パニック・シンドロームにご用心!




「……はい。それでは暫くは保健室で静養させまして…はい、ありがとうございます。はい。彼のご両親への連絡も…いえいえ…はい。はい。では失礼致しますー。はーい…」



…巨漢の男は、疲労を滲ませる細い声で目を覚ました。枕元にパイプ椅子を持ち、そこに座っていたその女性は電話対応を終え、目覚めた男と目が合うと、まず驚いたように目を見開いて。そうしてから、心の底から安心したように目を細めて顔を近づけた。


「よかった!気が付いたのね集くん!

…どう?指、何本に見える?」


「……二本、です」


「とりあえず視覚の異常は無さそう、と…

…はぁー…何よりよかったわ、ひとまず元気そうで」



乱れた髪を耳の後ろにそっとかけ、目に掛からないようにしてから何かしらの用紙にチェックを入れる女教諭。

そうしてから顔を上げ、眉根を顰めた。

明らかに説教モード、というように。



「まったく…無理しちゃダメよ?貴方、前にもこんなことあったらしいじゃない。その時の大怪我に比べたら今回は大したことはなさそうだけど…その時にどれだけ周りが心配したのかもっと自覚して行動をしてください。…私だって、心配したのよ」



「……え!その…はい」


「…集くん。話、聞いてる?

まだちょっとぼーっとしてるかな?

まあ気を失ってたし、それは仕方ないかな」


「!…いや!その、えーと……」



びくり、と身を揺らす男…古賀集。起き上がってから、ずっとどこか宙を眺めるような、ぼうとしたままだった。その様子を確認して、改めて教師は心配そうな表情に変わる。



「大丈夫?まだめまいとか、ぼーっとしてるなら横になってて。無理はしなくていいから、ゆっくりね」


「いやー…えっと。痛くはないんすけど…

その、なんでしょう。俺、いや、えーと」


やたらと切れ悪く、またごにょごにょと口籠る青年。疑問符のみが募る。そして暫くそれをしてから、ずっと悩んでいたようだったが。その末に、ぐっと苦渋を噛み潰したような顔で遂に言った。

がばり、と頭を下げて。



「……その、本当にすみません!

誰、ですか…」


「………え?」


予想だにしない彼の発言に、愕然と口を空けて。

ぽかん、と沈黙が空間を占める。

それをどう思ったか、青年は青ざめるように言葉を紡いだ。



「いや、失礼なのはわかってるんです!

でも、その、俺なんかに親切にしてもらって申し訳ないっていうか、その、初対面の人に…あれ?ここ保健室?医師の方ですか?」



暫くそれを呆然とした顔で眺めてから。

そうして、教師はがたんと席を立つ。

彼女には非常に珍しい、心から狼狽した顔で。


「…ちょっと、待ってね。」


「えっあっはい」



どんがらがっしゃん、とひっくり返るような勢いで走り出し退出。そうして電話を手に部屋を出ていってしまった。教師…つまり、浮葉三夏は。恐ろしいほどの機敏さで走って行った。

今度は男児、古賀集がそれを呆然と見た。






……





「……と、まあびっくりしちゃったけど…要は頭をぶつけて、とストレスによる軽い記憶混濁じゃないかってお医者さんは言っていたわ」


「は、はあ」



乱れ髪と冷や汗と普通の汗を整えて拭きながら、改めて息を整え座り話す浮葉。平然とした顔をしようとしているが、その荒れた息がどれだけ彼女を焦らせたかを物語っている。

彼女は結局、問いただす勢いの問診をして、なんとかそう症例を聞き出すことができたのだ。



「まあ、ちょっと寝れば治るだろうってことらしいわ。大した事ではないみたいでひとまず安心ね…ふう…」


「…すみません、俺のせいで苦労と心配かけちまったみたいで…」


「あら、そんな事気にしないで。むしろごめんなさいね。大袈裟に騒いじゃって。…っと。そういえばそれなら、自己紹介しないと。私は浮葉。この学校の…教師よ」


「あ、どうも。俺は古賀…って、先生の方は俺を知ってるのか。…なんだか、頭がこんがらがりますね」


「あはは、まあ、少しゆっくりしておけば大丈夫よ。きっとすぐに思い出す。…ごめんなさい、私が騒いだから、余計心配させちゃったかもしれないわね」


「そんな事ないです。あなたが生徒の為にやってくれた事は…その、立派だと思うし、何より嬉しかったです」


「そう?ありがとう。

君は…ふふ、変わらないわね」



そっと頭を撫でつける浮葉。照れ臭そうに頬を赤く染める古賀青年を見て、逆に教諭もだんだんと恥ずかしくなっていく。だが急にやめても何やら気恥ずかしいため、あえて話題を急に変えて。

その場から少し離れようとする。



「…お、おほん。

それじゃあ私少し席外すけど…安静にしててね。

もし何かあったらすぐそこの内線で呼んで?」


「は、はい!ありがとうございます!」


「それじゃ…あ、そうだ」


最後に、とちょっと苦い顔をして。

彼女はこう言い足した。



「……その、えーっと、多分。

これから、君にだいぶ波乱があると思うから…

……がんば!」


「え゛」



そうして今度こそ席を立つ浮葉。どういう意味、と聞く前に、早足に、恥ずかしそうに浮葉は去っていってしまった。


さて。

急に部屋の中が静かになり青年は、色々と逡巡する。



(……優しくて美人な、良い先生だな。

なのに思い出せない…うーん…気持ち悪い)



どうにも、色々なことを思い出せない自分に歯痒い気持ちと嫌悪感を抱く。全くもって記憶が全部消えた、というわけではない。ただ何か、思い出そうとするともやっと霧がかかるようだ。

それがどうにもはら正しいような、気持ち悪いような。


そんな風に頭を掻きむしっていると。

こん、こん、こん。

ノックが3回。ある、来訪者が訪れた。






……




「やあやあ!邪魔するよ!」


…保健室の部屋の中にある沈黙を破り去ったのは、真っ赤な眼をしたスマートな女性の声。少し中性的で、それでいて確かな女性を見せるハスキーな声はどこか絢爛とした様子を思い浮かばせた。



「声が大きいです。シュウを労ってください」


「はいはい、うるさいねぇキミは」


それと一緒に部屋の中に入ってきたのは、青い目の女性。背が小さくそれでいて少し大人びた顔つき、そして身体つきは、ミスマッチながらだからこそ独特の美しさを醸す。


「…と、先に出ないでください。私が通れません。先んじて顔を見せてもイニシアチブを取れるわけでは…と、オヤ。

ヒサメ、いたのですか?」


「え゛!あ、うん!その、どうも…?僕もついさっき!あはは…で、ですよね?古賀さん!」


「え?あ、まあ…うん。

色々話して教えて貰って、ました」



部屋の中にいたのは古賀集。

そして、その横に座っていたのは彼らのかわいい後輩こと村時雨ひさめだった。焦ったようにがたりとパイプ椅子から立ち上がるその姿に、もういたのか、という意外を向け。かつそれを表情に隠さず、まあそれはいいかとその赤目の女性は声をあげた。



