父と娘
カザシロの戦いから二ヶ月が過ぎた。平原に砦を築いていた
両陣営は国境を挟んで現在も睨み合いを続けている。戦闘にまで発展していないのは、
(推測だけじゃあ
外傷の無かったマサオミは比較的早く兵団に復帰できるはずだった。しかし体調が今一つ思わしくないと上に報告して休職していた。診断書は軍医の幼馴染が書いてくれた。
マサオミはこの間に身内の説得に動いていた。実家である
皆、まともに戦っても
「
きちんとした身なりの執事がマサオミを呼んだ。マサオミは再度
執事が開けた扉の向こうには、茶色い縁の眼鏡を掛けた小柄な男が待っていた。
「すまねぇなヒビキさん。忙しいのに時間を空けてもらって」
「いえ、どうぞそちらにお座り下さい」
マサオミは畳張りの部屋の座布団の上に腰掛けた。彼の対面に座る男は
「もうお身体の方は大丈夫なのですか?」
「ああ。兵団には明後日復帰する。その前にあんたに伝えたいことが有ってな」
「私にですか?」
「ああ。あんたとはまともに話したことが無かったな。俺の方が避けてたんだが……」
「……それは、私も同じですよ」
妻のかつての交際相手。それも結婚直前までいった相手。現夫であるヒビキにとって、マサオミは目の上のたんこぶも同然だった。
「俺とマホについて、別れた後もいろいろな噂が流れていたのは知っているか?」
「ええ……」
「それらは全て事実とは異なるぜ。俺達は司令と軍師として行動を共にしていたが、それだけだ。別れてから一度も男女の仲になったことはねぇ。先祖の名に誓って言える」
「解っています。妻は不貞を働くような女性じゃない」
ヒビキはマサオミの言葉を肯定したが、その表情は複雑そうだった。マホの心がまだマサオミに残っていると察していたのかもしれない。
カコンと、庭に設置されたししおどしが心地良いリズムを奏でていた。
「マホがな……、最期に思い出したのはあんたとお子さんのことだったよ」
「え……?」
俯きがちだったヒビキは顔を上げた。
「妻が、私達のことを……?」
「先に逝っちまうことを謝っていた。子供達の成長を見守りたかった、あんたに対してはいつも優しくしてくれたのに……と」
「!………………」
ヒビキは目頭を押さえた。彼はまだ妻を亡くして二ヶ月だ。整理し切れない感情がこみ上げて来たのだろう。
「俺はそれだけ伝えたかったんだ。今日はもう失礼するよ、時間ありがとうな」
「
立ち上がり退室しようとしたマサオミをヒビキが呼び止めた。
「今日は……ありがとうございました。今度は時間に余裕を持って訪問して下さい。酒を酌み交わしながら、妻の思い出話でもしましょう……」
赤い目をしたヒビキにマサオミは笑顔を向けた。
「ああ、またな」
☆☆☆
馬車で
「おかえりなさいませ、オジちゃん」
腰を曲げて深くお辞儀をした幼女をマサオミは褒めた。
「ただいま。立派な挨拶ができるようになったな、ラン」
頭を撫でられたランは嬉しそうに答えた。
「しゅくじょきょういくむずかしい。じをべんきょうするのは、すき」
「文字を覚えればいろんな本を読めるぞ、頑張れ」
ランはマサオミに引き取られていた。経済的に余裕が有り、家の権威でランの親を牽制できるという理由からだ。
人を送って調べさせたところ、ランの母親も別れた父親も若い頃から素行の悪い人間だった。とりあえずアルコール依存症だった母親は病院にぶち込んだが、酒を断っても性格の更生までは難しいと判断した。セイヤがランを引き取っていたら、彼の元まで金銭をたかりに行きかねない、そういう女だった。
マサオミは多少の手切れ金を渡して、母親のランへの今後一切の接触を禁じた。破った場合はそれ相応の制裁を加えると脅した上で。
「ほん……。ちかくにすむオバちゃんがなんどかよんでくれたの。ランもよめるようになるの?」
「そうさ。自分で読めるようになるんだぞ」
「ほんと? ならオジちゃんにもよんであげる!」
純粋な少女。彼女を守る為に母親を遠ざけたことは正しい決断だったと思う。だがランの知らない間に唯一の家族を取り上げてしまった。その事実がマサオミの胸を痛ませた。
幼馴染のアキラは言う。キミが代わりの親になってやれと。それが一番いいのだろうとマサオミも思う。しかし自信が無かった。
(仕事の忙しさにかまけて、実の息子の面倒も碌に見なかった駄目親父だからな。あいつが非行に走らなかったのは、親身になって世話してくれた家庭教師と召使い達のおかげだよな)
「ランはまだできないこといっぱい。でもがんばればいつかできるようになる?」
「きっとな。空飛んだりは無理だけど」
「うん。まずはひらがなぜんぶおぼえる!」
「ああ、頑張れ……」
言って、マサオミは気づいた。俺も頑張ればいいんだと。現状はまだぎこちない関係だが、何年か経つ頃には上手くいっているかもしれない。今から努力を重ねていけば。
(息子とも話す機会を増やしていかなきゃな)
マサオミは一度脱いだ靴をまた履いた。
「オジちゃん、またでかけるの?」
「ランと一緒にな。街の本屋へ行って絵本を買って来よう」
「ほんと!?」
はしゃぐラン。近いうちに「オジちゃん」ではなく「お父さん」と呼ばせる日が来るのだろう。
「ガチホモがいっぱいでてくるほんがよみたい。みんなしあわせ」
「それは許さん。お姫様が出てくるキラキラした話にしろ」
笑顔のランの手を引いてマサオミは再度馬車に乗り込んだ。
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