第6話 喧嘩してみた

 接近してくる冒険者は背中に大剣を背負っている。

 禿げ頭と悪人面のせいで盗賊のような印象を受ける。

 いや、昔は本当に盗賊だったはずだ。

 俺はこの冒険者に見覚えがあった。

 無意識のうちにため息を吐く。


(厄介な奴に絡まれたな)


 この男は、確か街のならず者として有名だったと思う。

 ギルドでも要注意人物だと認定されていた。

 実力はそれなりにあるのだが、問題行動を頻発するのである。

 喧嘩で同僚の冒険者を再起不能にしたのも一度や二度ではない。

 それでも冒険者の資格が失効されないのは、この男が貴重な戦力だからだ。

 ギルドは実力至上主義な風潮があり、強く言えない部分があるのだった。


 男の顔付きからして酔っているのは明らかである。

 足取りがかなり不安定だ。

 既にかなりの量の酒を飲んでいるらしい。

 声をかけてきたのは、豪快に飲むビビを見て興味を抱いたからだろう。


 男がすぐそばに来ても、ビビは飲むことをやめなかった。

 気にした様子もなく料理を頬張る。

 その態度に苛立ったのか、男がビビの肩を掴もうとする。


「おい。無視すんなよ」


「触らないで」


 ビビが男の手を払った。

 乾いた音が鳴り響き、緊張感が場に走る。

 いつの間にか客達は静まり返っていた。

 彼らはビビと男のやり取りを見守っている。

 どちらが勝つのか気になっているのかもしれない。


 男の顔に怒気が差していた。

 酔いを上回る激情が膨れ上がりつつある。

 血走った目の男は口を開いた。


「生意気だな、お前」


「ご主人と楽しく飲んでるから邪魔しないで」


 ビビは目も合わせずに言葉を返した。

 それを聞いた男は嘲るように笑う。


「へぇ、ご主人ってことは奴隷なのか! ちょうどよかった、俺の世話もしてくれよ。最近は女を抱いてなくて欲求不満なんだ」


「…………」


 ビビが飲食を止めて男を睨み付ける。

 さすがに我慢できなくなったようであった。

 男は鼻を鳴らして睨み返す。


「何だよその目は」


「邪魔。消えて」


「ハッ、奴隷のくせに指図すんなよ。調子に乗ってると痛い目を見るぜ」


 男がそう言った次の瞬間、ビビが動いた。

 その場で宙返りをしながら、爪先で男の顎を蹴り抜いたのだ。

 予備動作を感じさせない完璧な動きだった。

 不意の一撃を受けた男が吹っ飛ぶ。


「ごぁっ……!?」


 男が近くのテーブルにぶつかって派手にひっくり返した。

 酒のグラスと皿が床に落ちて割れる。

 食べかけの野菜とソースが男の頭に乗っかっていた。


 ビビはナイフとフォークを手にして男を見下ろす。

 彼女は挑発的な口調で男に告げた。


「弱いね。ゴブリンみたい」


「くそが! もう許さねぇぞ! ぶち殺してやる!」


 怒り狂う男が背中の大剣を引き抜こうとする。

 周囲がどよめいた。

 さすがに武器を使ったら喧嘩ではなくなる。

 しかし、勢い付いた男は止まらない。

 明らかにビビを殺すつもりだ。


 男の暴走を放っておくわけにはいかない。

 俺は懐に手を差し込む。


(これ以上は不味い)


 懐から小瓶を取り出すと、中身の液体を男の顔に振り撒いた。

 ビビに意識を向けていた男は反応できず、液体とまともに浴びて悶絶する。

 巨体が倒れて床を転げ回る。


「ぎゃあああああぁっ」


「希釈した毒薬だ。しばらく痛むだろうが後遺症はない」


 俺は瓶を仕舞って述べる。

 今のは目潰し用の毒だ。

 大した効能はない一方で、目や口に入った時の痛みが尋常ではない。

 魔物はもちろん、人間が相手でも強力な武器となる。


 男が顔を押さえたまま起き上がれない。

 毒が目に入ったので、当分は視力が衰えたままだと思う。

 戦う気力は削げたはずだ。

 俺は冷静に男を諭す。


「これ以上は駄目だ。酒場で殺し合いは迷惑だろう」


「ぐっ、くそが……」


「それと本気で戦えば死ぬのはそっちだ。お前が見下す奴隷はとても強い。俺だって加勢させてもらう」


 俺はともかく、ビビの戦闘能力は非常に高い。

 たとえ男が万全だったとしても、敵うかどうかは怪しいところだ。

 少なくとも毒で目が潰れた状態では勝負にならないだろう。

 俺は男のそばに立って脅しをかける。


「報復なんて考えるなよ。今度は手加減できないからな」


「やめてね」


 ビビもフォークを回しながら言う。

 彼女の目に慈悲はない。

 状況次第では本当に男を殺すだろう。


 形勢の不利を悟った男は、ふらつきながらも酒場を出て行った。

 これに懲りて大人しくなることを祈ろう。

 できれば街から去ってほしいものだ。

 俺としては余計な問題を起こしたくないのである。


 一時は静寂に包まれていた酒場に喧騒が戻ってきた。

 ひとまず問題が過ぎ去ったからだろう。

 俺はひっくり返ったテーブルを直しながら、酒場の女将に謝罪する。


「すまない、店の邪魔をしてしまった」


「気にしないで。あいつのせいで、いつも迷惑してたのよ。追い払ってくれて感謝してるくらいなんだから」


 女将は逞しく笑って受け流した。

 きっとこちらの立場を気遣って、そういう態度を取ってくれたのだ。

 その優しさには感謝しつつ、諸々の弁償として金を押し付ける。


 一方、ビビは他の客から称賛されていた。

 何やら色々と話しかけられており、本人は困惑気味に応じている。

 その光景を見た女将は苦笑した。


「あなたの奴隷ちゃん、大人気みたいね」


「周りに認められるのは良いことだ。それだけで自信がつく」


「主人のあなたの教育がいいんじゃない?」


「まだ出会ったばかりだ。そう感じるのなら、本人が努力した結果だろう」


 ビビは優秀な奴隷である。

 正直、俺なんかにはもったいないくらいだった。

 恵まれた才能を持っているから、状況次第では大成できると思う。

 ビビの将来について考えていると、女将が小さく呟いた。


「謙遜が上手ね」


「事実を言っているだけだ」


 俺は首を振って応じる。

 それから女将の前に飲食代を置いてビビを呼んだ。

 今日はもう帰ってもいい頃だろう。

 男との喧嘩で酔いが醒めたのもある。

 女将がわざわざ出入り口まで来て手を振ってくれた。


「二人ともまた来てね。待ってるわ」


 俺とビビは手を上げて応じる。

 酒場の外は少し肌寒かった。

 飲んだ後にはちょうどいい気温だった。

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