貴方に詠んでもらいたくて(村時雨ひさめ)
村時雨ひさめは激怒した。
必ずや、かの彼氏にびしりとやってやらねばと思った。いつものように気付いたら丸め込まれるみたいなことは、なってはならないと。
彼女が怒っている今でも脳裏に会話が思い浮かぶ。
それは、つい以前のこと…
…
……
晴れて後輩である彼女も高校生活が終わり、キャンパスライフが決まった後に、高校生活最後の制服でと制服デートを強行した時の事だった。実質的にただの学生コスプレになってしまっていたひさめの彼氏、古賀集は頬を赤くして言った。
『なあ。
もしよければなんだけどさ。
その、敬語…もう、やめないか?』
『へ?』
『もう後輩先輩の仲でも、無いしさ。
何より、敬語じゃないひさめも見てみたい。
…もちろん、嫌ならいいんだけど』
『い、嫌だなんて!ただなんていうか、敬語が普通になっていたから、気を抜くと逆に敬語になっちゃいそうだなって思って…えーと…なら、ここで練習がてら、早速してみることにします!…あ。するよ!』
そう言うや否や可愛いなあ、と微笑みながら頭をわしわしと撫でる巨躯。その感覚はどちらかというと小型犬に対するそれに近い。それで満足してしまう方も方なのだが。
『それなら、古賀さん、呼びも変だよね?それなら呼び方も変えたほうがいいかもしれないで…しれないよね』
『ふふっ…ああ。そうだな』
『わ、笑わないでよー!
…うーんそれならもっとこう、彼女っぽい呼び方とかしたいな。それだけが全部、とは思わないけどやっぱり形から入りたいし』
『なるほど』
『じゃあ、集ちゃん、なんてどう…』
『……』
『………こ、古賀くん!古賀くん呼びでいいですか!?あ、えっと、いいかな!?』
『落ち着け落ち着け、すごい顔色になってるから!』
『ささささすがにおおおこがましいというか!あんまりにもやりすぎたし似合わないしというかこの呼び方にしてたら近いうちに限界迎えそうだからやめとくね!』
わちゃわちゃあたふたと喚き動く姿に何故か焦りが伝播して、妙に焦った時間。互いが互いを落ち着くように
『古賀くんは、その…
僕の呼び方、変えないの?』
『俺?俺はいいかな…元々下の名前を呼び捨てにしていたし、そんな変える必要もない気がする』
『…こう、ひさちゃん、とか』
『……
…む、無理だ!
ちょっと考えたけど流石に恥ずかしい!』
『あ、考えてはくれたんだ。…でも僕だけ変えたのに、そっちは何も変えないのずるいなぁ…』
『い、いつか。いつか変えるよ。
ずっと一緒にいるんだから、焦らなくてもいいさ』
『ずっと一緒…!
そ、そうですね。そうですよね!えへへ…』
…
……
そんなことを思い出して、だらしなく一人で笑顔になるひさめ。実際のところ、このままで彼女は自家中毒じみて勝手に機嫌が治るかもしれない。が、そうはいけないとしゃんとする。
そうだ、そこまでは良かったのだ。
こうして距離がつまって行くことは心の底から嬉しくて狂喜乱舞欣喜雀躍にして最高に浮かれていた。
で、あるのに。
それ以降進展が一つもない。
どうしても学校が違うとなると逢える時間も自然と少なくなり、距離が縮まる機会も少なくなる。それどころか彼に逢いに行った際に、また別の女の子と仲良くしている所を見てしまったのだ。
きっと、浮気やそういったものじゃないとはわかっている。だが焦燥と浮かれと、彼女の追い詰められた時に変な方向に行動力が出てしまう悪癖は彼女自身を追い詰めさせていっていた。
無論、本人も気づいてはいた上で後には退けず。
「……〜〜〜〜っ…」
心臓をバクつかせながら。
彼女は今度、家に来て欲しい旨を、送信した。
…
……
そうして古賀集は彼女の家に向かう。道中で買った飲み物のペットボトルを傾けながら、ドアを引いて中に入る。
彼女から呼ばれることは、比較的珍しいことだ。
基本的にひさめは消極的、遠慮しいの臆病であり自ら何かをしようと言い出すことは少ない。だからこそそれをリードすることに、集はどことなく幸福感を覚えているのだ。
だからといって、こう呼ばれる事が嫌な訳はない。
むしろ、わくわくとしてここまで来た。
一体どのようなことがあるのだろうか?
