第9話

リハビリ室は病棟とは別棟にある。


別棟と言っても、特別室からまっすぐ進んで行けば辿り着く設計になっている。


突き当たりを曲がり、一番奥まった観音扉を開けば、そこがリハビリ室だ。


チームの医療班やトレーナー戸波が話し合い、病院から特別な許可を受けた光田専用のリハビリや筋トレの器具が持ち込まれた。



 目覚めた光田は布団から起きると、椅子に掛けていたティーシャツに着替えて静かにリハビリ室へ向かった。


扉を開けると風が吹き抜けた。


窓が開き、カーテンが揺れている。

誰か先客がいるようだ。


一番角の開いた窓際に、こちらに背を向け外を眺めている人影がある。


光田はそよだとすぐに気づいた。


ぼんやり見つめていたら、振り向いたそよと目が合った。


そよはこちらに全く気づいていなかったようで、まるで幽霊に出会ったように体がブルリと震えた。


それから慌てて、「おはようございます」と頭を下げた。


幽霊ではないと理解したようで、そよの表情には先程とは打って変わり、目尻を下げたいつもの笑顔が浮かんでいた。


そよは手にした雑巾にアルコールを吹きかけると、再びリハビリ器具を磨き始めた。


コロナで消毒については、どこも丁寧に行っている。

そよも慎重にアルコール消毒を続けていた。


ストレッチをしながら脇目でそよの様子を伺った。


そよは相変わらず、他の人たちのように熱い視線でこちらを見るわけでもなければ、少しでも親しくなろうという様子もない。


当たり前のように好意、または敵意を持たれ、それをさばくことが日常となっていた光田にとって、すでに忘れていた懐かしい感覚だった。


いいや。


ただ単純に野球に興味が無く、自分など知らないのかもしれない。


一人で色んなことを考えて、ふと顔を上げると、窓際で何かを眺めているそよの姿があった。


近づいてみると、カーテンに茶色く透明なセミの抜け殻がくっついていた。


セミの鳴き声がジリジリするこの場所なら、そこら中にあるだろう。


光田は幼い頃、友達とよくセミの抜け殻を集めた。

プロ野球チームのレプリカ帽子に集めてくるものだから、抜け殻の脚や節々が帽子の布地に刺さり、母に嫌がられた。


また、懐かしい気持ちが湧いてくる。


「抜け殻ですか」


光田が声がをかけると、そよはこちらを振り向いて「はい」と頷いた。


無邪気で不思議な子だな。


光田も自然に笑みが溢れていた。

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