地獄で最初の夜(二)

☆☆☆



 孤独な時間が過ぎ、ミズキと交代する時間が近付いた頃、風が動いた気がした。

 俺だけが起きているはずの闇の中に、何かが居た。

 シルエットから推測して野犬か狼だろう。よりによって。登山中に狼だけは勘弁してくれと願ったばかりだというのに。むしろあれでフラグを立ててしまったか?

 しかし幸いなことに気配は一つだけだった。

 俺達はしばし暗闇の中で睨み合った。


 どうして群れる習性を持つはずのコイツは独りなんだろう?

 勝手なことをやって群れから追い出されたのか。それとものっぴきならない事情で親兄弟を失ってしまったのか。俺のように。

 こんな場所に独りきり。さぞや孤独だろう。

 そう考えると相手に対して殺意を抱けなかった。弓から手は放さなかったけれど。


 何処かへ行ってしまえ。去るというのなら追いはしない。


「……………………」


 狼らしき大きさのソレは、来た時と同じように静かに消えた。

 構えていた弓を下ろした俺に、少し離れた所からミズキの声が届いた。


「エナミ、今ここに俺達の他に誰か居なかったか?」

「あ、はい。狼系の獣かと。もう去りました」

「そうか。気配で目が覚めたのだが、まだ目が慣れない」


 ミズキは声を頼りに俺の元まで来た。さっきセイヤが座った場所に今度はミズキが腰掛けた。


「獣も地獄へ落ちるものなのか? 奴らの罪とは何だ。生存する為に他者を食らう行為も罪とされるのか?」

「さあ。俺は虫も見ましたよ? あいつらには善とか悪とか無いように思いますけど」

「ランもそうだが、地獄へ落とされる判断基準がよく判らないな」

「ええ」


 次また鳥に会ったら、人間以外の魂について聞いてみるか。俺には憎まれ口ばかりだが、ランが尋ねれば有益な情報をドンドン提供してくれそうだ。


「…………すまなかったな」


 唐突にミズキが謝ってきた。


「何についてでしょうか?」

「おまえ達を敵に斬らせたことだ。俺達正規軍人の力が足りないせいで民間人の手を借り、あまつさえ守り切れず犠牲にしてしまった」

「そんな、ミズキさんが謝ることじゃないですよ!」


 桜里オウリの国は農業と観光でやってきた国なんだ。軍に多くの予算は掛けられない。兵士の数だって決して多くはない。

 隣国の州央スオウも似たような国情で、だからこそ協力し合って長らく仲良くしてきたのだ。


 それが州央スオウに新しい国王が即位してから状況が一変した。

 新国王は軍備強化推進派だった。予算の多くを軍に回し、海の向こうの大国から新型の武器を買い漁り、数年の短期間で州央スオウを軍事国家に変えてしまった。

 そして州央スオウは守ってやる替わりに、桜里オウリの資源と政治運営権を寄越せと言い出した。要は植民地になれと言ってきたのだ。

 我が国の王はそれを突っぱねた。それで戦争になった。


 俺だって州央スオウの支配下に置かれるのは御免だ。だが突っぱねる前に王は、周辺国に州央スオウの危険性を根回しして、味方を作っておくべきだったのだ。

 王と廷臣は平和ボケして行動が遅かった。その尻拭いを俺達がやらされている。


 ミズキは俺とセイヤが斬られた時、すぐ近くに居たんだったな。助けられずに見殺しにしたこと(厳密にはまだ生きているが)、ずっと気にしていたのか。

 俺がトモハルを助けに動いた時も付き合ってくれた。


「戦争が起きたのも、俺達が斬られたことも、ミズキさんのせいではありませんよ」

「俺に敬語を使う必要は無い。さん付けも」

「え、ですが……」


 ミズキは小隊長だ。先輩というだけでなく上司なのだ。軍では上下関係が絶対なのに。


「やめて欲しいんだ、頼む」


 どうして? イサハヤ殿も地獄にまで現世の関係を持ち込むべきではないと主張していたな。二人とも変わっていると思う。

 過酷な状況下だからこそ、上官は所持している権力を最大限に振りかざして、自分が生き延びる確率を少しでも高くしようと画策するものではないのか? その為には下級兵を捨て駒にすることも躊躇ためらわずに。


「エナミ、かえって気を遣わせてしまっているか?」

「あ、いいえ。ちょっと戸惑っただけです」


 ミズキから他意は感じられない。純粋に対等の立場で話したいだけのようだ。

 しっかりしているが彼もまだ若い兵士だ。階級と年齢が上なので俺達のリーダーを務めてくれているが、ミズキだって地獄に落とされて不安なのだろう。軽口を言い合える気楽な相手が欲しいのかもしれない。 


「……では、お言葉に甘えて、これからは普通に話させてもらう」

「そうしてくれ」

 暗闇でミズキが微笑んだ気がした。 


「見張りを代わろう。俺の身体……、魂は充分に休まったから」

「はい、じゃなくて……ああ。頼むよ」

「少しでも寝ておけよ」

「うん」


 どうせそろそろ交代時間だった。俺はミズキの申し出を受けて眠ることにした。

 地獄へ落ちて初めての夜。いろいろと考えてしまって疲れてしまった。頭を休めたい。今ならまぶたを閉じればすぐに睡魔が訪れそうだ。


 ……眠っている間に、時間切れになって死ぬとかないよな? このまま目が覚めなかったらどうしよう。

 一抹の不安を覚えながら、俺は大樹の側に寝転んだ。

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