イサハヤとマサオミ

 エナミが去った後、イサハヤは隣のマサオミに尋ねた。


「キミは今のエナミをどう思う?」

「危ういな。常にピリピリしてる」

「そうだ。きっと母親が殺された十五年前の出来事が要因だ。二歳、まだ物心が付く前だが、エナミの心の奥底にはあの日のことがしっかり刻まれていたんだろう」

「ガキの頃は何でも素直に吸収しちまうからな」

「だから私は、エナミに無理をさせたくない」


 イサハヤは再び尋ねた。


「……私を甘いと思うか?」

「甘いな。あんたの場合はエナミ限定だが」


 ハッキリと言われたイサハヤはバツの悪い顔をした。


「過去の女たらしっぷりを知ってるから、男色家ではないと思うんだがなぁ」

「おい、そこまで言うか」

「ま、何もしてやれなかった親友の代わりに、息子のエナミを気に掛けてるってところだろうがね」


 またもやイサハヤは図星を指された。


真木マキさん、エナミはイオリさんじゃないし、あんたの息子でもないんだぜ?」


 マサオミの容赦の無い物言いにイサハヤは顔をしかめた。

 しかし当たっている。イサハヤには、見殺しにしてしまった親友夫婦への贖罪しょくざいの気持ちを、エナミを通じて晴らそうとしている自覚が有った。


「気持ちの押し付けは、エナミにとってはいい迷惑だな」

「そうは言ってねぇ。あんたが見守ってくれることは、エナミにとって心の支えになっているはずだ。俺が言いたいのはな、少し冷静になれってことだ」

「……私は冷静に見えないか?」

「ああ。エナミが関係すると冷静な判断ができなくなってしまっている。川で溺れた子供を助ける為に、自分が泳げないことを忘れて飛び込む親みたいにな」


 そうかもしれないとイサハヤは思った。もしもエナミが溺れていたら、重い鎧を身に付けたままでも確実に飛び込むだろう。自分の苦労でエナミを助けられるなら、遠泳で海峡を横断してやってもいい。


「エナミ一人だけならそれでもいいさ。だがあんたには他にも沢山の子供達が居るだろう?」


 イサハヤは独身だったが、すぐにマサオミの意を汲んだ。


「部下達か」

「そうさ。俺達には守らなきゃならんものが沢山有る。エナミも俺にとっては大切な部下の一人だが、あいつが原因で他の部下達が危険にさらされるなら、俺はエナミを斬るだろう」

