マサオミとマホ(六)

「統治者、おい地獄の統治者!! 見ているんなら助けてくれ! 俺の命をこいつに移せ! マホは現世に戻してやってくれ!!  頼む……頼む!」


 正に魂の叫びだった。少し掠れた声でマサオミ様は力の限り懇願した。

 マホ様は嘆くかつての恋人へ柔らかい笑みを向けた。


「いけません……。貴方にはまだ現世でやることが有る……。今もこうして、貴方の傍には人が集まっているでしょう……?」


 その通りだ。俺達はマサオミ様に頼っている。戦力でも心情的にも。彼は桜里オウリ軍になくてはならない人なのだ。


「私は……、貴方が居る世界が好きでした。現世だろうと地獄だろうと、貴方が居れば私の世界は色付いた……。いつでも……」

「マホ……?」


 マサオミ様は静かに聞いた。


「おまえは……俺を愛してくれていたのか?」

「ふふ……。何を今更言うんですか……」

「違うんだ、昔のことじゃねぇ。今も……今もだ。俺はおまえをずっと愛しているんだ。別れた後も、ずっと」

「気が合いますね……。私もです」

「おまえも……? おまえも、まだ俺を想っていてくれていたのか……?」


 マホ様は微笑んだ。


「貴方を忘れることなど……、私にはできません」

「愛していたと?」

「ええ、ずっと……」

「ではどうして!」


 興奮しそうになるのをマサオミ様は理性で抑えた。


「……どうしてあの時、あっさり身を引いて俺の前から去ったんだ?」


 あの時とは、二人の間に結婚話が持ち上がった時のことだろう。マサオミ様のお母さんが、軍人を続けるマホ様に難色を示して二人は別れたのだ。その後二人はそれぞれ別の相手を伴侶とした。マホ様を忘れられなかったマサオミ様の、結婚生活は長く続かなかったらしいが……。


「だってマサオミ……、貴方は軍人を辞めるつもりは無いでしょう……?」

「え? あ、ああ」

「軍人が貴方の天職だってことは……、私にも解っています。後方でどっしり構えていれば済む立場になっても、つい最前線へ出てしまう向こう見ずな性格も……」

「マホ……?」

「そんな貴方を守る為には、私も軍人でいなければならないじゃないですか……」

「!?」


 俺は理解した。きっとマサオミ様も。

 マホ様は妻として家庭を守ることより、戦友として共に戦地へ赴き、傍でマサオミ様の命を守る道を選んだのだ。


「マホ……おまえ……!」


 マホ様を抱くマサオミ様の腕が震えていた。


「ああ、目も見えなくなってきました……。いよいよ終わりのようですね……」

「マホ!? 駄目だ、逝くな!」

「嘆かないで下さい。私は元々死んだ身なんです……。数日間とはいえ、統治者が命を引き延ばしてくれたおかげで、貴方とまた会えた……。私は幸運だったんです……」

「幸運? 関係の無い相手を殺す管理人の役目がか!? つらかっただろうに!」

「それでも……。こうして自分の気持ちを貴方へ伝えられた……」


 マサオミ様は赤くなった瞳で、必死に泣くのを堪えているように見えた。マホ様との別れを認めたくないのだ。


「……心残りは、まだ幼いあの子達を残して去ることです……。母として、近くで子供の成長を見守りたかった……」


 うわ言のように小さな声でマホ様は呟いた。


「そしてヒビキ様……、いつも優しかった……、それなのに私は……良い妻になれなかった……。ごめんなさい……」

「マホ……」

「あなた達は……、幸せになっ……、ごめ……さい…………」


 マサオミ様の背に沿わせていたマホ様の腕が、ガクンと落ちた。


「マホ……?」


 マサオミ様は軽くマホ様を揺さ振った。


「おい、マホ! しっかりしろ!」


 揺さ振られるだけでマホ様に反応は無かった。


「マホ、マホ、駄目だ、マホ!!」


 見ていられなくなったミズキが顔を背けた。トオコはランを抱きしめて、セイヤは固い握りこぶしを造っていた。

 俺は目を逸らせなかった。父さんを止めることを選んだ俺にもこの悲しみは必ず訪れる。


「戻って来い! 頼む、俺はまだ……」


 マホ様の白い身体が黒いモヤに包まれた。ついにその時が来てしまったのだ。


「まだ……」


 マホ様の身体と服の輪郭がぼやけていって、やがてそれらは粒子となってマサオミ様の腕から離散した。止血用に巻いた俺のハチマキが行き場を無くして、空中をヒラヒラ浮遊してから地面に落ちた。


 マホ様として唯一残ったのは、か細い光の塊。

 マサオミ様は手を伸ばしたが、指を通り抜けた光は大地の下へ吸い込まれていった。


「まだ、おまえに謝れていないんだ…………」


 ハチマキに付いていた血液が消え去っていた。大樹に立て掛けていたあの大きな鎌も、気付かぬうちに消えていた。地獄の第一階層から完全に、マホ様の痕跡が失われた。


 マサオミ様は両手を地面にそっと置いて、そして大粒の涙をこぼした。


 ミズキが指で山道を指し示した。俺達に上へ行くように示唆しているのだ。大将の泣き顔を衆人に晒させたくないのだろう。

 俺達もマサオミをそっとしてあげたいと思った。ミズキに護衛役を任せて、一人、また一人とその場を去って行った。俺も少し離れた場所まで移動した。

 いざという時に戦えるように弓を握り、祈った。


 誰も来るな。どうか今日はこのまま、マサオミ様を静かに泣かせてやってくれと。




■■■■■■

(マホを抱きかかえるマサオミのイメージイラストは、↓↓をクリック)

https://kakuyomu.jp/users/minadukireito/news/16817330660830669713

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