地獄で酒盛り
「……何だ、どうして笑っている?」
イサハヤ殿の疑問対象はてっきり俺とミズキだと思ったのだが、父さんも笑っていた。
「いや、こんな風に馬鹿話をしたのは久し振りだなと思ったんだ」
父さんはしみじみと言った。
自宅を隠密隊に襲撃されて以来、父さんは幼い俺を連れての逃避行を余儀なくされた。
「このオッサンの傍に居ると毎日がこんな感じだぜ? ここ地獄だってのにさ」
「ふ、マサオミ。オッサンという言葉で私を軽んじたつもりだろうが、その言葉は私の同期のイオリにも掛かると気付いているか?」
「あ、俺は五年前に死んで肉体年齢止まっているから」
「おぉい、裏切るなイオリ! 貴様もオッサン仲間だろうが!!」
確かに馬鹿話だ。でも嬉しかった。父さんが他愛ない話をして笑っていることが。友達のイサハヤ殿の前ではあんな感じなんだな。会ったばかりのマサオミ様とも気が合うのか、すっかり打ち解けている。
「何かさ、こうなると一杯やりたくなるな。酒さえ有ればなぁ」
マサオミ様は手足を伸ばして完全にくつろいでいた。さっきまで激しい管理人戦をしていたとは思えないダラけた姿だ。こうやって
「まぁな。地獄に落ちてから腹は空かないが、たまに酒が恋しくなるな」
「酒か……。体感時間で三百年もここに居るから、すっかり味を忘れてしまったな。懐かしい」
残る二人のオジさんも大物だった。地獄で酒盛りはいくらなんでも駄目だろう。
「あら、ご用意できましてよ。ほら」
背後からミユウが大きな酒瓶をドンと出した。はい?
「あんたソレ何処から持って来た!? さっきまで無かったよな? 忍びの俺の目を欺くなんて……」
シキが目を白黒させていた。
「今生み出したんですわよ。こんな風に」
何も無い空間から、ミユウは今度は
「エナミの弓矢と同じ原理ですわよ。強い願いは奇跡を生みますの。エナミは苦労していましたが、わたくしレベルになりますと造作も無いことですわ」
願うと奇跡が起きる。それで俺の弓矢は一時的に形状と威力を変えた。……あ! 忘れていたが、マヒトも武器を変化させていた。あいつも地獄と相性が良いのだろうか?
「流石は三千年以上生きている妖怪だな」
「てめぇシキ、聞こえたぞ。覚えとけよ」
ミユウのドスの利いた声を耳にした父さんが驚いていた。
「え? 彼女は……彼? 今度も男? 女? どっち?」
「あいつは野郎だぜ。男の尻が大好きだから注意しなよ」
「だからあんなに力持ちだったのか。そういえば必要以上にいっぱい触られたような……」
仮面はミユウの性別の情報までは持っていなかったらしい。
「細かいことを気にしてはいけませんわ。ささ、ぐいーっとお飲みになって」
杯を配るミユウにマサオミ様が遠慮した。
「酒の話題を出したのは俺だし気持ちはありがたいんだが……。二日酔いで明日戦えなくなったら困るからな、今はやめておくわ」
マサオミ様にちゃんと理性が有って安心した。
「大丈夫ですわ。地獄において飲食は感覚の再現でしかありませんの。望めば酔ったような気持の良い状態になれますが、気を張ればすぐに
「じゃあいっか。ついでくれ」
大将の理性は簡単に吹っ飛ぶ軽いものだった。
「トモハル達には内緒にしておこう」
「ちょ、イサハヤ殿まで! マズイですよ。マヒトが戻って来たり、獣が襲って来るかもしれないのに酒盛りなんて……」
『危険が迫ったら僕がさりげなく教えてあげるよ』
頭上から声がした。案内鳥が丘の傘部分に止まっていた。
「でも、おまえは積極的な手助けを禁じられているから……」
『今更だろ? それにこれがキミ達にとって、地獄生活最後の息抜きになるみたいだからね。明日ついに生者の塔で決戦なんだろ?』
「案内人……」
『もうキミ達のお守りはご免だからね。明日は確実に現世へ帰ってよ? ばーか』
憎まれ口を叩いてから、案内鳥はラン達が居る方向へ飛んで行った。
「ふ、あれはツンデレというやつですわね。可愛いこと。天界を治めるお子ちゃま天帝の態度にそっくりですわ」
天界を治める天帝? お子ちゃま? つんでれって何だろう?
頭に疑問符が浮かんでいる間に、俺は酒が並々入った杯をミユウに手渡された。え? 俺も飲むの? あんまり強くないんだけどな……。
「さ、皆様、乾杯とまいりましょう!!」
全員に杯を配ったミユウが一番ノリノリだった。自分が飲みたいだけじゃねーか。
「エナミ、もう少し近くに来てくれ」
父さんに呼ばれて俺は傍へ寄った。父さんは優しく笑っていた。
「成人したおまえと酒を酌み交わせる日が来るとはな。管理人となって長く彷徨ったが……、こんな機会に恵まれるとは思わなかった」
「父さん……」
途端に胸がいっぱいになった。そうか、父さんが亡くなって出来なくなったこと、諦めていたこと、今なら叶うんだ。
「マサオミ、乾杯の音頭を」
「え、俺? 最年長のあんたがやりゃあいいじゃん」
「階級が一番高いのは貴様だ。イオリ、こいつ四十歳でもう司令なんだぞ?」
「それは凄い」
「いや……。
「
お世辞ではなく、イサハヤ殿は本気でそう思っているようだった。
「おまえは昔から
父さんの言葉を聞いたマサオミ様は真顔になった。
「それは本当か?
イサハヤ殿は苦笑して肯定した。
「地獄に来てから何度も言っているだろう? 貴様には私を呼び捨てにする資格が有ると」
「でも
「今までご苦労様、明日も気張りましょう。そういうことで乾杯ですわー!!」
待ち切れなかったミユウが勝手に音頭を取った。マサオミ様は渋い表情を作ったが、
「ま、いいか。生き残ればいくらでも時間は有る」
すぐに笑顔になって杯を上げた。俺達も一度杯を上げて、そして中の酒を飲み干した。おお~、酒が身体に回る気がする。感覚の再現と言うが本物を飲んだようだ。
「……三百年振りだがちゃんと味がした。俺が好きな甘口だったな」
「そうか? 俺は辛く感じたぞ?」
それぞれ思い思いの味がするらしい。
「まだまだ有りますわよ。ほらほら飲んで!」
「お
ミズキが父さんの前に進み出た。
「そうだな、頼むよ。エナミとキミが結婚したら息子になる訳だし。……ん? 息子? どっちが? どっちも?」
真面目に悩む父さんの様子に、俺達は全員噴き出した。
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