地獄五日目

統治する者の使い(一)

 五日目の朝を迎えた。途中でセイヤが見張りを交代してくれたので、俺も眠ることができた。

 目が覚めてまず、トオコの様子が気になりそちらを窺った。トオコは今まで通り、明るくランの相手をしてくれている。表面上は。

 ……いや、責任を取るつもりの無い俺が彼女を見ることはもうやめよう。偽善だ。


 マサオミ様が号令を掛けた。


「みんな起きているな? さっそく出発するぞ。案内人、州央スオウの兵士達は今何処に居る?」

『鎧のオジさんの隊はあっちの丘から動いていない。新しく落ちて来た兵士達は湿地帯エリアだね』

「そいつらとは遭遇したくない。急いで草原を突っ切って丘まで行こう」


 俺達は頷いて下山を開始した。

 聞くところによると、イサハヤ殿達が陣を張っている丘も隠れるには適した場所らしい。彼らと共闘することができたら、そこが俺達の新しい拠点となるのだろう。

 そう考えたら少しだけ寂しい気がして、俺は四日間寝泊まりした山のいただきを振り返った。ここでヨモギとトオコ、新しい仲間と出会ったのだ。


「もうすぐ草原だ。一気に抜けるぞ」


 先頭のマサオミ様の声を聞いて、しんがりの俺は気を引き締めた。隣を歩くセイヤも唇をキュッと結んで緊張した顔を造った。初陣の時を思い出す。

 どうか何事も無く草原を抜けられますように。


 しかし願い虚しく、すぐに事件は起きた。山道の入口に人影が在ったのだ。


「誰だ、あの女……」


 スラリとした体型の女がこちらを見上げて佇んでいた。日光を浴びて彼女の金色の髪が光り輝いている。


「異国の人間……か?」


 州央スオウだって異国に違いないが、一つの島国が五つに別れただけで元は桜里オウリと同じ民族だ。俺達は黒髪と黒い瞳を持つ。

 金や赤い髪は遠い海の向こうに在るという、大陸に住む人間達の特徴だ。例えば、今は友好国となったイザーカの国民達などがそうだ。

 桜里オウリの王都にはイザーカの裕福層が旅行客として訪れているそうだし、行商人なら地方の街や村でもチラホラ姿を見掛ける。旅の途中で野盗に襲われて地獄へ落ちる者も居るだろう。

 しかし彼女の黒が基調のヒラヒラとした服装は、とても旅人風には見えなかった。


「おい案内人、あの女の素性が判るか?」


 ランの傍でホバリングしていた案内鳥にマサオミ様は尋ねたが、鳥は首を傾げた。


『……いや。僕に与えられた知識の中に彼女の情報は無いよ。おかしいな、落ちて来た魂は全て知らされるはずなのに』


 どういうことだ? 第一階層の全てを知る者と豪語していたのに。

 みんなの視線が女に集中した。女はそれに気付いているのかいないのか、その場に立っているだけだった。まるで俺達を待っているかのように。

 見ているだけではらちが明かないな。あちらが動かないなら、こちらから行動を起こさなければ何も始まらない。ミズキも俺と同じ感想を持ったようだ。


「マサオミ様はこちらでお待ち下さい。私が話をして来ます。トオコとランは一番後ろまで退け」

「分かったわ。ラン、行きましょう」

「ミズキおにいちゃん、きをつけてね」

「……ああ」


 ミズキは独りで女の元へ向かった。俺は隣のセイヤに囁いた。


「刺激するとマズいからまだ構えないが、いつでも矢を放てる準備をしておけ」

「お、おう!」


 セイヤの弓を握る手に力が込められたことを確認してから、俺はミズキと女の様子に注目した。

 何を話しているかまでは聞こえなかったが、ミズキと女は一見穏やかに会話しているように見えた。

 しかし女の手がミズキの方へ伸びたと思ったら、ミズキがその手を払い後方へ飛び退いた。


「!」


 マサオミ様が抜刀して、俺とセイヤも弓を構えた。


「すみません、だ、大丈夫です!」


 戦闘態勢に入った俺達へ、ミズキが手を振って落ち着くよう合図を出した。攻撃された訳では無いのか?

 マサオミ様が刀を持ったまま、ゆっくりとミズキ達へ近付いていった。俺とセイヤも弓を構えつつ、距離を詰める為に山道を下った。

 ありがたいことにマヒトが、ヨモギと共に女子を守る為に残ってくれていた。あいつはすっかり俺達の仲間になったな。


「あら、素敵な殿方が揃っていらっしゃいますこと」


 金髪の女は、近くへ来た俺達の顔を順繰りに見て言った。武器を構えた男達に囲まれたというのに、まるで動じた様子が見られなかった。


「ミズキ、どうしたんだ?」

「いえこの女が、俺の首筋を撫ぜるように触ったので」


 ええ……?

 引く俺達に対して女はニコニコと微笑んでいた。ミズキに勝るとも劣らない、相当な美形だ。

 女からは敵意が全く感じられなかったので、俺達は一旦武器を下した。その様子を見て、マヒトら残留組も山道を下りて来た。


「俺は桜里オウリの軍人で、この隊を率いる上月コウヅキマサオミってもんだ。あんたはいったい何処の誰だい?」

「わたくしの名前ですか? 残念ながら名乗られる名前を持ちませんの」

『名前が……無い?』


 鳥がピクリと反応した。鳥は自分の名前を思い出せないと言っていたな。女もそうなのだろうか?

 女は辺りを見渡してから、こう答えた。


「そうですわね、ミユウ地方の下で出会ったのだから、わたくしのことはミユウとでもお呼び下さいませ」


 おや? ミユウとは確か……。マサオミ様が訂正した。


「ここの上は、今はカザシロって地名だぜ?」

「あら、名称が変わっていたのですか」


 女はクスクスと笑った。


「人の世とは……、儚いものですのね」


 何だか妙な奴だな。こいつはいったい何者なんだろう?

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