第5話(終) 眠れぬ夜の出来事
大規模な公共工事の不正発覚は、社会に大きな衝撃を与えた。
建設会社は経営陣の刷新を迫られ、不正に関わった社員たちは逮捕された。
美音はスマホでニュースを見ながら朝食を取っていた。
世間は冷ややかな目を向け、このニュースを見ていた。
自分の身に実害が生じていないので、対岸の火事のように感じているのだろうが、美音は違った。
彼女だけは拓也の死を乗り越えて、前を向いて生きていた。
そして、美音は思った。
自分がしたことは何だったのだろうと。
拓也は無念の思いを遂げさせることで、この世への未練が無くなった。
もし、自分が拓也の死の真相に気が付かなければ今でも自分は拓也と他愛もないが楽しい日々を送っていたのかもしれない。
美音は考える。
自分は、本当にこれで良かったのだろうかと。
友達に誘われて合コンに参加した。
相手は大学生の男子たちで、美音は彼らの話題についていけず退屈していた。
理由は分かっていた。
美音は大学で孤立していたからだ。
原因は美音にある。彼女は無口で、誰とも親しくしようとしない。
美音は、そんな自分に嫌気がさしていた。
だから、無理をしてでも他人と関わりを持ちたかった。
今回の合コンもそう。
誰かと親しくなりたいと思っていた。
でも、無理だった。
美音は、楽しそうにする同級生を尻目に離席することにした。
幹事に飲み代を余分に渡す。
そして、美音は店を出た。
街の通りは、夜だというのに賑やかで人が多かった。
繁華街を歩く美音の肩に男がぶつかった。
男は舌打ちをし睨みつける。
美音は感情もないままに、虚無的に少し頭を下げる。
すると、男は気にも留めずに歩いて行く。
変な女だと思ったから。
美音は溜息を吐く。
少しして首筋に冷たいものを感じた。
雨だ。
にわかに周囲の人の動きが慌ただしくなる。
だが、美音は立ち止まらない。傘を持っていないが、彼女は気にしなかった。
そのまま歩き続ける。
ふと、後ろから声をかけられた。
「あの……」
振り返ると、そこにはスーツ姿の男がいた。
彼は美音に声をかける。
「このままでは濡れてしまいますよ。どうしたんですか?」
美音は無視する。
しかし、しつこく話しかけてきた。
美音は、ついに苛立って怒鳴った。
「うるさいわね。放っておいて!」
美音の言葉を聞いた男は、黙り込んでしまった。
美音は後悔した。
初対面の相手に、こんな態度を取ってしまったことに。
しかし、もう遅い。
美音は、その場を去ろうとした。
その時だった。
美音は背後から抱きしめられた。
「ごめんなさい。美音さん」
耳元で囁かれた言葉に美音は驚く。
美音は思わず叫ぶ。
どうして自分の名前を知っているんだと。それに知らない異性に抱きしめられているというのに不思議と不快感は無かった。むしろ心地よかった。まるで昔から知っているかのような安心感があった。
美音は背後を振り返って、男の顔を見る。
瞳孔が開くのを感じた。
なぜなら、目の前にいるのは拓也だった。
美音は混乱している。
何故なら死んだはずの拓也が、ここにいるからだ。
「え!? 拓也さん。どうして」
美音は戸惑っている。
すると、拓也は言う。
「僕は死んだ訳じゃなかった。幽体離脱をしていたんです」
【幽体離脱】
意識や霊魂が肉体から離れているとされる状態をいう。
外傷性脳損傷や感覚遮断、臨死体験、解離性およびサイケデリックの幻覚剤、脱水、睡眠障害と夢、および脳への電気的刺激などによって誘発される。
また、修行中のヨーガの行者や研究などの目的で一部の人々によって意図的に誘発される場合もある。
幽体離脱時に仮想肉体が想像で形成され、自分の身体を見ることができ、普段生きている状態よりも反応が遅れ若干不自由に感じるとされる。
彼は、あの日のことを話した。
会社からの圧力に耐えかねて、不正を暴こうとした。
しかし、それが原因で殺された。
静かな所で、冷静に話をしたいという渡辺宏樹によって、屋上から突き落とされたが、運良く駐車場に停めてあった自動車の上に落下。奇跡的に助かったのだという。
だが、病院に搬送された時は心肺停止の状態であり、蘇生を試みることで心肺は動いたが、意識は戻らなかった。
以降、拓也は霊体となって活動していただけであったという。
死亡というのは、報道の飛ばし記事だったのだ。
そして、拓也が美音の前から消えたのは、成仏ではなく肉体の回復に伴い、魂が肉体に戻ったためだった。
拓也の話を聞いて、美音は納得した。
しかし、それでも美音は拓也が自分の前に現れたことに困惑していた。
そんな彼女に拓也は言う。
ごめんなさいと。
そして、彼は美音を抱きしめる。
彼女の体温を感じる。
温かくて、柔らかい。
拓也は、ずっとこうしたかったのだと美音に伝える。
しかし、美音には拓也の気持ちが今一度知りたかった。
だから、訊ねる。
「あなたは、私のことを好きなの?」
と。
拓也は答える。
「好きですよ」
美音は嬉しくなって、彼の背中に手を伸ばす。
眠らない街の、眠れぬ夜の出来事であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます