束の間の休息(一)

「ああ、目が覚めたのか」


 イサハヤ殿に優しく声を掛けられて、俺は居心地の悪さを感じた。

 そして俺には眠っていた自覚が無かった。


「俺……、眠っていたんですか?」

「あの後すぐにね。気絶と言った方が正しいのかもしれないな。と言っても、小一時間くらいだよ」


 あの後とは、管理人が去った後のことか。ぼんやりとした頭で少しずつ思い出した。

 俺は崖から落ちて大怪我をしたんだったな。激痛か、それとも極度の緊張のせいか、俺は意識を保てなかったらしい。


「気分はどうだ? 痛みは酷いのか?」


 聞かれて、身体の痛みが消えていることに気づいた。滑落の衝撃で骨を何本もやられているはずだから、痛みが消えるには早過ぎるのだが。

 まさか、まさか、まさか。悪化して骨が神経を圧迫して、全身が麻痺してしまったのか!?


「……大丈夫か?」


 暗い想像をしてしかめ面になった俺をイサハヤ殿が気遣った。善い人だ。だからこそつらい。


「は、はい、大丈夫です……」


 そうだ大丈夫。とりあえず口はきけるんだ。他の部分だってきっと大丈夫だ……。

 俺は怖々、草の上に横たわっている身体を起こす努力をしてみた。

 軽い。俺の上半身はすんなり起き上がった。


「ええっ?」


 思わず頓狂とんきょうな高い声が出てしまった。


「どうした!?」

「ええと、あの……身体が、普通に動くんです!」


 俺は両腕をいっぱいに伸ばしたり、指を開いたり閉じたりしてみた。膝も立つ。麻痺は起きていないようだ。


「そうか。身体も回復したのか」


 イサハヤ殿がぼそりと呟いた。身体も? も、とは何だろう。

 それにしても驚きだ。あの痛みは心理的なものだったのだろうか?

 俺は自分が落ちた崖の方を見やった。ずいぶん高い土壁がそびえ立っていた。あの急斜面を猛スピードで転がり落ちて、無傷でいられる訳はないと思うのだが。

 納得できないままふと横を見ると、俺の弓と矢筒が草の上に置いてあった。


「あれ、これ……」

「ん、ああ、寝るのに邪魔だと思って外させてもらったよ」


 折れたはずの弓が美しいフォルムを取り戻しており、矢筒の中には満杯に矢が収納されていた。


「俺の弓、修繕して下さったんですか!?」


 手に取ってみて驚いた。どうやったのかは判らないがまるで新品だ。この弓は軍から支給されたものではなく、父から買ってもらったわば形見だったので、直ってまた使えるのは本当に嬉しい。


「矢も揃っているし……。何から何まで、本当にすみません!」

「いや、それは……」


 イサハヤ殿が困ったように笑った。


「勝手に直ったんだよ。矢もいつの間にか集まっていた」

「え、そんなこと……」


 有る訳がないでしょうと言い掛けて、やめた。ここでは何が起きても不思議ではない。


「キミはもう案内人に会ったのかな?」

「はい」

「ならば彼に聞いただろう。今の私達の姿は魂が具現化した姿だと。キミを見て思ったんだが、具現化したのは身体だけではないようだね」


 どういう意味だろう? 俺はイサハヤ殿の次の言葉を待った。


「身に着けている物、服や武器も魂が造り出した魂の一部なんだよ。魂さえ回復すればボロボロになった身体や装備品も元に戻る、そういうことじゃないかな?」

「ああ、なるほど」


 だから俺の身体は短期間で回復したのか。


「つまり、管理人に襲われても即死さえしなければ、何度でも復活できる」

「あっ、そうか!」


 俺は身を乗り出した。重い雲が覆う空から光が射し込んできた気がした。

 それなら勝てなくても傷を負わされても、負けじゃない。何度でも挑戦できるんだ。

 鳥め、重要な事柄はキッチリ伝えておけよ。説明しなければならない魂が多くて大変そうだったが、忙しさを理由に仕事をおろそかにするな。


「ただ心配なのが、タイムリミットだな」


 イサハヤ殿が険しい目をした。


「この世界には、時間の概念が有ると思うかい?」

「時間……ですか。すみません、どういうことでしょうか?」

「現世に残してきた私達の身体が、いつまでつかという話だ」

「あ……!」


 こちらの世界が慌ただしくて忘れていたが、現世の俺達は瀕死の重傷、いつ死んでもおかしくないのだ。


「魂が無事でも、肉体が滅べば戻ることができなくなる……!」

「そう。こちらでも現世のように時間が流れているのだとしたら、私達は急いで行動を起こさなければならない」


 生き残る為に取るべき行動、それは一つしかない。


「生者の塔へ向かうんですね?」

「そうだ。身体が大丈夫なら準備してくれ。すぐにでも出発したい」

「えっ?」


 当たり前のように言われた。


「俺も……、一緒にですか?」

「もちろん。何か不都合が有るのかい?」


 不都合……。有りまくりだろうに。


「あの」


 俺は疑問に思っていたことを、ついに口に出した。


「どうして、敵兵である俺を助けてくれたのですか?」

「どうしてって……、そうだな」


 イサハヤ殿は腕組みをして、少しばかり考えを巡らせた。


「うーん、特に理由が思い当たらない」

「ええっ?」

「助けたかったから、そうした。そうとしか言えないよ。強いて言えば、キミは昔の友達によく似ているんだ」

「………………」


 俺は戸惑った。ほとんど初対面の相手に、こんなにも友好的で親切に接する大人に、今まで出会ったことが無かったのだ。ただ知人に似ているというだけで。

 悪意の塊みたいな子供も居たが、それでも彼らは無邪気だった。対して大人達には経験からつちかだった警戒心が有る。見知らぬ人間には距離を置くものだ。

 優しいセイヤの両親にさえ、最初は腫れ物を触るように扱われた。

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