道化師の憂鬱(二)

「ここまで来たらもうすぐだ」


 マサオミ様の言う通り、ドドドドと、滝の音らしきものが聞こえて来た。

 チョロチョロと足元を小動物が横切った。リスだ。ランが見たら喜んでいただろうな。川の対岸には鹿らしい動物も数頭居た。水分補給の必要が無い地獄でも、生物は本能で水辺に集まるのだろうか? 連れて来ていたヨモギも心なしか嬉しそうにしている。

 ここだけ切り取れば確かに地獄とは思えない風景だ。だが油断をするな。この先にはシキが居るんだ。歩きながら俺は全面を見据えた。

 ついに滝が見えた。そしてその手前に青い服を着た男が寝そべっていた。


「滝つぼの右横、シキです」


 誰よりも早く奴を見つけた俺はみんなに伝えた。剣士の彼らは瞬時に抜刀した。そして仲間同士で横に三メートルずつ距離を開けて、半円を描く形でシキへ近付いていった。ヨモギとミユウと射手の俺は、みんなから少し遅れる形で後を追った。

 シキの方も俺達を見つけた。寝そべっていたシキが身体を起こした際に、奴の胸の上に乗っていた物体が横へ動いた。猫だった。こいつ地獄で猫とたわむれていたのか? 狼と友情を育む俺達もたいがいだが。


「これはこれは皆さん」


 立ち上がったシキを見て、俺は野盗が口にした「青」の意味を知った。シキは州央スオウ兵団に任務で潜入していた。こいつも青い軍服を身に着けていたんだった。


「三人の男がこちらへ来たはずだが、その内の二人はおまえが始末したのか?」


 イサハヤ殿の質問にシキは苦笑した。


「何かおたくらって、こちらの事情に妙に詳しいですよねー? 魔法でも使って遠視をしていなさるんで?」


 千里眼の案内鳥を味方に付けたおかげだよ。


「ま、ご名答です。臭くてムサい男三人組がいきなり襲い掛かって来たんでね、二人は斬り刻んでやりましたよ。その間に残りの一人には逃げられましたがね」


 ここでシキに殺された二人の魂はとっくに下の階層へ落ちていた。第一階層から存在全ての痕跡を消して。


「何はともあれ、このような場所までようこそ」


 シキは大げさな仕草で俺達にうやうやしくお辞儀をして見せた。初めて会った時もそうだったな。まるで舞台に立つ演者、いや道化師のように。

 凄腕の剣士達に囲まれて絶体絶命な状況だというのに、シキは不敵にも笑っていた。ここから一発逆転する策でも有るというのだろうか?


「マサオミ様、私が参ります」


 双刀を手にしたミズキが一歩前に出た。トモハルも連動した。


刺客しかく相手に一対一の決闘などは必要無い。私も共に参ろう」


 この二人は地獄に落ちてから何度も共闘している。休憩時間には(俺が原因の)口喧嘩をしている場面をよく見かけるが、戦闘においては息が合っている様子だ。

 二人の剣客けんきゃくを前にしたシキは、腰の左右から一本ずつ刀を抜いて構えた。イサハヤ殿と対峙した時は一刀だったのに、こいつ二刀流もこなせるのか。


「アハッ、部下が相手なのはありがたいねぇ。真木マキ連隊長と……、挨拶してないけどその装束は流星のマサオミですよねー? ボクの力をもってしても、二人の勇将は流石に倒せそうにないんでねー」

「おいシキ。テメェが死ぬ理由が一つ増えたぞ」


 流星と呼ばれたマサオミ様がこめかみに青筋を立てた。だが勝負はミズキ達に任せたようで、その場を動かなかった。


「……いざ!」


 まずはトモハルが攻め入った。彼の刀を二刀をバツにする形でシキは受け止めて防いだ。刀を離して飛び退く両者。

 そこへミズキが踏み込んだ。速い。しかしシキも負けていない。四本の刀がきらめきながら高速で舞う。むちのようにうねっているのではと錯覚してしまった。


「ふっ」


 シキが突き攻撃を繰り出して来た。しかしミズキは冷静にかわした。奴が突きを使えることは情報を共有して既に知っていた。毒のことだって忘れてはいない。

 奥の手が効かなかったシキはぼやいた。


「……あーあ。不意打ちが成功するのは一回だけか。あの時に真木マキ連隊長を殺せていればいくらか楽だったのに。そこに居る騎崎キサキエナミくんが邪魔してくれたからねー。やっぱ子供の時に始末しておくべきだったよ」


 ミズキは無言でシキへ再び斬り掛かった。先ほどよりも更に速度が増しているが、シキは慌てずに対応した。

 どうしてこいつは平常心を保っていられるんだろう? たとえミズキやトモハルに勝利できたとしても、後には遙かに強い大将二名が控えている。生き残られる見込みは無いんだぞ?

 双剣同士の打ち合いがしばらく続いたが、ミズキが横目でトモハルの位置を確認して、さっと横へ退いた。間髪を入れずトモハルが中腰姿勢で斬り込んだ。


「っ…………」


 トモハルの刀はシキの右手二の腕を深く刻んだ。鮮血がシキの右手全体を濡らし、奴は刀を取り落とした。

 トモハルの中腰からの踏み込み斬撃は、かわしたつもりで斬られている恐ろしい攻撃だ。こちらが予測していたよりも刀が伸びるんだよ。俺もあれで腹を裂かれて地獄落ちしたんだったな。


「ふっ、ふふふ……」


 シキが肩を震わせて笑った。


「何人かは道連れにしてやるつもりだったが、ここまでかぁ」


 ……ああ、そういうことか。シキは余裕だった訳ではなかった。諦めていたのだ。戦う前から。


「いいよ。とどめを刺しなよ。ボクは両陣営に甚大な被害をもたらした極悪人だからね。首を取った者はそれなりの手柄になると思うよ?」


 シキは左手の刀をも投げ捨てて丸腰となった。そして両膝を地面に付いて身体を低くした。首を刎ねろと言わんばかりに。

 トモハルはイサハヤ殿の方を窺った。イサハヤ殿が頷いたのでシキの頭上に刀を振りかぶった。


「待ってくれ!」


 俺は思わずトモハルを止めていた。


「エナミ……」


 ミズキが心配そうに俺を見つめた。また俺がシキを拷問するんじゃないかと危惧したのだろう。

 違うから安心してくれ。もう俺は憎しみに感情を支配されない。

 確かめたいだけだ。俺はシキに近付こうとしたが、


「射手はそれ以上前に出るな!!」


 イサハヤ殿に怒鳴られて踏み留まった。そうだな、接近戦に弱い俺は以前シキに討たれ掛けた。仕方なく少し離れたここからシキを問い質すことにした。


「シキ、おまえは生きることを諦めたのか!?」


 シキは感情の無い目で俺を見た。


「うん、きっとそうなんだろうねぇ」

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