地獄八日目

名を知る者

 胸の圧迫感で目が覚めた。セイヤの太い腕が仰向けになった俺の胸部に乗っていた。ヤレヤレとその腕を下ろしつつ、セイヤが眠れていたことに安堵した。

 辺りは明るくなりつつあった。もう起きてもいい時間だ。

 そんな俺の肩を隣で寝転んでいるミズキがつついた。彼も起きていたのか。


「エナミ、案内人の様子が変だ」


 ミズキが小声で囁いて指差した。見ると確かに、石灰岩の上で案内鳥が翼を広げた状態で固まっていた。まるで木彫りの彫刻のように。

 俺とミズキはソロソロと、硬直している鳥へと近付いた。


「……案内人?」


 声を掛けても奴は微動だにしなかった。おいおいまさか、死んでいるんじゃないだろうな?


「案内人!」


 少し大き目に声を上げて俺が鳥に触ろうとした瞬間、奴はブルルルルッと大きく身震いした。


「わっ!?」


 思わず俺は仰け反った。しかし良かった、生きていた。


「驚かすなよ。おまえ大丈夫か?」


 鳥はキョロキョロと辺りを見回した。慌てているように見えた。


「案内人? どうしたんだ?」

『……今ここに、キミ達以外の誰か居た?』


 鳥に問われたが俺は起きたばかりだ。


「いや、俺は誰も見ていない。ミズキはどうだ?」

「俺もだ。案内人が一人で勝手に動きを止めた」

『……身体の自由を奪われたんだ。あと、考える力も』


 身体と思考の自由の剝奪? それはまるで……。


「管理人みたいだな」

『うん。でも僕は仮面を付けられていないよ?』

「だよな。身体が固まった以外には何も無かったのか?」

『……頭の中を覗かれた気がする。嫌な気分だった』

「頭……? そんなことができるのか?」

『仮面を付けている者同士なら、たぶん』

「おまえは付けていない」

『うん。僕は……誰かに名前を呼ばれた気がしたんだ。それから自由を奪われた』


 名前?


「でもおまえ……、自分の名前を覚えてないんじゃなかったっけ?」

『そうだよ……。でも、呼ばれた。あれは僕の名前だった』

「何て名前だったんだ?」


 鳥はクチバシを開いたが、対象の言葉は出て来なかった。


『思い出せない……。また忘れてしまった……』


 意味が判らない。案内鳥の身にいったい何が起きたというのだろう?

 俺達が頭を捻っているところへ、マサオミ様とイサハヤ殿が姿を現した。


「よぉ、おはようさん。よく眠れたかい?」

「セイヤの様子はどうだ?」


 俺とミズキは姿勢を正した。


「おはようございます! セイヤはかなり落ち着きました。睡眠もしっかり取れたようです」

「昨晩は見張りをありがとうございました!」

「そうか、寝れたんなら良かった」


 イサハヤ殿が案内鳥に近付いた。


「案内人、シキ達は今何処に居る? 今日こそ奴らと決着を付けたい」

『あ、うん……』


 鳥はぼんやりとした表情だったが、自分の役目を果たした。


『草原に隣接した森に居るよ。もう手の合図は使ってないね。時々仲間同士で怒鳴り合ってる。仲間を二人失って、余裕が無くなったんだろうね』

「よし。三人ではこちらへ仕掛けることは困難だろうな」

「ああ。今度はこっちが攻める番だ。みんなを起こしてさっさと準備しようぜ」

「部隊編成はどうする?」

「そうだな、セイヤはまだ戦えないだろうから……」

「隠れて、隠れて下さい!」


 マサオミ様の声に女性の声が被さった。向こうからアオイが猛スピードで駆けて来る。


「管理人が空を飛んでこちらへ来ます! 大きな樹の陰に隠れて下さい!!」


 管理人と聞いて俺達は即座に退避行動に移った。ミズキがセイヤを叩き起こして、イサハヤ殿がランを抱えて樹の下へ走った。俺もヨモギと共にイサハヤ殿の後を追った。


「ふぇっ、なに? なに!?」

「ラン、静かにするんだ。暴れないで」

「イサハヤおじちゃん!? なに!?」


 起き抜けのランは状況が掴めず混乱していた。俺はイサハヤ殿に抱かれたランに声を掛けた。


「ラン、よく聞いて。今ね、お空に怖い人が飛んでいるんだ。でもここでじっとしてれば大丈夫。怖い人は何処かに行っちゃうからね。ランが得意なかくれんぼだよ」

「かくれんぼ……?」

「そう。ほら、向こうの樹の下にはセイヤおにいちゃんとミズキおにいちゃんが居る。みんな居るから大丈夫だよ。少しの間、静かにしてればいいんだ」

「うん、わかった。ランじっとしてる」


 ランはイサハヤ殿にしがみ付いた。


「エナミ、助かる。どうも私は子供に話し掛けるのが下手でな」

「いえ。それにしても管理人がまた飛んで来るなんて。生者の塔で固まっていると思ったのに」

「……マヒトが加わったことで余裕ができたんだろう」

「ああ、そうか、マヒト……!」


 シキ達を片付けても地獄に安全地帯はもはや無くなった。ランを連れて生者の塔まで行けるのだろうか?


「来るぞ! 頭を低く!」


 前方の上空を飛行する管理人が俺達の視界に入った。その者は弓を携えていた。


「射手……!」


 イサハヤ殿が管理人を凝視した。


「あれは……、あれがイオリなのか?」


 イサハヤ殿は射手の管理人に特別な想いを抱いている。それは俺もだ。


「父さん……」

 

 父さんは下の俺達に気付かなかった。かつての親友と息子に。俺達の上の空を悠々と飛び去った。

 名前を呼びたい、飛び出していきたいという衝動を堪えて、俺とイサハヤ殿はその後ろ姿を複雑な思いで見つめるしかできなかった。

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