九度目の夜

 セイヤが交代に来てくれたので、アオイは見張りの任から解かれた。夜の静寂が辺りを支配していた。


(寝場所に決めた場所へ戻ろうか。でも見張り前にも少し寝たから、まだ眠たくないのよね)


 澄んだ夜空に半月が明るく輝いていた。アオイはブラブラ歩きながら月見をしようと考えた。

 が、少し歩いた所でトモハルと出会った。彼もアオイと同じ時間帯に見張りをしていたはずである。


「中隊長、こんばんは」

「あ、ああ、アオイか……」


 トモハルが動揺しているようにアオイは見えた。


「どうかされましたか?」


 トモハルは自分が歩いて来た方向を気にしながら言った。


「アオイ、この先には進むな。ミズキとエナミが居る」


 エナミの恋を応援していたアオイは、二人の様子が気になった。


「あの、二人はどんな感じでした? 今日ちょっと険悪っぽかったから。喧嘩とかしてませんでした?」

「いや……。とてもとても仲が良さそうだった。だから行くな。二人の邪魔になる」

「よっしゃ!」


 アオイは拳を高くかかげた。


「うぉ? 何だ!?」

「あ、いえ、何でも有りません。失礼しました」


 エナミは上手くやれたようだ。他人事ながらお人好しなアオイは安堵した。


(次は……私が頑張る番ね)


 自分の為に生きろとモリヤに言われて、気になる相手が居るならぶつかって来いとシキに言われた。


(そうだ、その通りだ。私はモリヤに何も返せないまま彼に死なれた。もう行動せずに後悔はしたくない。当たって砕けろよ)


 アオイは密かに想っていた相手に自分の気持ちを伝えようと決意した。その人物は今、彼女の目の前に立っていた。


「中隊長、お話が有ります」

「何だ?」


 アオイはキッとトモハルを見据えた。


「……何だ?」


 アオイの気迫にトモハルが身構えた。


(いけない、決闘を挑んでいるんじゃなかったわ。こういうこと初めてだから……)


 彼女は慌てて闘気を消した。一呼吸して、そして澄んだよく通る声で告白した。


「中隊長、私は中隊長が大好きです!」

「……………………」


 トモハルはキョトンとしていた。予期せず突然好きだと言われたら、大抵の人間は思考が止まる。


「…………ん?」

「好きなんです、中隊長が!!」


 アオイは繰り返した。大切なことは二度言う。基本だ。


「待てアオイ。それは上官として尊敬してくれているということか?」

「それも有ります。でもそれだけじゃなくて、女として私は中隊長が好きなんです!」

「落ち着けアオイ分隊長。おまえは今モリヤを失って、冷静な判断ができなくなっている」

「違います。モリヤが言ってくれたから、私はやっと正直になれたんです」


 トモハルは及び腰だ。アオイの告白に戸惑っていた。


(中隊長を困らせるかもしれない。でも引けない。そうよ、これだって勝負なんだ。男と女の一番勝負!!)


 アオイは再び闘気を身にまとった。


「私は本気です。中隊長になら今すぐ、この身を捧げてもいいとさえ思っています」

「馬鹿者! 女の方からそんなことを言うんじゃない!」

「はしたないことを言っているのは承知の上です。でも私はそれだけ中隊長を……」

「違う! はしたないとかではなく、自分を大切にしろと言っているんだ!!」


 トモハルに本気で怒られてアオイはひるんだ。


「男の中には手を付けておきながら責任から逃げる者が居る。心も身体も傷付くのは女の方なんだ。軽々しくよく知らない相手に身体を許すんじゃない!」

「あ……はい」


 怒られているのだが、その理由が自分を心配しているからなのでアオイは嬉しかった。


「……何をニヤついている?」

「すみません。中隊長が思っていた以上に誠実な方だったので惚れ直しました」


 トモハルは大きな溜め息を吐いた。


「あのな……。本人を前にして惚れ直したとか言うか? まぁ、その素直なところがおまえの良いところなんだが……」


 褒められてアオイは更に気を良くした。ニヤけが止まらない。

 対するトモハルは至極しごく真面目な顔つきだった。


「……私の育った家では、正妻の他に妾を囲ったり外に愛人を作ったりすることが普通なんだ。だが私はその習慣がとても嫌いだった。実家から離れて良かったと思える一番のことは、愛の無い結婚を強いられなくなったことだ。その分、弟の方にしわ寄せが行っているようだが」


 ここでトモハルは何かを考え始めた。


「中隊長?」

「私の父である法務大臣は、自分の地位を守ることに躍起になっていた。そんな父を見苦しいと幻滅して家を出たのだが……。父は京坂キョウサカに政治の全てを牛耳られないように、大臣の座を維持して戦っているのかもしれない」


 アオイもイサハヤが語った京坂キョウサカの卑劣なやり方を思い出した。


「きっとそうですよ! お父様は京坂キョウサカと戦ってるんですよ、国を守る為に!」

「現世に戻ったら、一度父と腹を割って話し合う必要が有るようだ」


 考えを纏めたトモハルの横顔に、アオイの熱い視線が注がれた。


「…………何だ?」

「中隊長、やっぱり格好いいです!」

「あのな……」


 トモハルは頭を左右に振った。前髪と共に。


「アオイ、おまえは御堂ミドウ家の正妻になる覚悟が有るのか?」

「えっ? 正妻さんですか!? お妾でも愛人でもなく!? そんな大役、庶民生まれで庶民育ちの私には無理ですよ!」


 アオイは反射的に拒絶反応を示してしまった。妻の座を狙うなど大それたことは考えていなかった。ただトモハルに、自分の恋心を伝えたかっただけなのだ。


「なら諦めろ。私は妾も愛人も持つつもりは無い。そして女遊びをする気も無い。結婚を前提としてしか、女性とはこの先付き合わない」

「……………………」

「弟に家を継いでもらいたかったのだが、人が良すぎる彼には荷が重いようだ。両親から最近、家に戻れと何度も手紙が届く」

「……………………」

「結局長男の私が御堂ミドウの家を継ぐことになるのだろう。私と関わるというのなら、御堂ミドウの名からは逃れられないぞ?」


 トモハルは落ち込んだ様子のアオイの右肩に、そっと手を乗せた。


「今日はもう休め。おやすみ」

「待って下さい」


 歩き去ろうとしたトモハルの前にアオイは出た。


「中隊長は私をどうお思いでしょうか? 私は本心から告白しました。行かれる前に、せめて中隊長の心の内を明かして下さい」

「……………………」


 トモハルはアオイを見た。彼女は真っ直ぐな目をしていた。


「おまえのことは、とても好ましい女性だと思っている」


 アオイは胸を張り力強く笑った。


「なら私は諦めません。将来、必ずあなたの隣に立ってみせます!」


 それは苦難の道だ。上流社会に縁の無かったアオイの前には、あらゆることが困難となり立ちはだかるだろう。しかし彼女は自分の中に生まれた感情の火を消したくなかった。

 初めて味わう恋。激しく切なく温かい。

 この想いをトモハルに届けたい。少しでも自分を好きでいてくれるなら望みは有る。


(簡単には負けないわ。伊達に地獄で生き延びてきた訳じゃないんだから)


 彼女は今、大きな目標に向かって一歩を踏み出した。

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