束の間の休息(二)

「でも貴方は州央スオウの将でしょう? 俺は敵対する桜里オウリの兵ですよ?」


 俺にとって立場の違いは大問題であるのに、イサハヤ殿は軽くいなした。


「そりゃ、現世ではね。地獄にまで来て立場や地位にこだわるのはやめようよ」

「できないです」


 俺は即答していた。

 イサハヤ殿は軽く面喰らった様子だったが、すぐに柔らかい笑顔を俺に向けた。


「キミは、自分の出自を大切にしているんだね」


 それは違った。逆だ。俺には何も無かったからこそ。


「……立場を捨てたら、俺が居なくなるんです。桜里オウリ国のエナミ。これがようやく俺が手に入れた、たった一つの居場所なんです」

「エナ……ミ……?」


 イサハヤ殿は目を丸くした後、しげしげと俺の顔を見つめた。


「? あの、俺の名前がどうかしましたか?」

「似ていると思ったが……やはりそうなのか……?」


 イサハヤ殿は独り事のようにブツブツ言っていた。


「似ているって、俺が誰に……」


 言ってから慌てた。俺が矢を放った弓兵だと気づかれてしまったか!?

 距離を取ろうとした俺の腕をイサハヤ殿が掴んだ。


「……エナミ、キミがどう育ってきたのか教えてくれないか?」


 思わず身構える俺に、イサハヤ殿は真面目な表情で告げた。


「大丈夫、私はキミと敵対する気は無い。地獄という奇怪な場所で出会ったキミのことを、もっとよく知りたいだけだ」


 やっぱり俺が仇だと疑っているのだろうか? 掴まれた腕が震えそうになる。


「す、すみません。命の恩人の貴方ではありますが、自国の情報を流す訳には……」

「なら子供の頃の話を聞かせてくれ。桜里オウリでキミはどう過ごしたんだ? ようやく手に入れた居場所とはどういうことだ?」


 え? 子供の頃の話でいいのか? それなら……。


「俺は子供の頃、父親に連れられて各地を転々としていた根なし草だったんです。物心がついた頃には既に旅をしていました」

「父親に……。父の名前は何と言う?」


 父さんの名前か。言っても構わないよな? 桜里オウリの小さな村に住んでいた一国民だ。


「イオリです」


 俺の腕を掴むイサハヤ殿の手に僅かな力が込められた。しかし殺気は感じられない。彼は何を知りたいのだろう。


「そうか……。どうして旅をしていたんだ?」

「早くに亡くなった俺の母を忘れる為に、気を紛らわしたかったそうです」


 伏し目となり唇を噛んだイサハヤ殿。俺は訳が解らずとにかく先を話した。


「それで……国や家を持たずに放浪することを、昔の言葉で流寓リュウグウって言ったそうです」

流寓リュウグウ、か」

「人の出入りが激しい都会の街ならいいんですけど、小さな町や村では、流れ者は奇異な目で見られるんです。明らかな敵意を向けられることも」

「………………」


 俺は自嘲した。


「とある村では流寓人リュウグウビト流寓人リュウグウビトって、造語で俺達親子は呼ばれて馬鹿にされました。悔しかったし、とても惨めでした。だからずっと居場所が欲しかったんです」


 どうして俺はこんなつまらない話を、この人に話して聞かせているのだろう?


「放浪の旅を続けた父親を恨んでいるか?」

「いいえ。厳しい人でしたが、同時に優しい人でもありましたから」


 そう。父さんに恨みが有るとしたら、俺を置いて早死にしたことぐらいだ。


「……クドクドとすみません。でも俺、桜里オウリの小さな村でやっと家と友達を手に入れて。だから桜里オウリの人間だということに拘りたいんです」

「そうか」


 話を聞き終えたイサハヤ殿は、少しの間目を瞑っていた。その後、腕から放した右手を、今度は俺の前に差し出して来た。


「?」

「エナミ、キミは桜里オウリのエナミのままでいい。私は真木マキイサハヤだ。そして私は州央スオウの人間として、キミに休戦協定を申し入れる!」

「え……、ええっ?」


 急に何を言っているんだ?


「地獄を脱出するまで一時休戦といこう」

「ちょ、ちょっと待って下さい。貴方は自分がどうしてここに居るか忘れたんですか!?」

桜里オウリの兵に討たれたからだ」


 俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。


「そうです……。桜里オウリに恨みは無いのですか?」


 桜里オウリと言うよりも矢を放った兵士に。

 イサハヤ殿はあの時、俺の顔を見ていなかったのか?

 俺の過去話を聞きたがったのは、本当に純粋な興味からだったのか?


「キミだって州央スオウの兵にやられてここに居るんだろう? だったらお互い様だよな」

「でも貴方は軍の高官で、俺は徴兵された平民の新兵です。命の価値が違います」

「命の重みは平等だろう? 身分に関係無く」

「いいえ。貴方は底辺の兵士の待遇をご存知ないから。使い捨てされる軽い命なんです。田舎で暮らしていた俺ですら名前を知っていた、州央スオウの勇将、雲の上の貴方と俺とでは違うんです!」

「………………」


 言い過ぎた。流石に怒らせただろうと俺は心配になったが、イサハヤ殿はニカッと笑った。


「その高官で勇将、雲の上の人間の私も討たれてキミと同じ場所に居る。平等だろう?」


 何て人だ。器が大き過ぎる。これも名将に求められる素質の一つか。


「……………………」


 俺は迷い抜いた末、差し出された手を握り返した。

 握りダコの付いた、固い武人の掌だった。

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