蘇った悪夢(二)

☆☆☆



 これがあの時の出来事。封印していた俺が二歳だった頃の記憶。俺は思い出した全てをみんなに吐露とろした。

 セイヤが俺の肩を抱いていた。ミズキは唇を嚙んでいた。険しい目をしたイサハヤ殿が俺を気遣った。


「エナミ、少し休むか……?」

「俺は平気です」

「そうか。決して無理はするなよ。セイヤ、エナミがつらそうにしたらすぐに向こうへ連れて行ってやれ」

「……はい!」


 大丈夫だよ、みんな。もう頭痛は消えた。そして今の俺は二歳の幼児じゃない。事実に耐えられる大人になったのだから。


「エナミが語った内容は、ノエミの証言と一致しているな……」


 マサオミ様が言い、ノエミが頷いた。


「真実のみをお話ししています」

「では姐さん、隊抜けまでしておまえさんは何故ここへ来た? 隠密……忍びにとって隊抜けは死罪ではないのか?」

「そうですね。私は国の暗部に関わる仕事をしてきました。機密情報も持っています。シキ隊長も京坂キョウサカ様も私を消そうとなさるでしょう」

「命を懸けたあんたの望みは何だ?」

「キサラが組織から抜け出すのを手伝ってもらいたいのです。できれば州央スオウからも脱出させたい。それがずっとあの子の願いでした」


 え、姉さんを? 何故ノエミが?


「キサラ……、エナミの姉か。姐さんにとっては赤の他人だろう?」

「彼女には……、亡くなった娘の面影が有るのです」


 ノエミは目線を下げて身の上を語った。


「私は十代で娘を出産しました。しかし生まれて来た娘は、心臓に異常が有ったのです。高価な薬を与え続けなければ死に至るやまいです」

『病気……、薬……』


 俺の近くの木にとまっていた案内鳥の呟きが聞こえた。そちらも少し気になったが、俺はノエミの話を聞くことを優先した。


「夫は逃げてしまったので、私は独りで薬代を工面しなければなりませんでした。ですが看病も有る為に碌に働けず、借金を重ねることになったのです。返済の目途が立たず、娘と心中しなければならないほどに追い詰められた頃、組織の人間が私に近付いて来ました」

「助けてやるから組織に入れって?」

「そうです。女はいろいろと役に立つそうです」

「姐さんは見た目がいいからな、重宝されたろう」

「……でも病が進行し、娘は結局死んでしまいました」


 ノエミの瞳から涙がこぼれた。


「私はもう抜け殻も同然でした。ただ何となく生きているという状態でした。そんな時に、シキ隊長がキサラを連れ帰ったのです。彼女を見て、私は死んだ娘が戻って来たと錯覚してしまいました。それからずっと、娘のように思って彼女に接してきたのです」


 ノエミの涙は本物に思えた。


「だから皆さんには……、現世に戻った後にキサラを救い出してもらいたいのです。必ず追っ手が掛かるでしょうから、私一人の力では無理なんです」

「なるほどね。取り敢えず姐さんの言い分は解った。本心かどうかは別としてな」

「私は噓など……」

「悪いな。そう簡単に人を信じられる性分じゃないんでね」

「………………」

「ノエミ、ちょっと聞きたい」


 俺は口を挟んだ。


「姉さん……キサラには、俺達家族の記憶が残っているのか? それとも洗脳されて、全てを忘れてしまったか?」


 ノエミは俺の目をじっと見つめて、そして言った。


「覚えているわ。どれだけ強い教育を施しても、キサラは家族のことを忘れなかった。いつかお父さんと弟に会いたい、それがキサラの生きる原動力なのよ」

「姉さん……」

「キサラの好きなことは眠ることよ。たまにだけれど、夢の中でなら家族に会えることが有るから。暇な時はいつも寝ている。そんなキサラのことを、隊のみんなは眠り姫と呼んでいるの」

「眠り……姫」


 たまらなかった。俺は斬られて地獄へ落ちたが、姉さんにとっては現実世界こそが地獄なのだ。夢の中へ逃避したいと願う程に。


「キサラは負けん気が強くて意地っ張りで……、でも、そんな性格だから壊れずに済んだの」

「壊れる……?」

「ええ。私達忍びの者は汚れ仕事ばかり振られるから、心の弱い子は狂ってしまうのよ」


 イサハヤ殿の握った両の拳が白くなっていた。相当の力が込められているのだ。

 俺の胸はムカムカしていて、口の中が乾いていた。


 知らなかった。遠く離れた地で姉さんが苦しんでいたことを。俺は姉が居ることすら忘れていたのだ。

 俺も決して恵まれた幼少期ではなかったが、それでも父さんとセイヤが居てくれた。楽しいと感じられた充実した日々が有った。姉さんを忘れていたから。


 父さんは……つらかっただろう。俺の前では隠していたが、州央スオウに残して来た娘の身を案じて独り泣いていたのだろう。そして行方不明の姉さんを捜したかったのだろう。だが幼い俺が居たから下手に動けなかった。

 いずれ成長した姉さんが逆に、俺達を捜すんじゃないかと父さんは考えたかもしれない。だから危険を承知の上で、イオリとエナミの名前を変えなかったのではないか。姉さんが捜す手掛かりを残す為に。


 会いたいよ。父さんにも姉さんにも。

 家族同士が持つ当然の想いを、どうして踏みにじられてしまうのだろう。

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