「ふむ…?集くんのその怯えたような様子をみると…いやはや聞いた話は本当なんだね?でもまあ、思ったより元気そうでなによりだ」


「…あー、すみません…どなたっすか?」


「ぐっ」



困ったような、大仰な態度に困惑するようなその古賀集の声。それを聞いた瞬間に、胸の辺りを抑えてがくりと膝の力が抜ける。

それを支えるように、ひさめが肩を持った。



「し、シドさん!しっかりしてくださいシドさん!堂々と来てた割には随分打たれ弱くありませんか!?」


「いやぁ覚悟はしてたんだけど…古賀くんの顔そのままにお前誰だ呼ばわりされるのが思ったよりも効く……ふふ、ふふふ…」


「き、気持ちは分かりますけど頑張ってください!」


「…エエ、これについては私もわかります…」


慌てふためく二名、勝手にダウンする一名、そして深くうなずきながら、さりげなく古賀青年の横をキープする一名。

ひとまず、そうなった。



「す、すんません、すみません!大丈夫すか!?俺そんなつもりじゃなくて、ええと…!」


「大丈夫です、この人は顔と家柄が良いだけで割と致命的に性格が悪いだけの人です」


「ひ、ひどい言われようだな!?キミは…えっと?」


「ふむ、やはり聞いた話は本当でしたか。

私のことも忘れてしまうとは…」


「…すまん。先生が言うには、すぐ治るらしいんだけどな。

だからその、名前は…」



「私ですか?私は菜種アオ」


「アナタの彼女です」



「えっ」


「は?」


「おい」



がしり、と先まで膝をついていた女性が青筋を立てて立ち上がりアオの胸ぐらを掴んで壁に追い詰める。青年とひさめは、ただその電撃戦に思考が停止している。



「おい何してる、おい」


「おお、怖いですね妙に凹んでいた人が急に胸ぐらを掴んでくるのは」


「お前…ボクがしおらしくしてる内に勝負を決めようとしやがったな?舐めるなよこの野郎」


「『野郎』ではありまセーん。女デース」



ガクガクと、ピースをしながら首を揺らされる様子を、しかしそれはどうでもいいと言うように集はアオを見つめていた。

一瞬、嬉しいように顔を赤らめてから、その後むしろ青ざめて。



「え、えっと、君みたいな可愛い子が俺の…?」


「「違う!」」

「断じて違う!」「絶対ちがいます!」


「耳がッ!」


音の爆弾の三連撃が鼓膜をつんざく。

古賀はなにがなんだかわからないまま頭を抱えた。



「はーあ、やれやれ。全く困るなぁ、ボクの彼氏ともあろうものがこんな発言に騙されてしまっては…」


「えっ…ちょっ」

「マネしてるんじゃないですよこいつ」


「お、俺まだあんたの名前も知らないんだけど」


「ボク?僕の名前は九条史桐、だけど苗字は覚える必要はないよ?どうせ数年後には古賀史桐になるからねぇ。だから今まで通り、キミはボクのことを親しげに『シド』か『ハニー』と呼べばいい」


「ハニー!!??!?」


「シドさん!!これ以上混乱させないでください!!」



目がクラクラとした二名のうち、なんとか平静を保っている方がなんとかそうしたツッコミを行う。

しかし最早言いたいことは言い切った、楔は打ち込んだというようにシドは満足気に肩をすくめるだけだった。


果たして青年は。

ああ、ああ、と今度こそわなわなと震え。

青ざめる、肌もなく真っ白になっていた。



「……ひさめ…俺って最低野郎だったの?」


「マア大体そうかもしれません」


「あ、あ、アオちゃん!?

本当に信じちゃうからやめて!?」


「大丈夫です。

私はそんなとこも含めて好きですよ、シュウ」


「うああああっ胸の大きいミステリアス外人美女が浮気まで全肯定してくる!最低だったんだ俺!!」


「落ち着いてください古賀さんも!」



泣き叫びそうにパニックになってる様子をよしよしと宥めるひさめ。それに必死で、シド、アオのそのうなじに注がれる異常な視線には気づかず。改めて顔を上げて、ひさめはそれに気づいてどきりと、うひゃあと変な声をあげた。



「うひゃあ!

な…なんですか二人ともそのすごい目は!」



「イエ…質問が、ありまして」


「ああ、ボクも多分同じ質問だ」


「なあ古賀くん。

なんでもうひさめちゃんとは、仲がよさげなんだい?」


「えっ、…あっ」


「先に来ていましたねヒサメ…まさかその間にあなた、シュウにこう…イチャっとラブラブを…」


「ちっちがっ…ていうかアオちゃんはさっきから微妙になんなのそのワードセンス!?」


「日本のマンガ面白いデース」


「おっと脱線させないよひさめちゃあん!

…さあ、どうなんだい?真実は!」



「あー!その、実は!」



声を出したのは、古賀集。

視線が自然と集まる。


「…その、ひさめの事についてだけ記憶が戻ったんだよ。だからそんな邪推されるようなことは無いよ!

だからそんなひさめのことを責めないでほしい!

