蘇った悪夢(一)
母は昼間からずっと、台所と居間を往復してせわしくなく動いていた。夜に開かれる誕生会のごちそうを作っていたのだ。
姉は薄い色紙を花の形に折り、壁やテーブルに飾り付けをしていた。
俺は幼児用の椅子に座らされて彼女達を見ていた。退屈してきた俺に、父が木製の船の玩具を手渡してくれた。
「注文していたケーキを取って来る」
そう言って夕刻に父は家を出て行った。イザーカ国から伝わったとされるケーキは、当時は珍しい食べ物だった。家庭で焼くことができず、専門店でしか買えなかった。
「ことしはエナミもケーキ、ちょっとはたべていいんだよね?」
「そうね、もう二歳を過ぎたからね」
楽しそうに母と姉は会話していた。二歳の俺には何もしなくても幸せが有った。あたりまえに。
バンッ! と乱暴な音を立てて、鍵を掛けたはずの玄関扉が開けられた。会ったことのない五人の男達がズカズカと家に押し入って来た。
「ど、どなたですか、あなた達は!?」
男達は質問に答えず、母の腕を背中にねじり首に短刀の刃を当てた。
「ひっ……」
「奥さん、だよな? 旦那は何処に居る?」
「お、夫は……、ケーキを引き取りにお店へ……」
「ああん? 留守かよ!」
母を拘束した中年男へ、若い長髪の男が声を掛けた。
「せんぱーい、ちゃあんと情報収集しないとー」
語尾を伸ばす嫌な喋り方だ。
「うっせ。店に行ったんならいずれ戻って来るだろ」
「ああ、むしろ好都合だ。簡単に人質が手に入ったんだから」
異常事態を察した姉は俺の元へ駆け寄り、無言で俺を抱きしめた。
「それにしてもイオリの奴、ずいぶんイイ女と結婚してたんだな」
男達のうちの数人が、母の身体をねっとりと纏わり付くような視線で眺めた。
「隊長、この女ヤッてもいいか?」
「構わんが、イオリがいつ帰って来るか判らん。ジン、玄関で見張りをしろ」
「俺ですか? シキ、おめーがやれよ」
「隊長はジン先輩をご指名ですよー?」
「シキは戸口に立つと目立つ。おまえが行くんだ、ジン」
「チッ、しゃーねぇな。へいへい、見張りやりますからちゃんと俺にもその女、後で回してくれよ?」
「嫌! やめ、やめて下さい!」
二人の男が母を居間の床に押し倒した。
「イヤァァァァ!」
「うるせぇ!!」
悲鳴を上げた母は男に顔面を殴られた。鼻血で顔下半分が赤く染まった母はぐったりした。
「せんぱーい、あんまり無茶すると人質死んじゃいますよー?」
「別に構わない。人質は一人残っていればいい。そうだな、下のガキは残せ。あとは好きにしていい」
隊長らしき男が無慈悲なことを言った。
「アハハ、相変わらず隊長はおっかないや」
長髪の若い男がこちらに近付き、指で姉の顎を乱暴に上げ自分へ向けた。
「残念だねお姉ちゃん。キミはここで死んじゃう運命みたいだ。もう少し成長していたら、死ぬ前にボクと楽しめたのにねー?」
おぞましいことを言ってのけた男の指を、姉は強く噛んだ。
「ってぇ! このガキ!!」
若い男は怒りに任せて姉を左手で薙ぎ払った。床に強く叩き付けられた姉は動かなくなった。
「ほぉ、流石はイオリの娘だな。鍛えればいい戦士になりそうだ」
「ムカつく……」
「いや、本当に戦士として育ててみようか。まだ洗脳が可能な年齢だろう」
「隊長、本気ですかー?」
「ああ。シキ、その娘を連れて先にアジトへ戻っていろ」
「ええ!? ボクがイオリの首を獲って、大手柄を立てる予定だったのにー!」
「いいから行け。おまえが居ると現場がうるさい」
シキと呼ばれた男は渋々姉を背負い、居間から出て行った。
「やめて……、お願い、お願いだからキサラを返して……」
母は連れ去られる姉へ弱々しく手を伸ばした。しかし男の一人に
二歳の俺には、男達の行動の意味が解らなかった。それでも母と姉が酷い目に遭わされていると恐怖した。そして火が点いたかのように大声で泣いた。
「黙れ」
隊長らしき男に首を掴まれた。頸動脈を絞められたのだろう、すぐに俺は意識を手放した。
…………………………………………。
そして次に瞼を開けた時、俺のすぐ前には父の顔が有った。
「良かった、エナミ、良かった! おまえは生きていてくれたんだな!」
俺を抱きしめる父の肩越しに、滅茶苦茶になった居間が見えた。母が用意したごちそうは皿ごとひっくり返り、姉が飾り付けた造花には赤い液体が付着して汚されていた。
そして床に転がる人々。あの男達だ。そこには衣服を剥ぎ取られた母も混ざっていた。
「見るんじゃない!」
父は俺を抱き上げて両親の部屋へ連れて行った。その部屋はいつも通りで俺はホッとした。
「ここに居るんだ。父さんが迎えに来るまで絶対に部屋を出てはいけないよ?」
そう俺に言い含めてから、父は部屋を出て行った。
俺は寝具の隅で毛布にくるまって父を待った。また眠ってしまえば楽だっただろう、しかし目を閉じると母と姉の姿が脳裏に浮かぶので必死に起きていた。
一時間ほどだろうか、戻って来た父は全身血にまみれ、灯油が発する独特の香りがしていた。
父は着替えて少しの荷物を鞄に詰め込んで、最後に俺を背負った。そして玄関ではなく窓から家を出た。
外は暗くなっていた。
「おかあさん……は?」
たどたどしく尋ねた俺に父は答えず、人々が行き交う街路を足早に進んだ。
まだ死を知らなかった俺は母を残して行くことに
背負われながら後ろを振り返った俺は、家だった建物から火の手が上がるのを見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます