生きるということ(三)

「おいご主人、呼吸音がおかしいぞ、大丈夫か!?」


 地面に突っ伏して泣いていた俺はシキに抱き起こされた。

 実際に息苦しかった。吸っても吸っても肺が満たされる感じがしない。でも苦しいのは、ミズキとマヒトの死の悲しみのせいだと思っていた。


「あんた過呼吸起こしてんぞ。吸い過ぎるな、一度ゆっくり深く息を吐け」


 かつてモリヤを失って過呼吸におちいったアオイも、トモハルにそんな風に注意を受けていたな。でも俺は、このまま息が止まってしまってもいいと思っていた。


「こっち見ろご主人、息を吐けって」


 心配してくれているシキに、俺は本心を打ち明けた。


「死にたい……」

「あ?」

「死にたいんだ。シキ、俺を殺してくれ!」


 シキは舌打ちをして俺を睨みつけた。


「あんたの気持ちは痛いほど解るよ。俺もソウシに死なれた時はそうだった。自暴自棄になって死ぬことばかり考えていた。だがな、その俺に生きろと言ったのは誰だ?」

「……それは謝る。でも、俺はもう駄目なんだ。ミズキが居ない世界なんて考えられない。頼む、殺して……」

「俺だってそうだよ! ソウシが居なくなって全てがどうでも良くなった! だが生きてる!! あんたの為に!!」

「俺の……為?」

「そうだ! 俺をちゃんと見ろ!]


 シキは右手で俺の胸倉を掴み、俺の顔を上げさせた。


「おいシキ、過呼吸起こしてる相手を手荒に扱うな」


 俺を助けようと伸ばしたミユウの手を、シキは左手で弾いた。


「いいかご主人、あんたは死ぬはずだった俺の命を助けた。もう俺と一蓮托生いちれんたくしょうなんだよ! 独りで勝手に諦めることは許さない。俺が死ぬまであんたには俺の面倒を見る義務が有るんだ。それが誰かを助けるってことだ!!」


 溜め息交じりにミユウもシキに同意した。


「その通りだな。自分勝手に生きて死にたかったら、誰とも深く関わらないことだ。エナミ、おまえは多くの仲間と絆を強めてしまった。もうおまえの身体もおまえの人生も、おまえだけのものではなくなったんだ」

「でも……でも……」


 彼らの言っていることは理解できる。だけど気持ちが付いて来ないんだ。脚に力が入らない。立ち上がるなんて無理だ。


『エナミ!』


 場にそぐわない少年の声がした。


『僕に生きることの意味を教えてくれるはずだろう? 立ちなよ! まだキミは終わっていないんだから!!』


 空中から俺にげきを飛ばす黒い鳥。来たのか。まさか自ら死を選んだおまえにまで説教されるなんて。


「ごめん……。でも俺は死にたいんだ……。頼むからミズキの傍へ行かせてくれ……」

「逃げるのか? あんたは以前俺にそう聞いたよな?」


 シキにすごまれた俺は開き直った。


「ああそうだよ! 逃げるんだよ! 悪いかよ!?」

「この……!」


 拳を造って俺を殴ろうとしたシキよりも前に、案内鳥が発言した。


『僕も逃げた』


 俺もシキもミユウも、案内鳥に注目した。


『家族の幸せの為だなんでカッコイイ理由を話したけど、本当は僕自身が楽になりたかったんだ。発作の苦しみからも、未来への不安からも逃げたかった』

「案内人……」

『逃げた罪で僕はこんな姿になって、哀しい魂達を見守る役目に就かされた。そうだ。それがきっと僕に課された罰なんだ。エナミ、キミもここで逃げたら僕の様になってしまうよ?』

「ミズキだって……とどめを望んだじゃないか。自ら死を望んだんだ」

『エナミ、それ本気で言ってる?』


 俺は頭を左右に振った。


「いいや……。ミズキは逃げてなんかいない」

『そうだね。そもそも彼はセイヤとランを見捨てても良かったんだ。キミと生き延びることが願いだったんだから』


 父さんにミズキは宣言していた。俺とり続けること、それが最大の願いだと。

 それなのにセイヤとランを助ける為に身体と命を張った。仲間を見捨てるという選択肢があいつには無かった。たとえ自分の願いが叶わなくなったとしても。そういう奴だ。だから俺は惚れたんだ。


『ミズキは自分の人生を立派に生きた。キミも踏ん張れ。ここで死んでも、魂はミズキと同じ階層には行けないと思うよ?』

「うっ……」

『踏ん張るんだ。とてもつらいことかもしれないけど、ミズキに近付きたいと思うなら、ここで踏ん張るしかないんだよ』

「う……ああ……」


 俺は再びしゃくり上げた。シキが優しく俺を抱きしめて背中を擦った。

 涙が止まらなかったが、もうわめくつもりは無かった。ここで逃げてはいけない。その通りだ。俺にはまだやれることが残っている。それらを放棄してあいつに呆れられたくない。


「息をゆっくり吐いて」


 今度は素直にシキに従った。彼の指示通りに呼吸を整えようと努力した。泣きながらだったから途中で何度も呼吸が乱れたが、その度にシキが「大丈夫、大丈夫」と背中を擦ってくれた。


 生きるということはつらいことだな。でも生きていたから俺はミズキやみんなに出会えた。この胸の痛みは、それだけ彼らを愛したという証なんだ。心が動くということはとても幸せなことなんだ。

 ありがとう、ミズキはそう言ってくれた。俺も彼に沢山のありがとうを伝えたかった。ただ日々を生きていた俺にミズキは感動をくれた。

 ありがとう。心からありがとう。


「……そろそろ大丈夫みたいだ」


 五分も経つ頃には、俺の呼吸はほぼ正常に戻っていた。自己申告した俺の顔を覗き込んで、まだ心配そうにシキは尋ねた。


「本当に大丈夫なのか? ご主人」

「ああ。……行こう」

「そっか。だが無理は禁物だからな」


 行くとはもちろん、ヨウイチ氏と戦っている仲間の元へだ。俺はシキの手を借りて立ち上がった。呼吸もそうだが、心もだいぶ落ち着いていた。涙が止まっていた。


「俺は走って行くが、ご主人は歩いて来い。まだ頭がクラクラするはずだから、最初からは飛ばすなよ?」

「そうするよ。ありがとうシキ」


 シキは俺の顔をじっと見た。何だ? あ、泣き腫らした顔が凄まじいことになっているのだろうか? 今更だが少し恥ずかしい。


「な、何だよ。もう死ぬ気は無いから!」

「うん、頼むわ」


 シキは俺の髪をすくように撫ぜた。なぜ男連中は俺の頭を撫ぜたがるのだろう。俺の頭が撫ぜ易い位置に在るのが悪いのか? 背を伸ばしたいな。


「ん?」


 シキの手の動きがピタッと止まった。


「ご主人、下がれ!」


 急に怖い声を出したシキは、抜刀して俺の前へ立った。彼の視線の十数メートル先には、栗毛色の馬が佇んでいた。

 細身だがしっかりと筋肉を付け、顔は中性的な造りをした美しい馬だった。

 栗毛の馬はトコトコ歩いてこちらへ近付いて来た。無防備でまるで敵意を感じられない。


「こいつは……」


 ミユウが呟いて案内鳥と顔を見合わせた。


「ついさっき発生した生命体か?」

『だと思う。でも生まれ立てでこんなに強い気を放つなんて』


 さっき発生した? どういうことだろう。それに強い気? 俺は馬から穏やかな空気を感じているのに。どこか懐かしいような……。


「下がれって、ご主人!」


 シキが怒鳴ったが俺は下がらなかった。


「大丈夫だろ。殺気はまるで感じない」

「殺気は無いが、強いぞソイツ! スゲェ気を放っていやがる!!」


 そうなのか? 俺にはピンと来ない。大人しそうな馬なのに。

 二メートル先まで接近した馬にシキは警戒を強めたが、俺は彼(彼女?)を敵とは思えなかった。

 だって、とても優しい目で俺を見る。まるでミズキのように。

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