あんた達を思い出せない俺が悪いからさ!」



「なるほど、そういうコトでしたか…

いやいや、悪いなんてそんなこと。

…ヒサメから思い出されたっていうのは、ちょっとショックですが」


「まあそれについては同感だが…

それについては仕方ないねぇ。それならやはり、ひさめちゃんも集くんも責めるつもりはないよ」



……と、空気が和らいだ瞬間である。

部屋の扉が再びノック。

中に入ってきたのは、再び浮葉だった。



「どうも、色々とお医者さんからも聞いてきたわよ集くんー…って、あら集団。相変わらずモテモテね」


「あ、相変わらず…?俺ってずっとこんなんだったんですか…なんて野郎だ俺」


「あはは…と、とりあえず伝えることだか伝えるわね?

えー、今の症状は、ほんと一時的なものだからこのまま放置でもすぐに治るだろう、らしいんだけど…」


「だけど…なんですか、先生?」


「ち、近いわよ史桐さん…!本当にすぐに戻したいなら、少なくともその記憶に関連近い人が心理的に強い衝撃をもう一度与えれば、その人物の周辺記憶は刺激されてちょっと早めに治るかもしれないとかなんとか」


「心理的な衝撃?」


「心理的衝撃、ねえ」


「………〜〜〜〜っ…」



首を傾げる、アオ。

じいと、ひさめを見つめるシド。

顔を赤く、口を噛み締め視線をそらすひさめ。

そんな様子を見て、浮葉もなんだか飛び火しそうな感じがして。早々にその場を後にした。グッジョブ、古賀集くんと心で祈って。



「心理的ショックを与えるのって何したんですかヒサメ?」


「うーん気になるなあボクも。

ねえ教えてよ、心理的衝撃を与えるってどんなの?

そういえば関係ないけどさあ、さっき菜種さんが彼女宣言した時既にさあ、古賀くん喜ぶよりも青ざめてたんだよねぇ。

関係ないんだけどさあ」



「…も、黙秘権を…行使シマス…」


「ギルティ」


「アオちゃん!?」




……



こころの、準備をして。

それでもしきれず何度も飽きるくらい深呼吸。

こうしてもらちがあかないと、ようやく自分の背中を蹴り出して、部屋の扉をノックした。

放課後の保健室に、人影はない。

私もただ、兄を迎えにきただけだから。もっと、早くこうして迎えにいければこんなに心がざわめくこともなかったろうに。



「こん、にちは」


恐る恐る、部屋を開ける。そこには、もう着替え、帰宅の準備が出来ている兄さんがいた。まず、元気そうな貴方にホッとした。そしてその後の、驚いたような顔にぎくりとして、口を動かす。



「えっと、私は──」


「鈴!迎えにきてくれたのか!

ごめんな、また色々迷惑かけちまって」



きょとん。

誰だ、とかなんだ、とかを予想してた私に与えられたのは、いつもと変わらないそんな声。それに、拍子抜けしつつ。


「私のことは…忘れてないんですか?」


「…ん、ああ、そうだな。

色々あったからだいぶ治ってきてる、ってものあるし…いやまあ本当にいろいろあって…だけど、その前からお前の事はずっと覚えてたよ」


「な、なんで?」


「なんでかはわかんないけど、でも覚えてるんだから仕方ないというか…どうやってもお前のことを忘れなんかできないよ」


「……ばか」


「ん」


「ばか、ばか。

ほんっとーに…また、心配させて…」


「……ごめん。本当に」


「…許します。どうせ私が許しても許さなくっても変わらないでしょうしね」



そう、咎めるように言うつもりだったのに。だけど言いながら、私の頬が嬉しく上がっているのを感じてしまう。どうしようもなく、緩んでしまって。



だから、今回の勝者と、言うべきか。

役得ならず、と言うべきか。


何にせよ、ちょっと損したような。

でも幸せな気持ちになった。





……




ちなみに。

一晩寝たら全て戻った。



「……そうですか、そうですか」


「なんで残念そうな顔するんだよ鈴お前…」


「いや…私も、彼女だ!とかって…

ちょっとだけやってみたくって…」


「俺で遊ぶな!」




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