エピローグ

未来への選択

 息子達が無事に現世へ還った。それを見届けたイオリは満足していた。もはや身体はほとんど動かなくなっていたが、迫り来る死を恐れてはいなかった。

 そんな彼を見守る動物達を搔き分けて、一人の人物がイオリの前に立った。紫色の上品な衣を身にまとった柔和そうな男……、地獄を統治するその人であった。


「ご苦労様でしたイオリ。あなたの魂はゆるされました」

「ゆる……された?」


 上手く動かない唇でイオリは尋ねた。


「どういう……意味でしょうか?」

「言った通りの意味ですよ。あなたの魂はヨウイチと同じく、これから天界へ昇るのです。管理人とはつらく厳しい役目ですが、その分早く背負ったごうを解消できるのです。これは極秘事項ですので今まで内緒でした」


 下層に落ちた者達よりも早く罪の精算が終わる。高潔な人物を管理人に選ぶのはその為だ。彼らを早く次の段階へ進めてあげたいと思う、統治者なりの親心である。

 マホやマヒトは在任期間が短かったので精算し切れず下層へ落ちたが、それでも刑期を通常よりだいぶ多く減らせた。


「ですので穏やかな気持ちで旅立ちなさい。天界で迎えが待っていますから何も案ずることは有りません」

「天界へ……行ったら、それからどうなるので……しょう?」

「修業して魂のランクを上げるか、記憶を洗って別人へ転生するか、それとも静かに眠りにつくかを選ぶことになるでしょう」

「選……ぶ。自分で選べるのなら……地獄に残りたい……です」

「はい?」

「イサハヤ……、俺の友は……戦い続けるでしょうから……、きっとまた……地獄に落ちる」


 統治者は遠い目をした。


「ですねぇ。あの血の気が多いマサオミという男も確実に落ちて来ますよね。下手に強いからまた生還しそうですし。二人して地獄の常連になりそうで怖いですよ」

「俺は……現世で何も言わずに……友の前から去った……。だから今度は……先へ進まずここであいつを……待ちたい」

「とは言われましても、地獄はあくまでも刑場です。赦された者に更に刑を課す訳にはいかないのですよ。あなたは地獄と相性が良い訳では無いので、ミユウのような立場にもできませんし……」

「お願い……します」


 統治者は苦笑した。


「いいでしょう、ならばその時が来るまで地獄の最下層で眠っていなさい。いつか再びイサハヤが地獄へ落ちて、罪に相応しい刑罰を受けて赦された時、起こしてあげますから一緒に天へ昇りなさい。地獄は地上に合わせてエリア分けされていますが、イサハヤの居るエリアまで運んであげましょう」


