクトカーだ。俺がガキの頃、よく走っていたような気がするが。前から後ろに見てみると、確かに後ろのホイールの前が凹んでいる。凹んでいると言うより、凹みとぶつけたような傷がたくさん。もしこれが人の肌だったら、擦りむいて血が出ているくらいの感じだろう。
「ここが凹んでて傷だらけですね」
「うん。多分、家の駐車場とかで早くにハンドルを切りすぎてこうなったんだと思う。免許を取ってさ、何度も運転すると慣れてくるんだけど、それでも時々こういうことをやっちゃうこともあるんだよね。俺も時々、ヒヤリとすることがあるんだよ」
そう言って、店長は佐々木さんの方を見る。彼はいつも、話してもらいたい人を見る。そうすると、その見られた人は話し出す。店長の目は、それだけでものを語るらしい。人の上に立つ人が全てそうだとは思えないが、店長は確かにそういう資格があるような気がした。
「そうそう、あるあるですよね。自分の車ならともかく、お客さんの車でそれやるわけにはいかないですから、お客さんの車の時は本当に慎重に運転しますけどね」
今はまだないが、もし俺がお客さんの車を運転することがあったなら、今の話を思い出した方が良さそうだ。たとえ、洗車するために少し動かすだけだとしても。今の話を聞いて、彼らはプロなんだと思った。それに比べて俺は……。まあ、いい。そういったことは家に帰ってからやろう。
店長はどこかから、その車の鍵を持ってきて、鍵を開け運転席に座る。俺は助手席のドアを開けてそこに滑り込む。後ろを振り向くと、狭い距離にリアシートがある。後ろの席があったのか。店長はそこに持っていた荷物を置いた。そしてエンジンを掛けて、窓を開ける。
「じゃあ、ちょっとアオキさんのとこに行ってくるよ。悪いけど、店お願いね」
「すみません、お願いします」
俺も助手席の窓を開けて店に残る佐々木さんに声をかけた。彼は俺と店長の挨拶を聞いて、帽子を脱ぎながら頭を下げる。窓を閉めて、車を走らせる。少し走ったところで俺は店長に声をかける。
「一人で大丈夫なんでしょうか? この時間で」
昼下がりのこの時間、結構忙しかったような気がするんだけど。
「佐々木? ああ、大丈夫だよ。黒田くんが入る前はこういうこと、結構あったからね。今は黒田くんがかなりシフトに入ってくれているからさ、そういう意味でも、黒田くんが入ってきてくれてかなり助かっているんだよ」
「はあ」
店長は『かなり』の部分でかなり力を入れて話をした。おそらく、そこは嘘偽りのない本音なのだろう。確かに、この店に常にいる人といえば、俺を除けば佐々木さんと店長だけだ。彼らは平日に交代で休みを取る。
不思議なもので、平日にも忙しさには差がある。そのうち、もっとも忙しくなさそうな日に佐々木さんが休みを取り、次に忙しくなさそうな日に店長が休みを取る、というわけだ。店長と佐々木さんで成り立っているような店だ。
俺が入ったのは本当に気まぐれでしかないのだが、そう言われて嬉しかったのは事実なのだ。宙ぶらりんだった俺の存在が、中途半端だけど認められたみたいで。とはいえ、俺はただここにいるだけのような気がするんだが。
「ところでこの車ってなんていう車なんですか?」
「ん? ああ……最近はあんまり見なくなったよなぁ」
店長は、俺がこの車は最近見ないから知らないんだ、と思っているみたいだが、俺はこの車の存在自体知らないんだからそれはちょっと違う。だけど、別にあえて訂正するようなことはしない。してもあまり意味がない。
「マーチのカブリオレって種類なんだよね。これ、屋根が開くんだよ」
「この車のですか? だから屋根の色が違ったんですね」
「そうそう、昔の日本車はさぁ、こういう遊び心のある車が多かったんだよね。多分、黒田くんも普通のバージョンのこの車なら見たことあるでしょう?」
「ガキの頃に、見たような気がしなくもない、って感じです」
「ちょっと古い車だからね。どこのメーカーも余裕が無くなっちゃったんだろうな。このクラスのオープンカーなんて作らなくなっちゃったからねぇ……」
そう言うと、店長は前を見てしばらくの間黙っていた。ラジオも何もない車内は、外から聞こえてくる音と沈黙で満ちた。
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