痛み(二)

「若い小隊長で剣士……。あの綺麗な顔をした青年のことかな?」

「たぶんそうです! 彼が居るテントは何処ですか?」


 起き上がろうとした俺を、若い衛生兵が飛んで来て慌てて止めた。


「動いちゃ駄目だ! 縫った傷が開いてしまう! 当分の間は絶対安静だから!!」

「でも俺、彼の傍に……」

「エナミ、おまえはそこで寝ていろ。ミズキの方をここへ運んでもらえばいい」


 マサオミ様の提案にアキラ殿は難色を示した。


「ミズキというのが小隊長の名前なのかい? 駄目だよ、彼も大怪我をしていて意識不明の重体なんだ。とても動かせる状態じゃない」

「………………」

「彼が居るテントでは私の後輩がメインで治療に当たっている。まだ若いが優秀な奴だよ。知人のことを心配する気持ちは解るが、怪我人の管理は医師である私達に任せてくれ」

「アキラ」


 マサオミ様は微かにかぶりを振った。


「……ミズキはもうあの世とやらに旅立ったよ。だからここへ運んでくれ」


 言い切った彼をアキラ殿は睨んだ。


「私も三十分くらい前に診察したけど、その時はちゃんと脈が有ったよ? 彼は頑張って生きようとしているんだ。不吉なことを言わないでくれ!」


 マサオミ様は真顔でアキラ殿を見つめた。


「俺達には判るんだ。ミズキの魂はもうこの世には居ない」

「何を言っているんだよ」


 地獄で何が有ったか知らないアキラ殿は困惑していた。


「アキラ、大量に出た戦死者は合同でこの地に埋葬されることになる。埋められる前に、俺達からミズキへ最後の別れをさせてくれ。頼む……!」

「マサオミ……」


 アキラ殿はマサオミ様の気迫に押された。結局は俺達の要望を聞いてくれた。


「……彼の様子を見てくるよ」


 軍医は衛生兵を残してテントを出ていった。


「エナミ、ミズキはやっぱり……」


 頷いた俺にセイヤは涙腺を崩壊させた。


「すまねぇ、俺が、俺がもっと早く走れてたら……!」

「違う、おまえのせいじゃない。あの時はどうしようも無かった。それにミズキは、おまえとランが現世に還る光景を見て喜んでいた」

「ミズキ……! で、でも、だからこそ……」

「おまえ達が走ってくれたから、マヒトと最強の管理人を分断できたんだぞ? 二人の管理人に組まれていたら俺達に勝ち目は無かった。慰めじゃない、これは事実だ」

「エナミの言うことは正しい。ミズキはおまえを救ったが、おまえとランは俺達を救ってくれた」

「ふぅっ……くっ……ふうぅっ」


 セイヤは声を嚙み殺すように泣いた。その彼の肩を何とか動かした手でそっと撫ぜた。セイヤは自分を責めているが、俺は彼に恨みなど一切抱いていなかった。仕方が無かったんだ。


 アキラ殿はすぐにテントへ戻って来た。彼は何とも言えない表情で俺達を見た。


「すまない……。私達医師の力不足だ」


 彼はミズキの死を確認したのだ。項垂うなだれたアキラ殿にマサオミ様が声を掛けた。


「気に病むな。おまえは医師としてできるだけのことをしたし、ミズキも精一杯頑張った。それでも駄目な時は駄目なんだ」


 二人の衛生兵がミズキを担架たんかに乗せてテントに入って来た。


「ここへ! 彼は俺の傍に置いて下さい!」


 大きな声で懇願した俺にアキラ殿が尋ねた。


「彼はキミの兄弟かい?」

「いいえ。でも大切な人です。家族になりたかった人なんです……!」


 ミズキの担架は俺のすぐ隣、鉄柱の手前に置かれた。テント内で右からマサオミ様、ミズキ、俺、セイヤと並んで寝る形となった。布がミズキの頭から足先まで全身に掛けられていた。


「俺達だけにしてくれるか?」

「それはできないよマサオミ。意識が戻ったとはいえ彼ら二人の傷は深い。まだ予断を許さない状態なんだ」

「そうだな。ではおまえ以外の者を下がらせてくれ」

「……キミ達は別の救護テントへ手伝いに行ってくれ」


 アキラ殿の指示で三人の衛生兵達はテントを出ていった。

 俺は右手を伸ばしてミズキの布をずらした。彼の顔があらわになった。


「いい顔をしているな」


 マサオミ様が言った通り、ミズキは穏やかな表情をしていた。出血量が多かったようで肌は白いが、まるで眠っているかのようだった。

 微笑んでいるようにすら見えた。


「やり遂げた男の顔だ」


 最強の管理人であった草薙クサナギヨウイチ氏の最期と同じ表情……。嬉しそうに、そして誇らしげに。

 俺は彼の手を握った。ミズキの肌は生者と変わりなく温かく柔らかかった。これが現世での彼と初めての接触になった。


「……お疲れ様、ミズキ」


 俺は何とかそれだけ言葉にできた。それ以上は胸が詰まって外へ出せなかった。

 あんたは幸せな人生だったと言った。でもな、俺はやっぱり悲しいよ。斬られた腹じゃなくて胸が痛い。ただひたすらに痛い。

 どうしてあんたが現世ここに居ないんだろう? どうしてあんたが居ない世界ここで俺は生きなければならないんだろう?


(ミズキ……)


 泣かないなんて無理だった。声は出さなかったが視界がぼやけた。ミズキの手を持ち上げて、涙が伝う俺の顔へ添わせた。

 見てるか? 現世でも俺達は触れ合ったからな。二人の関係を無かったことになんてできないんだからな?

 感じるか? 俺の脈動を。あんた達が繋いでくれたから俺達は生きているぞ。


(ミズキ……)


 俺だけじゃなくて、あんたにも俺の名前を呼んでほしい。声を聞きたい。それが不可能だと理解しているのに願わずにはいられない。

 情けないだろう? みっともないだろう?

 あんたが愛してくれた俺は駄目な男なんだよ。目の前の問題に傷付いて泣いてばっかりだ。こんなんじゃいつまで経ってもあんたの隣に並び立てないな。


 だけど許して。きっと明日には今日よりは立ち直れるから、少しの間はあんたのことを想って泣かせてくれ。


 せめてこの胸の痛みが和らぐまで。世界が美しいと思えるまで。

 二人で並んで見上げた、あの晩の月のように。




■■■■■■

 次回よりエピローグとなります。全部で五話です。

 現世へ生還した戦士達、地獄に残されたイオリ、そして散ってしまった彼……。

 キャラクターのその後が描かれます。どうぞ結末をご自身の目で確かめて下さい。

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