 イオリの口元が緩んだ。最期に笑い、彼の全身から完全に力が抜けた。光の粒が身体を覆い輝く球体が発生したが、天へは昇らずイオリの魂は地獄の最下層へと運ばれていった。

 イオリの死を見届けたミユウが統治者に聞いた。


「……上がるはずの魂を沈めて宜しかったのですか? あるじ様」

「良い訳が無いでしょう、始末書ものですよ。天帝にまた相当絞られることになりそうです」

「主様は天帝様のお気に入りですから、きっと大目に見て下さいますわ」

「どうでしょう? あなたの件も有りますから。戦闘に自主的に参加してはいけないと、口を酸っぱくして言ってありましたよね?」


 統治者に詰められてミユウは目を泳がせた。


「あ~、管理人が三人とも居なくなっちゃいましたね! このままじゃ悪人の魂が簡単に生者の塔まで着いちゃいますから、早急に手を打ちませんと!」

「とりあえず一人はあなたがやりなさい」

「はっ!?」

「はい、新しい仮面です。あなたに生命エネルギーの供給は必要有りませんが、少し自己を抑えることを学んでもらいます」


 管理人の象徴を付けようとした統治者からミユウは逃げた。


「じょ、冗談じゃありませんわ、またそいつに命令されるなんて! わたくしは既に一回やりましたから!!」

「サーシャ・グレンデール!」


 統治者はミユウの本名を口にした。その瞬間ミユウは金縛りになった。


「やめ、やめて……。わたくしが居なくなったら、誰が主様のお世話をするんですか……!」

「自分の面倒くらい自分で見られます」


 ミユウは素の低い声に戻った。


「いつもいつも……、何だってあんたは……俺を遠ざけようとするんだよ?」

「……………………」


 統治者はミユウの顔に仮面を付けた。ビクンッと身体を震わせたミユウの背中から漆黒の羽が生えた。腕には大型の鎌と盾が握られた。

 意思を封じられた彼は両翼をはためかせて空へ飛び去った。ミユウへ声が届かなくなった頃、統治者は小さく呟いた。


「……あなたを私から解放する為ですよ」


 サーシャ・グレンデールはイザーカ国貴族の家に三男として生まれた。才色兼備の彼であったが、女装が趣味というただ一点において両親から疎まれた。

 強制的に軍に入れられた彼はそこでも武芸の才能を開花させたが、現世時間にして六十一年前に侵攻した桜里オウリで戦死してしまった。重装歩兵中心で構成された精鋭中隊で桜里オウリへ上陸したものの、草薙クサナギヨウイチが率いる州央スオウ騎馬部隊に敗れたのだ。


 即死して地獄へ落ちたサーシャは管理人の任に就いた。しかし現世時間で五十八年前、餅を喉に詰まらせて危篤きとく状態になったヨウイチの魂が第一階層に落ちて来て、まだ管理人をしていたサーシャをあっさり倒した。

 その直後にヨウイチは現世の身体が窒息した為に死亡。自分が倒したサーシャの代わりに管理人となったのである。


 サーシャの魂は赦されて天界へ昇るはずだった。しかし先程のイオリ同様、地獄へ残りたいと言い出した。自分を二度も殺したヨウイチの行く末を見届けたかったのだ。幸か不幸かサーシャは地獄と相性が良かったので、統治者は契約を交わし部下としてサーシャを傍に置くことにして、天界の主・天帝の了承を取った。

 とはいっても、地獄に留めさせるのはそこからせいぜい数百年の予定だった。


 誤算だったのは統治者の優しさと孤独に触れたサーシャが、彼に想いを寄せるようになったことだ。ヨウイチの件が片付いても天へ上がるつもりは無かった。そんな彼を統治者は危惧した。統治者はサーシャを自分と同じ、永遠にも等しい時間を地獄で彷徨う、時の迷い子にしたくなかったのだ。

 前へ進んでほしい。それが統治者のサーシャへの願いだった。


「親の心子知らずとはよく言ったものです。馬鹿な部下を持つと苦労しますね……」


 言葉こそ辛辣しんらつだが哀しい目をした統治者に、栗毛馬のカガミが擦り寄った。


「ありがとう、優しい子ですね。親に似たのでしょうか」


 カガミの首の後ろを撫ぜながら、統治者は下層へ落ちたミズキのことを考えた。

 自分の願いよりも、仲間を助けることを優先した心優しい青年。軍人として、同族である人間を殺す術を学んでしまった為に業を背負ってしまった。

 彼はできるだけ早く天へ上げてやりたいが、現世で多くの敵兵士を斬ったミズキの刑期は長い。


 地獄の刑罰とは実は単純で、自己と向き合い犯した罪を猛省する、これだけなのである。

 しかしこれまで他者の痛みに鈍感だった者、自分を過大評価して周囲が見えていなかった者にとって、初めて体験する強い自己嫌悪は耐え難い苦痛となる。それが地獄時間で何十年、何百年、何千年と続く。


 その点ミズキは既に己を知っている。他者の苦しみに対する想像力も有る。それならば……。


「刑期と同じ年数、私の仕事の手伝いをしてもらいましょうか。ミユウが居なくなったことですし、新しい従者として」


 ミズキも地獄と相性が良い。それに統治者の部下となれば、階層移動も別のエリアへの移動も可能になる。例えば彼の愛するエナミが、カザシロではない別の土地の下に在る地獄へ落ちたとしても、従者であれば移動して姿を見に行けるのだ。

 もちろん、現世へ戻ったエナミが新しい恋をして家庭を築き、ミズキを忘れるという未来も有り得る。それは彼ら次第だ。恋を始めるのも終わらせるのも、選んで未来に繋げるのは自分自身なのだ。


「どうか、悔いの無い選択を」


 統治者はその場に居ない両名に声援を贈った。動物達がキョトンとした表情で彼を見ていた。

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