地獄十日目

初めてづくしの朝は喧騒で始まる

 新しい拠点、そしてミズキと恋人同士になって初めての朝を迎えた。ほぼ同時に目覚めた俺達は互いの顔を見やって微笑んだ。

 空にはうっそうとした重い雲。しかし俺達の表情は晴れ晴れとしていた。夕べ見た月夜のように。


「おはよう」


 頭の上から挨拶された。この低く渋い声はイサハヤ殿だ。

 俺は即座に自分の身だしなみをチェックした。大丈夫、上着は着ているしハチマキも頭に巻かれていた。ミズキに至っては革製の胸当てまで装着している。脱ぎ捨てても数時間経てば元通り。寝ている間に腹を冷やすことも無い。地獄のこの便利な現象を、俺は「お母さんの手」と呼んでいる。


「おはようございます。わざわざ起こしに来て下さったんですか?」

「北東で見張りをしていたのでね、ついでに近辺を見回っている」


 イサハヤ殿は俺とミズキを交互に見て言った。


「キミ達は一度仲違いをしたと聞いているが、……一緒に寝たのか?」


 俺達が気まずくなったことは二回有った。くちづけの後と、昨日のことだ。


「話し合って仲直りをしたんです。ご心配をおかけしました」

「……そうか」


 イサハヤ殿は俺に目線を定めた。


「エナミ、今夜は久し振りに私と寝よう。イオリについていろいろ語りたい気分だ」

「えっ、ですが……」

州央スオウのことも教えてやろう。京坂キョウサカによって現在は混乱しているが、元々は美しい国なんだと知ってもらいたい」


 俺はイサハヤ殿と会話しながらミズキの方をチラリと見た。あああ。思った通り不機嫌な顔をしていた。俺を好きでいてくれるミズキと、俺を息子のように思ってくれるイサハヤ殿は、俺を取り合って言い争いになることが度々有る。


「イサハヤ殿、エナミはこれからもずっと、私と寝る約束をしています」

とは穏やかではないなミズキ」


 今日もやり合うようだな。贅沢な悩みなんだろうけれど、二人の愛が重い。


「ミズキ、気に入った友人を大切にしたい気持ちは解るが、一人にだけ固執するのは良くない。おまえは若いんだ、もっといろいろな者達と広く交流を持つべきだ」

「エナミは友人ではありません。私達は恋人同士です」


 わ。ミズキ、ここで言っちゃうのか!?


「ふ、青いなミズキ。接吻をした程度で恋人気取りとは。一度だけ、しかも不意打ちでした行為だろうに」


 散々女を食いまくったらしい青眼の貴公子は、余裕の笑みでミズキをあざけった。


「いいえ。くちづけは何度も交わしました。そしてくちづけだけではなく恋人として昨夜、共に一夜を過ごしました。もちろんエナミも合意の上で、です」

「!?」


 言ったよミズキの奴。俺は恥ずかしくて両手で顔を覆い隠した。成人した男の仕草ではないが平常心ではいられなかった。そんな俺の様子を見たイサハヤ殿は「え? え?」といった顔になり、遠慮がちに俺に尋ねた。


「エナミ……、ミズキが言ったことは事実なのか……?」


 俺は顔から火が噴き出しそうなほど照れたが、正直にコクンと頷いた。イサハヤ殿は後ろへ数歩よろめき、ミズキはよくできましたという風に俺の頭を撫ぜた。ばーかーやーろーうー。


「そ、そんなことが……。くちづけからたった一日で最終段階へ進んだだと……? 認めん、私は認めないぞ!!」


 イサハヤ殿は完全に、不意打ちで恋人を連れて来た娘の怒れる父親と化していた。本当の父さんが生きていたら、やっぱりこういう修羅場になったのかな? 俺は娘ではないが。


「うぉーい、真木マキさーん」


 南側からヨモギ以外の仲間を引き連れたマサオミ様がやって来た。


「西南の見張りはワン公に頼んだから、北東で見張りをしつつみんなで軍議にしよーぜ」


 これからみんなでめし食おうみたいなノリだった。相変わらずマサオミ様は物言いが軽い。

 俺から気まずそうに目を逸らすトモハル、ニヤニヤしているシキとアオイ、習ったのか同じ鼻歌を口ずさむセイヤとミユウ。眠たそうに目をこするランの傍には案内鳥の姿も見えた。

