紫の華(二)

 ああ、やっぱり俺はトオコが好きだったんだ。腕の中の彼女が愛おしい。

 別れの時が怖かったから彼女を避けていたのに、傷付かないように鈍感でいようとしたのに。

 そうまでしたのにつらい。彼女が居なくなることがこんなにも悲しい。だったら素直になれば良かった。セイヤにも遠慮せず、好きだと言って彼女の傍に居れば良かった。


「トオコ!!」


 バタバタと足音を響かせてセイヤが到着した。俺は腕の中のトオコをセイヤに渡した。でもトオコは震える左手で俺の手を握ってくれた。彼女が今出せる精一杯の力で。


「トオコ、トオコ!」


 セイヤは必死で恋人に呼び掛けた。


「セイヤ……」

「いつからだ!? ずっとつらかったのか!? ごめん……俺、自分のことばっか優先して、おまえのことを気に掛けてやれなかった……」


 セイヤは苦悩の表情で奥歯を嚙み合わせた。そんな彼にトオコは慈愛に満ちた微笑みを向けた。


「セイヤ……、苦しまなくていいのよ……。アタシはアナタに恋ができて幸せだった……。だからこれは悲しい死じゃないのよ? アタシは幸せなまま逝けるんだから……」

「嫌だ、俺を置いて逝くな!」

「ごめん……それは無理かな……。ホント、アナタがつらい時に居てやれなくて……ごめんなさい」

「トーコおねえちゃん……?」


 ランとヨモギがミユウに連れられて来た。ぐったりとしたトオコにランが走り寄った。


「トーコおねえちゃん!!」

「ランも……ごめんね。もう一緒に居てやれない……。でもここに居るのは優しい人達ばかりだから……、みんなにうんと甘えなさい。アナタはずっと我慢ばかりして生きて来たんだから……、少しくらいワガママになっても罰は当たらないわ……」

「やだ、やだ、おねえちゃん! しんじゃやだ!!」


 ランは地獄で複数人の死に立ち会ってきた。可哀想にもう「死」がどういうものか、ハッキリと理解できていた。ヨモギがランに呼応するかのように遠吠えをした。


「アタシは遠くへ行くだけよ……。遠くへ行ってもランやみんなのことは忘れないから……。お星様になって……ずっと見てるよ」


 遠吠えを聞いて他の仲間達も集まって来た。みんな俺達を見てすぐに状況を察した。


「トオコ、頼む、逝かないでくれ!!」

「セイヤ……泣かないで。もしも生まれ変われたら……、来世って言うのかな……? 来世でまた会って、今度こそアタシをアナタのお嫁さんにしてね……」

「トオコ……」

「でも、それは来世のお話……。今のアナタには今の……生活が有るんだから、今を精一杯生きなきゃ駄目よ……。ちゃんと前を向いて……新しい恋をして……」


 今を精一杯に。かつてトオコ自身がセイヤに言われた言葉だった。彼女はそれをセイヤに返した。


「ね……? セイヤ…………」


 トオコはとても苦しそうだ。喋るのもやっとになってきた。


「俺はおまえ以外の女なんて要らない!!」

「えへへ、嬉しいな……。だけど大丈夫、来世のアナタの隣は……アタシが予約したから……、だから今世では別の人を……見つけなさい。あなたと一緒に長生きしてくれる……元気な人を…………」


 トオコの呼吸が止まりそうだ。


「トオコ、しっかりしろ!」

「来世が在ったら……ホントにいいな……。アタシ来世では……お母さんになりたい。それでいっぱい勉強して……字を覚えてさ……、子供に絵本を……読んで………………」


 瞼が半開きの瞳から涙を流した後、トオコは動かなくなった。


「トオコ……?」


 セイヤが両手で彼女の身体を揺さぶった。


「トオコ? トオコ!?」


 セイヤは半狂乱になって呼び掛けた。俺も握り返して来ないトオコの手を強く握った。


「嫌だ、嫌だーッ!!」


 トオコの身体が黒いモヤに包まれた。アオイがランをそっと離した。

 そしてトオコは霧散した。


「うわあああぁぁぁー!!」


 トオコの光る魂が地面に吸い込まれ、それを取り戻そうとセイヤが地面をがむしゃらに掘り出した。


「やめろセイヤ! 爪が剥げる!!」


 後ろに居たミズキがセイヤを羽交い締めにしようとしたが、怪力のセイヤに振り払われた。尚も地面を掘ろうとする彼を正面から俺が、もう一度後ろからミズキが抱き付いて止めた。


「放せ、放してくれ! トオコが逝っちまう! トオコがぁ!!」

「もう彼女は逝った!」

「逝くもんか、あいつが俺を独りにするもんかぁ!!」

「静かに送ってやれ! おまえが騒げば彼女に心残りができる! 最期までおまえの幸せを願っていた優しい女を、死後の世界で苦しめたいのか!?」


 ミズキに説得されたセイヤは動きを止めた。


「ああああああああ!」


 そして土だらけの手で顔を覆い、叫びに近い泣き声を上げた。

 セイヤだけじゃない、俺も泣いていた。ミズキもランも、他のみんなも。

 トオコ、みんなあんたが好きだったんだ。


 山であんたに初めて会ったな。俺達はガキばっかりだったからさ、余裕の有る大人びたあんたの存在はみんなの支えになったんだ。

 ランとあんたが待っていてくれたから、いつも俺達を迎えてくれたから、だからこんな悪条件な世界でも戦ってこられたんだよ。

 あんたが居たから、俺達は兵士ではなくただの男として振る舞えた。

 あんたのおかげで、俺は初めての恋を知った。

 僅かな幸せと、深い悲しみ。

 でも俺はあんたに会えて良かったと思える。


 生きるということは苦しいことの連続。それでも一瞬の輝きの為に人は生きようと足掻く。

 ミユウに言われた言葉の意味が今実感できた。

 マヒトに去られ、トオコを失った。悲しみで押しつぶされそうになるけれど、それでも俺は彼らと出会ったことを後悔しない。

 来世が存在するとしたらまた彼らに会いたい。たとえまた悲劇の未来だったとしても。




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(トオコとの別れ。イメージイラストを見たい方は、↓↓をクリックして下さい)

https://kakuyomu.jp/users/minadukireito/news/16817330663241395583

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