「ふ……」


 イサハヤは自嘲した。


「そこが私とキミとの違いか。ノエミがランを人質にした時、私は武器を置くべきかどうか迷ってしまった。しかしキミは最後まで毅然きぜんとした態度を貫いたな」

「あー……、あれか。俺はあんたみたいに優しくないからな」

「違う。キミは誰よりも優しい。そして確たる信念を持っているから強くなれるんだ」


 そうだろうか? マサオミは自身を振り返った。

 己を優しいと思ったことは一度も無い。女達には不誠実な対応を取り続け、部下には大切だと言っておきながらいざとなったら切り捨てる。

 強さに関しても、あくまでも肉体的にだろう。


「ノエミの件では、キミが居てくれて本当に良かった。指揮官が私一人だったら隊を全滅させていたかもしれない」

「……そうはならねぇさ。あんたは最後にはちゃんと帳尻を合わせるタイプだ」


 自分自身が傷付く結果になったとしても、イサハヤは仲間の為に奮闘する男だ。マサオミは彼をそう評価していた。

 だからこそイサハヤは、マヒトを楽にする役目を自分が担ったのだ。彼もつらかっただろうに。


「マサオミ、私を呼び捨てにしてくれないか? キミにはその資格が有る」


 イサハヤが認めてくれたが、マサオミは素直に提案を受け入れられなかった。


「……いや、それは現世へ戻ってからのお楽しみに取っておくよ」

「しかし、現世へ戻ったら私達は敵同士になる」

「ならねぇさ。あんたは京坂キョウサカや現国王と戦う気だろう?」

「……ああ」

「戦争を引き起こした原因は桜里オウリにとっても敵だ。同じ相手と戦うなら俺達は同志だろう?」

「地獄での共闘関係を現世まで持ち越すということか?」

「そういうこった。部下達もきっと同じ気持ちだと思うぜ? 特にトモハルは親父さんが京坂キョウサカの政敵らしいからな」

「ふ……」


 イサハヤは右手をマサオミに差し出した。


「改めて宜しく頼む、同志よ」

「おうよ!」


 マサオミはその手を握り返した。

 子供の頃はイサハヤに憧れていた。兵士となってからは並び評される存在になりたいと願い、いつかは彼を超えたいと思っている。


(今はまだこの人に敵わない。だがいつの日か必ず)


 マサオミは想いを込めて、イサハヤの手を握る自分の手に力を込めた。強く、強く。イサハヤに腕力勝負を挑んで来たと勘違いさせるほどに。


 いつしか二人は指相撲を始め、その流れで腕相撲に移行した。

 がっちり組まれた大将二人の腕。力自慢同士の対戦だったが、イサハヤが優勢だった。押され気味のマサオミが巻き返しを図った。


「……なぁ真木マキさんよ、俺が男色だったらどうする? こんな風に至近距離で顔を突き合わせるのは危険じゃないのか?」

「その手には乗らないぞマサオミ。キミは真正の女好きだ。匂いで判る」

「どんな匂いだよ、気色悪いこと言うな」


 ジワジワとマサオミの腕が地面へ押し倒されていく。マサオミはイサハヤの背後に声を掛けた。


「おいおいエナミ、何で服脱いでんだよ。風邪ひくぞ?」

「何っ!?」


 うっかり振り返って力を抜いたイサハヤの腕は、マサオミによって押し返され地面へ付いた。


「マサオミ貴様、卑怯だぞ!」

「いやあの、こんな手に引っ掛かるとは……。真木マキさんあんた、本当に男色家ではないんだよな? ちょっと俺、自分の判断に自信が無くなってきたんだけど」

「訳の解らない言い掛かりを付けるな! もう一勝負だ!」


 再び二人は組み合った。今度はイサハヤが勝ち、決着を付ける為に更にもう一戦。

 結局イサハヤが勝ち越したが、今日と言う一日の中ではどうでもいい出来事だった。


「はははは。いい大人が二人して、何馬鹿なことやってんだろうな」


 マサオミが仰向けで地面の上に寝転んだ。


「まったくだ」


 イサハヤもマサオミに倣った。くだらない行動。だがイサハヤの沈んだ気持ちが少しだけ浮上した。年若い部下であるマヒトの死は、相当な後悔と憤りをイサハヤの胸に植え付けていた。


「なぁ真木さん、さっきも言ったけど、あんたがエナミを守りたいって気持ちは否定しないぜ? 守りたい相手が居れば人は強くなれるからな。つらい時でも立ち上がれる。俺みたいに」

「そうなのか?」

「俺は地獄で、惚れた女をこの手に掛ける羽目になった。あれは心底しんどかったし、本音を言えば一緒に死にたかった」

「……そうだったな、キミは大切な女性を亡くしたばかりなんだったな」

「でもさ、俺には部下のあいつらが居た。兵士と言ってもみんな十代のガキなんだぜ? 危なっかしくてさ、あいつら残して逝けなかった」

「マサオミ……」

「結果、今俺はここにこうして居る。生きる力をあいつらから貰ったようなもんだ。あんたもしんどいことの連続だろうが踏ん張れ。エナミも部下達も、きっとあんたの活力になる」

「ああ、もちろんだ……!」


 イサハヤとマサオミは頭上で、互いの拳を軽くぶつけ合った。

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