地獄一日目

案内人と管理人(一)

 乾いた風が頬を撫ぜた。

 まぶたを上げた俺の瞳に映ったのは、荒廃した大地。

 湿り気が無くヒビ割れた土。点在する樹木は枯れてしまったのか葉を落とし、鋭い枝のみが残っていた。


 俺は自然豊かな森に居たはずでは? 全て焼けてしまったのか?


 身体に掛かっていた、セイヤの重みが消えていた。

 曇った暗い空の下、俺はたった一人で知らない土地に佇んでいた。


 何故俺は立っていられるんだろう?


 身体を確認して気づいた。腹の傷が綺麗に消えていた。

 そんなはずは無かった。確かに斬られたのだ、あのトモハルという男に。

 しかしどれだけ探しても傷どころか、服のほつれすら見当たらなかった。

 支給されたばかりの真新しい軍服に身を包み、左手に弓、背中には矢筒。昨日の朝早く、兵士詰め所を出た俺の姿そのままだ。


 何だ? 何がどうなっている?


 俺の頭は混乱したが、答えてくれる人間は居なかった。 

 周囲を見渡しても、生き物の気配といえば遠くを飛ぶ黒い鳥くらいだ。

 両軍合わせて、四千を超える兵士が森に集結して殺し合ったのに。彼らはいったい何処へ消えた?


 ここは……。


 寂しい風景に目が慣れてきた俺は、やがて一つの結論に辿り着いた。


 ここはもしかして、死後の世界か……?


 そう考えると納得ができた。

 風の音しかしない、孤独に支配された世界。

 死へ繋がる痛みも苦しみも消えていたが、喜びや楽しみとなる要素が一切無い虚無な空間。


「俺は、地獄に落ちたんだな……」


 声に出して更に実感した。

 善行を積んだ人間の魂は極楽へ行けるらしいが、敵国の兵士とはいえ、何人も殺めてしまった俺の魂は穢れてしまった。

 地獄こそが俺にとって相応しい終着地なのだろう。


『やあ、新入りさん!』


 頭上から元気の良い声が降り注いだ。

 突然の出来事に身体をすくめた俺は、声の主を確認しようと周囲を確認した。

 近くの枯れ木に黒い鳥がとまっているだけで、人の姿は無かった。


「誰だ? 誰か居るのか?」


 俺は警戒したまま、姿を見せない誰かに問い掛けた。


『ここだよ、僕だよ』


 何ということだ。黒い鳥が流暢な人の言葉で返事をした。

 カラスによく似ているが、カラスにしては身体が巨大で、青いクチバシを持つ奇怪な鳥だった。


『初めまして。僕はここの案内人』


 人じゃないだろうとツッコミたくなるのをこらえて、俺は鳥に聞き返した。


「案内人?」

『そう。ここへ落ちた魂達に、生者の塔についての説明をするの。それが僕に与えられたここでの役目』


 鳥と会話が成立してしまっている。死後の世界とは何でも有りなんだな。


『何度も説明したくないから、一回で覚えてね。この世界の何処かに、生者の塔と呼ばれる建造物が在るんだ。そこへ無事に辿り着ければ、キミの魂は現世の肉体に戻れるよ』

「えっ」


 鳥はあっさりと、しかしかなり重要なことを語った。


「俺は生き返られるのか?」

『そもそも、キミ達はまだ死んでないよ』

「キミ達……?」


 俺は再び周辺を窺った。俺達以外の者は見当たらなかった。


『この世界広いからね。あと、即死した人はここに来ないし』


 俺は感じていたことを尋ねた。


「ここは……、地獄なんだよな?」

『そうとも言えるし、違うとも言える。死に切れない魂が、地獄の扉の前でウロウロしている状態だよ』

「死に切れない……?」

『キミのその服装、兵士だろ。戦って重傷を負ったんじゃないの?』


 俺は素直に頷いた。


「そうだ。敵に斬られた。……友達も」

『でも死んではいない。瀕死だけど、キミの肉体はまだ現世で生きてるんだよ』

「じゃあ、今ここに居る俺は何だ?」

『魂が具現化した姿だよ。かろうじて生きてはいるけど、魂は肉体から離れてしまったんだ』

「どうすればいい?」

『……肉体に戻りたければ生者の塔へお行きよ。さっきも言ったけどね』


 鳥だから表情がよく判らなかったが、奴はイラついたようだ。そういえば、同じことを何度も説明したくないと言っていたな。

 俺は構わず聞いた。


「塔に着いたらどうすればいい?」

『中に在る石碑に手をかざすんだ。そうすれば魂はこの世界から解放される。ただし、塔には簡単に辿り着けないよ?』

「道が険しいのか?」


 鳥は試すような視線で俺を見た。


『それも有るけど……、管理人に邪魔されるからね』

「管理人?」

『ここで魂の管理をする者の総称だ。複数人居る。彼らは死に切れない不安定な魂が大嫌いなのさ。キミを見つけたらすぐに襲い掛かってくるよ』

「襲って、それから?」

『持っている鎌でキミを斬り刻む。魂が傷付けられたら、現世の肉体も滅んでしまうよ。つまり完全に死ぬってことだ。だから管理人達は死神とも呼ばれてる』


 現世の森で斬られて、ここでも斬られるのか。あの痛みと不快感をもう一度味わわなければならないとは。いや、魂なら痛みを感じないのか?

 鳥が俺の心を読んだかのように言った。


『この世界でも痛いものは痛いよ。嫌なら必死に逃げるんだね』

「完全に死んだ後はどうなる?」

『ここより更に下の階層、扉の先の地獄へ落ちることになる』

「そうか……」

『稀に許されて、極楽へ行く魂も有るそうだけど。ま、そんな奇跡は期待しない方がいいよ』


 そして鳥は羽を広げて飛び立とうとした。


「おい、何処へ行く?」

『僕はキミ専用の案内人じゃないんだよ、死に切れない魂は他にもたくさん居るんでね。ちょっと前から続けてボロボロ落ちてきてる。上の世界では戦争でもやってんの?』

「……まぁ、そうだな」

『仕事が増えていい迷惑だよ』


 ずいぶんと人間味溢れる鳥だ。あの世で世間話ができるとは思わなかった。


『そういう訳で、僕は他の人にも説明しに行かなきゃならないの』

「大変だな」

『……他人事みたいに。キミって淡々としてるよね、他の人はもっと必死に聞いてくるよ。生き残りたくないの?』


 問われて俺は首を傾げた。俺は現世へ戻りたいのだろうか?


『変わってるね、キミ』


 今度こそ鳥は大空へ飛び立った。

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