現世へ生還

痛み(一)

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 真っ白だった世界に少しずつ色が付いてきた。


 青いそれは空ではなく、布製の天井だった。中央に立てられた鉄製の支柱が布でできた空間を支えていた。ここは大きなテントの中だろうか?

 俺は薄くひいた布団の上に寝かされていた。足側に机が置かれており、そこで白衣を来た中年男と、赤い軍服の上に白い前掛けをした青年が作業をしていた。


「ここは……? うっ!?」


 テント内の様子を窺おうとして少し身体を動かした途端、焼けるような痛みが腹に走った。俺の上半身は衣服を身に着けておらず、代わりに包帯でグルグル巻きにされていた。


「ぐ、ぐうぅっ!」

「エナミ? 目が覚め……いてててっ!」


 左側から聞き慣れた声がした。目だけ動かして確認すると、左隣の布団にセイヤがうつ伏せ姿勢で寝かされていた。


「セ、セイヤ……?」


 生者の塔へ走ったセイヤが傍に居た。では、ここは……。


「良かったエナミ……。おまえも生き残ってくれたんだな」


 生き残った……! その言葉が俺の全身を駆け巡った。

 セイヤは目に涙を溜めていた。痛みのせいか、再会できたことへの嬉し涙なのか。彼の性格なら後者だろう。


「死ぬほどいてぇけど……、でもこれが生きてるって証拠だよな」


 涙目でセイヤはニカッと笑った。いつもの彼の笑みだ。それを見て俺は現世に戻ったのだと実感した。

 ……腹の痛みはとても許容できないけれど。カザシロの戦いで俺は腹を、セイヤは背中をトモハルに斬られたんだったな。


「キミ達、目が覚めたのか!?」


 白衣を着た男が俺とセイヤの会話に気づいた。眼鏡を掛けた彼はどうやら軍医のようだ。


「これを飲みたまえ。痛み止めだ。斬られた傷は縫ってあげたからね」


 俺とセイヤは受け取った錠剤と水を、青年の介助を受けながら飲んだ。前掛けの青年は衛生兵かな? それにしても痛い。一刻も早く痛み止めが効くことを願った。


「二人同時に目覚めるなんて凄いね。でも良かったよ」


 セイヤは俺より四十分くらい前に帰還したはずだが、こちらの時間にすれば一分の開きもない。


「うおーい、三人目も目覚めたぜぇ。俺にも薬くれや。頭がいてぇ」


 鉄柱を挟んだ向こうの布団に寝かされた人物が声を上げた。聞いた軍医が目を見開いた。


「マサオミ!?」


 軍医はすぐにマサオミ様の元へ行った。同時刻に意識を取り戻した俺達三人。あの地獄で過ごした日々は俺が見た長い夢ではなかったんだな。


「おいマサオミ、私が判るかい!?」

「……霧島キリシマアキラ。俺の幼馴染で霧島キリシマ家の次男。医師学校を首席で卒業したくせに、危険を伴う軍医の職にわざわざ就いた変態」

「マサオミ……!」


 アキラと呼ばれた軍医は眼鏡を外して涙を拭った。


「良かった。キミが目覚めて本当に良かった。脳にも異常は出ていないようだね。煙を吸って一時は危ない状態だったんだよ?」

「あーやっぱ俺、煙でやられたんかー」

「それと疲労だ! 大の男を二人も両肩に担いだ状態で、火の中を退却するなんて無茶にも程が有るよ!」

「人手が足りなかったんだから仕方ねーだろうが。部下達も他の負傷者に手を貸していたからな」


 大の男を二人? それってまさか……。俺は恐る恐る聞いた。


「あの、それは俺達のことですか……?」

「そうだよ、この馬鹿ときたら大将の自覚が無い! キミを失ったらこの第六師団は総崩れだからね!?」


 幼馴染だけあって軍医殿は、司令のマサオミ様に対して遠慮が無い物言いをしていた。口調が案内鳥に似ていて親しみが持てた。


