二度目の夜(二)

「それにね、ランに似ているそのコは、自分に親切にしてくれた人の持ち物も盗んでしまったの。それでもう、みんな手を引いてしまったわ。あの親子には関わるなって」 

「そうか……」

「だからね、アナタやセイヤが生きて現世に帰れたら、末比マツビの街に一度行って、ランを保護してあげてほしいの。アタシにはもう……無理だから」


 ランの身の上も哀しかったが、トオコにも同じ感情を抱いた。彼女は確実に訪れる死の恐怖と戦いながら明るく振る舞っている。


「約束はできないが、できる限りのことはやろう」


 俺達だって明日すら危うい身だ。それでも知り合ったランに対して多少の情が生まれている。できることなら助けてやりたい。


「ありがとう、良かった……」

「ずいぶんと親切なんだな」

「アタシも似たような家庭で育ったからね、他人事とは思えないのよ。ウチの場合は父親ね。酒代欲しさに十五の娘を娼館に売るようなクズ親父だったわ」

「………………」


 さらりと自ら「娼館」と口にしたトオコ。気持ちの準備が出来ていなかった俺は驚いた。


「ふふっ、アナタは私が娼婦だって薄々感付いていたでしょう?」

「……ああ。だが決してあんたを色眼鏡で見るつもりは無い」

「解ってる。アナタい人だもの。セイヤもあの綺麗な小隊長さんも」


 トオコが艶っぽく笑った。マズイ。俺は目線を足元に向けた。


「父親は大好きなお酒を飲み過ぎて、身体を壊してすぐに死んだわ。まったく、娘を売ったことで死期を早めちゃうなんて馬鹿よね」


 そう言ったトオコの声は寂しそうに聞こえた。そんな所もランと一緒だ。碌でもない父親でも、彼女にとっては大切な存在だったのだろう。だからこそランとトオコの親へ俺は怒りを覚えた。


「アタシは契約金分を稼いで店主に返したら、すぐに娼婦を辞めるつもりだった。でもね、あと少しってところで、客から厄介な病気をうつされちゃってね」


 外した目線をトオコの横顔に向けた。衝撃的な告白をしたのに、トオコは清々しい顔をしていた。かつて訪れた街でやはり病を患った娼婦を俺は見ていた。


「……梅毒ばいどくか?」

「当たり。初期なら治療できたんだろうけど、アタシはもう手遅れ。薬で症状を緩和するだけ」


 性行為によって菌に感染し引き起こされる病気だ。全身に発疹が出るそうだが、痛みを伴わず一度消えてしまう為、治ったと勘違いして放置してしまう者が多いと聞いた。

 そして再発した途端に復活した発疹で皮膚がただれ、鼻が腐ってもげ落ちてしまうことも有るそうだ。少しずつ心臓や血管もむしばまれていき、十年ほどで死に至ると言う。

 トオコは十九歳だ。発症してさほど年数は経っていないはず。


「梅毒ならもっと生きられるだろう?」

「そのはずなんだけどね。お医者さんが言うには他の病気も有りそうだって」


 抵抗力が無くなって併発してしまったか。


「それにアタシ、酷い生活してたから。お世辞でも良い娼館とは言えない所だったからさ、もう身体がボロボロになってたのよ。だから進行が早かったんだろうね」

「明るく言うなよ」

「あはっ、ゴメン。でもねアタシ、包帯無しで人と話せたの久し振りでさ、凄く嬉しいのよ。いつも包帯で顔や腕を隠していたから」

「ああ、だから初めて会った時に包帯を気にしていたのか。家で寝ていたと言っていたが、現世の身体はまだ娼館に在るのか?」

「ううん。娼館は追い出されて安い家を借りているわ。たまに妹分達が様子を見に来てくれるの。アタシが死んだらすぐに火葬にして、共同墓地に入れてもらう手筈なのよ」


 トオコはもう死を受け入れていた。外部者が口出しすることではないのだろう。だが……。


「エナミ、どうかした?」

「……やり切れないんだよ。家族の為に身体を犠牲にしたあんたが、どうして病に苦しんで地獄に落ちなくちゃならないんだ? 何も悪いことしていないだろ!?」


 トオコはふっと笑った。


「してるよ? 病気になってからもしばらくは、アタシ客を取り続けたのよ? アタシを通して何人も感染してるはず」

「………………」


 でもそれは娼館の主の命令だろうに。立場の低い娼婦が主の命令に逆らえるはずがない。そして結局追い出されて……。トオコの人生とはいったい何だったんだ。


「ありがと、エナミ。でもアタシのことで悩まないでね。本当、この隊の男達は優しいよ」


 トオコは自身の手の甲をまじまじと眺めた。月にぼんやりと照らされた白い肌。


「セイヤに言うとまた怒られちゃうだろうけど、アタシはこのまま、この世界で死にたいなぁ。綺麗な身体のままで。ふふっ、セイヤったらアタシを二度も綺麗だって」

「……あんたは綺麗だよ」


 本心だった。

 笑顔のトオコが真顔になって、俺達はしばらく見つめ合った。


 紫色の華が咲いたかのようなあでやかな女。自分も大変なのに幼いランの行く末を心配してしまう優しい女。彼女を護れるまともな男が傍に居なかった為に、この美しい華は儚く身を散らそうとしていた。

 セイヤが同じ街で暮らしてトオコを知っていたら、絶対に彼女を助けようと動いただろう。いや、セイヤじゃなくても俺だって。


 トオコが頭を左右に振った。


「ヤバイな。おかしな気分になっちゃいそうだから、アタシもう戻って寝るね」

「……ああ」


 引き留めたい気持ちを抑えて俺はトオコを見送った。

 やるせない気持ちだけが残った。長い夜になりそうだな……。

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