イサハヤとマサオミ再び
「……マサオミ、ゆゆしき事態だ」
そうイサハヤは切り出した。その厳しい表情からマサオミは事の重大さを推し量った。
イサハヤとマサオミは丘の東部で向かい合って座っていた。普段二人が居る中央区には現在、負傷したモリヤが寝かされているのでこちらへ移った。
「どうした? また新しい敵でも出現したか? それともモリヤの容体が
「エナミがミズキと
「……………………ん?」
マサオミは瞬時にイサハヤの言葉を理解できなかった。
「何だって?」
「だから接吻だ。くちづけ、イザーカ風に言うところのキスだ」
「お、おう……」
何を言っているのだろう、目の前のオッサンは。マサオミは自身も四十路に突入したことを忘れて、ついイサハヤに心の中で毒づいてしまった。
「あのな、
「重要な案件だろうが。風紀の乱れは隊全体に不協和音をもたらす」
「あー……、まぁそうか。そうなる場合も有るかもしれねぇが」
マサオミは腕組みをした。
「でもなぁ、いつ死ぬか分からねぇ世界に居るんだ。俺としては若い連中には、ちょっとぐらい息抜きをさせてやりてぇな。付き合っているとは知らなかったが、あの二人は信頼し合っているようだからいいんじゃないか?」
「しかし男同士だ」
「兵団では珍しい話じゃないだろ? 性欲発散させたくても周りは男ばっかなんだ。同性相手でもついクラっとなっちまうことは有るさ。ミズキはえらいべっぴんさんだしな」
「キミも経験が有るのか?」
「いや俺はマホ……、付き合ってた女が居たんでな」
「私もだ。三十年間兵団に居るが男に走ったことは一度も無いぞ?」
「ああ、
マサオミも女性の方から言い寄られたことは何度も有るが、イサハヤの場合は桁が違っていた。
「だから大目に見てやれよ。親代わりとしてエナミを心配する気持ちは解るが、あいつだって健康な男なんだ、そういうことに興味を持つさ」
「エナミが納得済みならまだいい。しかしミズキの方から不意打ちでしたように見えた。エナミは接吻の後にその場に崩れていた」
「え、それは意外だな。ミズキから行ったのか。奥手そうに見えたのに」
話題に乗り掛けてマサオミは踏み止まった。このままではただのエロ親父談議になってしまう。若者の恋は静かに応援してやらないと。
「……ミズキは真面目な男だ。それは上官として保証するぜ。だからエナミを傷付けるような真似はしないだろう」
「真面目だからこそ危ないんだ。それまで一切遊んでこなかった奴は初めての相手にのめり込んで、適度な距離感が掴めないものなんだ。限度を超えた束縛でエナミを苦しめるかもしれない」
「ああ、それは有るかもな」
男女交際を知り尽くした青眼の貴公子が言うと説得力が有った。
「それにミズキは、ムッツリ助平だと思う」
「ぶっ!?」
「マサオミ、唾が飛んだ」
「あんたが変なこと言うからだろーが! 俺の部下を侮辱すんじゃねぇよ!!」
「侮辱ではない。統計上、真面目な男にはムッツリが多い」
「何処調べだよ、ただの偏見じゃねーか!」
「真面目故に、エロスに関しても突き詰めて考察してしまうんだ」
マサオミは再度思った。何を言っているのだろう、このオッサンは。
「今現在も、次はどうやってエナミを攻略しようかと考えているのかもしれない」
「待て、妄想で俺の部下を汚すな」
ミズキを庇うマサオミに、イサハヤはくわっと目を見開いて
「マサオミ、貴様とて男なのだから解るだろうが! 十代から二十代前半の男は性衝動がとてつもなく強い! あの期間はもはや猿と呼んでも過言ではない!!」
「い、いや、それは人によるんじゃないかな……?」
「なら貴様は常に紳士でいられたのか!? 今まですれ違う美人に邪な感情は一切抱かなかったと、その胸に手を当てて宣言できるのか!?」
「う、それは……」
痛い所を突かれてマサオミは口ごもった。確かに若い自分は猿だった。
「とにかく、一旦落ち着け
「誰が母親だ、この無礼者め!」
「おめーだよオッサン!」
ついにマサオミは禁句を口にしてしまった。
「貴様とて四十男だろうが!」
「なったばっかだよ! もうすぐ五十のあんたと一緒にすんな!」
「あと二年有るわ!」
「たった二年の間違いだろーが!!」
興奮した大将二名は立ち上がり、がっぷり組み合った。
「今日は純粋な相撲勝負か!? 指相撲、腕相撲ともに私に負け越したのに懲りない奴!」
「うるせー、今日こそ見てろジジイ!」
マサオミは全力で挑んだ、が、既に左半身が持ち上げられて足が浮きそうだった。
「くそっ、この馬鹿力が……」
「とりゃああぁっ!!」
結局マサオミは投げられて地面に転がった。受け身を取れたし、草の多い部分だったので怪我は無かった。そう、余裕を持って投げられたのだ。
(……手加減されたか。俺はいつもこの人に敵わないな)
自分の方が八歳も若い肉体を持っているのに。力だけじゃない。イサハヤには技が有るのだとマサオミはいつも思い知らされる。
カザシロの戦いで一騎討ちの勝負に持ち込んだ時、マサオミは負傷したマホを見て集中力を切らしてしまった。しかしそれが無かったとしても、自分は負けていただろうとマサオミは自覚していた。
マサオミがイサハヤに勝るのは瞬発力だけだ。だからこそ、速攻で勝負を決めなければならなかった。できなかった時点で負けは確定していたのだ。
「マサオミ、キミは左の握力と引き手が弱い。重点的に鍛えろ」
(助言まで貰っちまったよ。情けねぇな)
マサオミにとってイサハヤは目標。仲間となればこれ以上頼もしい存在は居ないだろう。だが敵対するのならば、イサハヤは自分が討ち取りたい。他の誰にも譲りたくない。
(まさかエナミに、横からサクッと取られるとは思っていなかったが)
イサハヤが地獄の第一階層で生きていると知り、マサオミは安堵したものだ。
そうだ、死ぬな。あんたが死ななければならない時は、俺がその首を取る。マサオミは再び奮い立ったのだった。
「さて、気持ちが落ち着いたところで議論に戻ろうか。エナミとミズキにも交際には慎重になってもらいたい。私としては妊娠の危険性について諭すべきだと思うがどうだろう?」
「ぶほっ!」
「マサオミ、二度目だ。唾を飛ばすな」
「だったら阿保なことを言うな! 男同士でガキはできねーよ!!」
「ここは全ての常識が
「あんたの頭以上におかしなことは起きねーよ!!」
大将達は再び組み合い、罵り合った。自分達はいったい何をしているんだろう、それに気付くまで、ずっと……。
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