「そいつらは真木マキイサハヤを退けた最大の功労者だ。火ん中に置いて行ける訳がねーだろう」

「そう聞いたから二人を最優先で手術してやったんだ!」

「おお、ありがとな」


 だから俺とセイヤは生きていられるのか。マサオミ様が無理をして森の外まで運んでくれたんだな。本当にこの大将は地獄でも現世でも俺達の救世主だ。

 でも、だとしたら……。


「あの……マホ様は……?」


 あの時マサオミ様はマホ様を背負っていた。アキラ殿の表情が陰り、マサオミ様は重々しく口を開いた。


「マホは……、森に置いてきたよ」


 では彼女はあのまま身体を炎に焼かれたのか?


「どうして!? どうしてマホ様ではなく俺達を助けたんですか!?」

「それがマホの最後の願いだったからだ」


 最後の願い?


「おまえとセイヤが斬られた後さ、トモハルもすぐに倒れたんだけど、マホがおまえ達を指差したんだよ。それからあいつは俺の背中で事切れた」

「!…………」

「言葉は無かったけどな、死体となる自分ではなく、まだ生き延びる可能性が有るおまえ達を助けろって……、俺はマホがそう伝えたかったんだと受け取った。だからあいつを降ろして、おまえ達を代わりに担いだんだ。その判断は間違ってなかったと思うぜ?」


 あのマホ様ならそう考えたかもしれない。彼女の遺言通りに俺達を担いだマサオミ様。しんがりを務めてマサオミ様の退却を助けたミズキ。そして手当をしてくれた軍医のアキラ殿。俺とセイヤは何人もの手を借りてここに存在しているんだ。正に繋がれた命だ。


「ありがとう……ございます……!」

「気にすんな、俺がそうしたかったんだ。それよりアキラ、四歳くらいの小さな女の子が保護されてないか?」


 アキラ殿は眼鏡を掛け直した。


「女の子なら別の救護テントに居るよ。知っていたのかい?」

「ああ、俺達の大切な知り合いなんだ。その子の症状が落ち着いたらこっちのテントに移してくれ」

「了解した」


 ここは高官用のテントのようだな。マサオミ様のおかげで俺達もここで治療を受けられているんだ。


「……州央スオウの動きはどうだ?」

「砦に引っ込んだっきり動きは無い。あの真木マキイサハヤが戦死したんだ、こちら以上に大慌てだろうね。残存部隊は砦を放棄して、一旦国へ帰るんじゃないかな?」

……イサハヤは生きてるよ」

「え? でも胸を矢で射貫かれたと聞いたよ?」

「鎧が致命傷になるのを防いだんだ」

「ええ~、厄介な相手がまだ生きてるのかい? でもしばらくは戦えないよね?」

「しばらくは……な。あの人のことだ、更に強くなって復活するさ」

「なんで嬉しそうに言うんだよ? 敵の将だろ?」

「理由は後で話してやる。おまえにも協力してもらうからな、アキラ」

「???」

「今は解らなくていい。おまえは医師として治療に専念しろ」


 アキラ殿は腑に落ちない様子だったが、気を取り直した。


「何度も言うけれど、キミ達が意識を取り戻してくれて本当に嬉しいよ。運び込まれた大勢の負傷兵達は、この数時間で何人も手当ての甲斐無く亡くなってしまったんだ。やっと命を救えたんだって、キミ達を見てようやく思えたよ」


 医師のアキラ殿は人の死に慣れているだろうが、従軍して、短時間で大量の死者と関わったのは初めてだったのかもしれない。桜里オウリは長らく戦争をしていなかった。兵団の主な任務は街の警護と、街道に出没する盗賊団の取り締まりだ。


「あの……」


 俺はアキラ殿に尋ねた。


「他のテントに……長髪の若い剣士が運ばれていませんか? 階級は小隊長です」


 隣りのセイヤが息を吞んだ。マサオミ様は唇を結んで天井を見上げた。

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