 俺は空気を換えたくて、鳥にできるだけ明るい声で話しかけた。


「案内人、こっちに来ていたんだな。新しい拠点の居心地はどうだ?」


 しかし奴は吐き捨てるように言った。


『あのさぁエナミ……、ミズキもだけど、コトに至る前にこれからするって報告してくれないかな? 途中で情報を遮断したけど、いたいけな少年に何てものを見せるのさ?』


 あ。


「わあぁぁぁぁぁ!!!!」


 俺は叫んで身悶えた。忘れてた! 案内人は第一階層を見通す者! 見られてた! 夕べのことを知られたんだ! くちづけの時と同じ失敗をしてしまったよ!!


「どうしたエナミ!」


 セイヤが心配して駆け寄って来たが、俺を抱き寄せたのはミズキだった。


「すまない案内人。これから地獄に居る間は毎晩、俺とエナミの情報を遮断してくれ」


 俺をよしよししながらミズキはしれっと言った。ミズキのこの言葉で全員が察したようだ。俺達が夕べ結ばれたことを。鈍いセイヤでさえも。

 セイヤは前にも見せた悟りを開いた賢人のような表情で、俺の肩を数回ポンポン叩いた。


「おめでとう、二人とも。幸せになれよ」

「ありがとうセイヤ」


 ミズキは爽やかな笑顔でセイヤに返礼をした。俺はというと恥ずかしさで気が狂いそうになって、ミズキの腕の中でジタバタ暴れていた。

 何なんだよ。こういうことって大勢の前で言うもんじゃないよな? もっともっと繊細な問題だよな? 俺の感覚がおかしいのか!?


「良かったわね、エナミ」

「やったな、ご主人」

「スロースターターかと思いきや、案外飛ばすタイプでしたのねぇ」


 アオイとシキ、ミユウに連続で肩を叩かれた。これはもはや祝福ではなく公開処刑だ。


「皆……、祝いの言葉は心の中で。こういったことは直に言われると照れ臭いものだ」


 なんと、トモハルが俺の心情に寄り添う意見を出してくれた。ありがとう前髪! おまえは隊の良心だよ!!


「そうだな、トモハルの言う通りだと俺も思う。ところで真木マキさん、何であんたは刀に手を掛けてんだ?」


 マサオミ様に言われて視線をイサハヤ殿に移すと、彼はニコニコ顔でとんでもないことをのたまった。


「ミズキ、ちょっと出してくれないか? ちょん切るから」

「おおおい、何する気だよオッサン!!」

「いけません連隊長!」


 慌ててマサオミ様とトモハルがイサハヤ殿を抑えに掛かった。


「放せ二人とも! この不埒者ふらちものをたたっ斬ってくれる!!」

「落ち着け馬鹿、若い恋人達を応援してやろーという心の余裕があんたには無いのか!?」

「ミズキ、逃げろ!!」


 美しい夜だったのに。清々しい気分で朝を迎えたはずだったのに。どうしてこうなった?


「だめよイサハヤおじちゃん、ミズキをおこらないで!」


 ランが両手を広げてイサハヤ殿の前に立ちはだかった。彼女はまだ大人の交際の意味を解っていないだろうが、乱闘になりそうな雰囲気を察して止めようとしてくれているのだ。


「ミズキはエナミとしあわせになりたいだけなの! ふたりはガチホモなんだから!!」


 ラぁぁぁぁぁン!!

 まさかの伏兵にとどめを刺された。

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