大将さんが言うことににゃ、エナミさんお逃げなさい

 大将から土下座せんばかりに謝られて、何とか俺は闇落ち状態から回復できた。

 冷静になって考えることは、やはりミズキのことだ。俺はミズキをどう思っているのだろう? 頭を抱える俺を見てマサオミ様が言った。


「でもな、そういう風に悩めることは幸せなのかもしれないぞ?」


 幸せ? 頭が痛いのに。まだ何か余計なことを俺に吹き込む気かこの人は。

 おれは上官に突っ掛かった。


「何処が幸せなんですか」

「相手のことを好きか嫌いかで悩んだり、自分をどう思っているか不安になったり嬉しくなったりできることがさ」


 ? 何をあたりまえのことを言っているのだろう?


「今、何あたりまえのこと言ってるんだって思っただろ?」


 心の中を的中されて俺はドキリとした。


「はは、俺はな、そのあたりまえのことを知らずに育ったんだよ。俺だけじゃない。きっと真木マキさんやトモハルもそうだろう」

「どういうことですか……?」


 全く意味が解らない。尋ねるしかない。


「俺達……名字を許された家の息子はさ、自分の意思とは関係無しに、勝手に周りから次々と女をあてがわれちまうんだよ」

「……そうなのですか?」


 上流の一族は見合い結婚が多いと聞く。そのことかな?


「ああ。初体験の相手もそうだ。成人の少し前に指南役として、少し年上の女を用意されるんだ」

「ええっ……?」


 俺は思いっきり引いた。見合いどころじゃない、初めての相手も用意されるのか。成人の少し前って十五歳だよな?


「相手の女性とはどの程度親しくなってから、その、そういう関係になるんですか?」

「親しくなんかならねーよ。俺の場合はその日に初めて会った相手だった。家臣の遠縁の娘らしい」

「えええ!? 初めて会った相手と……そういうことを?」

「そうさ。後継ぎを作ることが最優先事項だからな。そこに情緒もへったくれも無い。店で商売女を相手にするのと一緒だ。ハッキリ言って歪むぜ? 女を下にしか見られなくなる」


 マサオミ様は苦々しく言った。

 ではトオコやアオイのことも見下しているのだろうか? トオコが自分を囮にしようとした時は、セイヤと一緒に咎めていたのに?


真木マキさんの若い頃の派手な女遊びはその副作用みたいなもんだ。トモハルは兵団に入ってから実家とはほぼ没交渉らしいから、俺達よりはまともな感性かもな」

「あの……初めてのお相手が妊娠されたら、その方とご結婚されるのですか?」

「いや。指南役は子供を産んでも妾止まりだ。正妻にはもっといい家柄の娘が紹介される」

「そんな、それでは指南役の人が可哀想です」

「相手も納得の上なんだ。男児でも女児でも子供を産んだ女には、生涯に渡って生活費が支給されることになっている。だからこちらから要請しなくても、向こうから積極的に立候補して来るよ。そういう世界なんだ」


 俺は呆気に取られた。住む世界が違い過ぎる。男側もそうだが、更に身体を差し出す女側の気持ちが解らなかった。


「そんなの……。一生日陰の身に甘んじなければならないのに、それでもいいって言うんですか? 好きでもない相手の子を命懸けで生むことも? 自分自身の恋愛がこの先できなくなるのに?」


 マサオミ様はまた俺の頭を撫でた。


「その感覚を大切にしてくれや。俺達のようにならんようにな」

「……でも、マサオミ様だっておかしいって思っていらっしゃるんでしょう?」


 そうでなければこんな話はしないはずだ。彼は哀しそうに笑った。


「俺はさ、士官学校でマホと出会えたから……。あいつを知って恋をして、誰かを大切にしたいって初めて思えた。それまでは女を後継ぎを産んでくれる相手、もしくは性欲の解消相手にしか考えていなかったんだ」

「マサオミ様……」


 確かに悩める分だけ俺は幸せなのかもしれない。目の前に知らない女を用意されて、さぁやれと言われても俺には無理だ。

 割り切るには心を無くすしかない。


「でもな、俺の根底は変わっちゃいなかった。マホが去った時も強く引き止めなかったし、見合いを組まれた時もそういうもんだと簡単に受け入れた。俺の中ではそれが常識になっちまっているんだよ。たぶん死ぬまで変われない」

「……………………」

「だからさ、たとえ男相手だとしても、くちづけ一つで狼狽うろたえたり赤くなるおまえさんが、俺にはとても眩しくうらやましく思える。これは決して馬鹿にして言ってるんじゃないからな?」


 マサオミ様が俺を羨んでいる。俺にとっては雲の上の司令官ともあろうお人が。

 やっぱり俺には彼が女を見下しているとは思えなかった。きっと自分でそう思い込んでしまっているだけだ。


「今は思いっ切り悩んだらいい。きっと今しかできないことだ。そしてミズキには全力でぶつかって来い! なあに、男同士なんだから最後まで行ってもガキはできねぇ。その点は安心だ」

「ははははは……」


 俺は乾いた笑いを漏らした。心も渇いてしまった。

 しんみりして考えさせられる話をしていたのに、結局そこへ着陸したよこの人。最後はエロスか。経験者め。

 ベテランにビギナーへ寄り添えというのは、そんなに難しい要求なのか?


「この世界では男の出産も有り得ますよ? 強い魂同士が衝突すると魂の一部が剥がれ落ちます。その欠片かけらから生まれたのがヨモギなんですから」

「うっ……」


 マサオミ様はまた苦手な物を食べた顔になった。


「そうか、そういう意味では男でも出産できるのか。ヤベェな、真木マキさんの言った通りになる。地獄では何が起きてもおかしくないってか……」


 そして渋い表情の大将は俺に忠告した。


「ミズキが我を無くして襲い掛かって来たら、全力で逃げろ」

「……はい」


 この日マサオミ様から頂いた中で、唯一有効なアドバイスだった。

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