急に訪れた別れ(二)

「待って、何をする気ですか!?」


 セイヤが小刀を持つイサハヤ殿の右手にすがり付いた。


「マヒトに穏やかな死を与える。手を放したまえ」

「やめて下さい! こいつの生命力は強いんです! きっと回復します!」

「どけ、セイヤ」


 マサオミ様が命令したが、セイヤはイサハヤ殿の腕を放さなかった。


「こいつは何度も死の淵から戻って来た男なんです! 毒になんか負けません!!」

「馬鹿野郎! マヒトをよく見ろ! これ以上苦しませたいか!?」


 毒の効果なのか痙攣で舌を噛んでしまったのか、マヒトは吐血し出した。


「ああ……」


 セイヤはイサハヤ殿の腕を放してズルズルと崩れ落ちた。


「若き同胞よ、おまえのことは忘れない」


 イサハヤ殿はマヒトの首に当てた刃を、手前に引いた。


 頸動脈を切られたマヒトは首から大量の血を噴き出した。

 苦しそうに歪めていた顔は瞳がトロンとして、強張っていた身体から力が抜けた。

 終わったのだ。

 イサハヤ殿が左手でマヒトの顔を撫でてまぶたを閉じさせた。


「あ、あああ……! マヒトぉ!!」


 セイヤが動かなくなったマヒトに抱き付いた。返り血で身体を赤く染めながら、セイヤはマヒトの名前を何度も呼んだ。

 ついさっきまで元気だったマヒト。夕べ馬鹿馬鹿しい会話をして、一緒に雑魚寝したばかりなのに。

 もう彼は動かない。喋らない。


「ごめん、ごめん!! 俺のせいだ、俺がノエミの拘束を緩めたから! マサオミ様に油断はするなって言われてたのに! 俺が……俺がぁ!!」


 泣き喚くセイヤに、マサオミ様自身が否定した。


「セイヤ、おまえさんのせいじゃない。あの女はおそらく自力で関節を外して縄抜けができる。だから潜入役に選ばれたんだ。おまえさんが拘束を解こうが解くまいが、結果は同じだった」


 イサハヤ殿も同調した。


「その通りだ。責任が有るとしたら、それはここに居る全員だ。皆がノエミをもっと警戒するべきだったんだ」


 しかしセイヤの声は悲痛さを増した。


「でも……でも、やっぱり俺のせいです! 俺はあいつがエナミの姉ちゃんを気遣うイイ奴だって、そう思い込んで警戒を怠ったんです。それで……、だからマヒトが死んだんです!!」


 それは違う。セイヤを慰めなければ。だが俺も気持ちの整理が付かない。だって、こんなに早くマヒトが居なくなるなんて思ってもみなかったんだ。

 おかしいだろ? どうしてあいつが死ななきゃならないんだよ。

 兵士の中では一番年若く、生意気で向こう見ずで、でも仲間思いだったあいつが。


「ランのせい! ランがひとじちになったからいけないの!」


 突然ランがヒステリックに叫んだ。アオイがすぐにランを諫めた。


「それは違う! 悪者はあいつら! だからランが気にすること無いの。ランは良い子よ?」

「ちがうもん! ランはおかあさんをすてたわるいコだもん!」

「えっ……?」


 母親を捨てた?


「ランはいえでしちゃったの! おかあさんをすてたの! わるいコだからランはじごくにおちちゃったんだもん! うわあぁぁん」

「ラン、落ち着いて、ラン……」


 アオイが必死でランを宥めている横で、モリヤがボソリと呟いた。


「どうして、マヒトはそのままなんだ……?」


 皆の視線がマヒトに集中した。モリヤは独り言のようにボソボソと続けた。


「俺は一ヶ月以上も地獄に居て散々人の死を見て来たけど、みんなすぐに黒い霧に包まれて身体を失った。なのに、どうしてマヒトには変化が起きないんだ……?」


 確かに変だ。靴職人の青年、桜里オウリの兵士に商人の男、そしてマホ様。みんな例外無くすぐに身体が霧散した。

 マヒトだけは、セイヤの下でまだうつ伏せで倒れていた。


「うわっ!?」


 抱き付いていたセイヤが後ろへ倒れた。いや、倒された。

 上に乗っていた邪魔者を除いた後、マヒトの身体はゆっくりと空中に浮かび上がった。


「!?」


 誰の手も借りずに持ち上がったマヒトの遺体。皆は目を疑った。

 そして遺体はゆっくりと空へ昇って行く。


「マヒト!」


 ミズキとトモハルが手を伸ばしたが、バチッという音と共に両名は弾かれた。


「くそっ、見えない何かがマヒトの身体を覆っている!」


 誰も手を出せないまま、マヒトの身体は上昇を続けた。

 これはどういうことだ? 何が起きている?

 他の人間の死とマヒトの死が違っている。

 …………まさか!


「案内人! マヒトは罪をゆるされたのか? 極楽へ行けるのか!?」


 嫌な予感を払拭ふっしょくしたくて、俺は一縷いちるの望みに縋った。だが案内鳥は首を左右に振った。


『違う……。彼は、選ばれたんだ』


 嘘だ。違う、やめてくれ。そんな現実は受け入れられない。今度こそ心が壊れてしまいそうだ。


『マヒトは、新しい管理人になったんだ』


 案内鳥の残酷な宣言を聞いて、セイヤが咆哮した。


「うあああああ!! 駄目だ、駄目だぁッ!」


 彼は必死に空中に手を伸ばしてもがいた。


「戻って来い、戻って来いマヒトぉ!」


 しかしマヒトの遺体は既に遙か上空まで昇っていた。

 俺は鳥に詰め寄った。


「どうしてだ! マヒトは小さな子供をその身で庇って命を落としたんだぞ! どうしてそんなあいつが更に苦しむ羽目になるんだ!?」


 鳥ではなくミユウが答えた。


「……そんなあいつ、だからですわ。前に申し上げましたでしょ? 崇高な魂の持ち主が管理人に選ばれると」

「そんな……。そんなの……」

「地獄とは、どういう場所だとお思いですの?」

「……現世での罪を、償う場所?」

「その通りですわ。第一階層は生者が留まる場所ですが、下の階層と同様に刑罰は施行されておりますの」


 ミズキが質問した。


「それは管理人に選ばれることか? 戦うことか?」

「両方です。人間同士が殺し合う虚しさ、それを知る為に用意された罰なのです。だからこそ、管理人には殺したくないと思わせる相手……、人格者が選ばれるのですわ」


 殺したくない相手。マヒトが選ばれたのは必然だった。


「嫌だ、嫌だぁ! またおまえを殺すなんて嫌だぁ! マヒト!!」


 喉が裂けるかのような大声でセイヤは叫び続けた。

 しかしマヒトは上昇し続けて、ついにその身は雲の中へ消えた。

 俺は震えながらそれを見ていた。次に出会った時は殺し合う運命。暗い未来は変えようがなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る