そう、期待して部屋の扉を開けた時。
その目に映ったものは。
「へ…へーい!
僕と一緒に楽しい事しなーい?」
「ゴブフッ」
…過激な水着を着込み、顔どころか全身を湯立ちそうな程に真っ赤にしてウインクをする姿は、彼に先ほどまで飲んでいたペットボトルの中身を半ば吹き出させた。
…
……
互いに、正座。
どちらも行った訳ではないのに、何故だか正座。
自然とそういう状態になっていたのだ。
古賀青年は目を瞑り、天を仰ぐように。
ひさめ少女は彼の上着を被せられ俯くように。
同じ正座でありながら妙に対照的であった。
「……と、とりあえず言い分はわかった。
確かに…うん、確かにこう、ノリが軽い女友達は大学の方で出来てるが…まさかそんな無理して寄せようとするとは」
「ううう…
…正直途中から僕ももう色々おかしいな?とは思ってたんだけど…ここまで来たらもうやっちゃえ!ってヤケになっちゃってぇ…この水着そこそこ高かったし」
「そうでなくてもせっかくお家デートだしこれを期に距離を縮めようなんて思ったんだけど…もう他に全然思いつかなくってぇ…」
とぼとぼと独白するひさめの姿は、いつもに輪をかけてじめっとしていて、頭からきのこが生えているような錯覚に見舞われるほどだった。よく見ればそれはただの、トレードマークのあほ毛なのだけれど。
「…あー…とりあえず着替えるか?
俺ちょっと出とくよ」
「…せっかくだからこのままで。
古賀くん微妙にちらちら見てるし」
「恥ずいからやめて!」
必死に目を閉じている所以がとうにバレていたと知り青年は恥入り首を振るう。過激な格好をされてしまうと、見てしまっては失礼だと思いながらもどうしても視線がいってしまう。それが、好きな人の姿だと天羽と尚のこと。
「…むう。しかし、まさかそこまで追い詰められているとは…ごめん。俺があまりにも無神経すぎたな」
「い、いやいや!僕が勝手に煮詰まっただけだからそんなに気にすることは…!」
と、そこまで言いかけてから。
少し、いたずら心が芽生える。申し訳ないも思っているところにつけ込むのは卑怯な気もしたけれど、しかし。
「…あ、あー!傷ついたなー。
僕とっても傷ついたな!古賀くんにいま優しくしてもらったり色々してもらわないと倒れちゃうかもしれないなー!」
「…ふっ。ふふふっ」
「あーっ!わ、笑ったな!僕の一世一代の努力を!
もう本気で傷ついたんだからね!ほんとに今、甘やかしてくれないと許さないんだから!本気だから!」
「違っ、今笑ったのは馬鹿にしたとかじゃなくてさ!
くく、だってほんともう、可愛いんだもんなあ…」
そう言うと彼は、足を痺れさせながら立ち上がり彼女の隣に座る。もう一枚羽織らせてやりたいな、と呟きながらそれでも肩を抱いてそっと顔と顔を近づける。
「なんなりと、してほしいことを言ってくれ。
俺が出来ることならなんでもやるよ」
「あ、あわわわ…え、えっとそれじゃ…
ちょっと待ってください、思考がまとまらな…
じゃあ、じゃあ!逆に苗字で呼んでください!
とりあえず、それで慣らさせて!」
「え、そんなのでいいのか?」
「…いつもとは、違った呼び方をされたくて。
あなたに色んな呼びかたをされたくて。
古賀くんに、色々な詠み方を、されたくって…」
そう言って、ひさめは細い腕を彼の胴にそっと巻きつけた。ぐっと、ただ抱きしめるだけの幼稚なまでの健気な抱擁。その格好さえ無ければ、ただ微笑ましく見えていたようなもの。
「…ぼ、僕のことを。
色んな方向から呼んでみて。色んな角度から読んで。
いっぱいの解釈で詠んでみて欲しいんだ。
そうしてくれたら、それは、そのう…」
そうして、上目遣いに彼を見つめる視線。
そこには、蠱惑的な魅力があった。
とても純粋で、それでいて純粋ではなく。
さまざまな側面と要素がある、そんな彼女を。
どうしようもなく愛おしくなって、彼は抱き返した。強く強く、痛がってしまうくらい強く抱きしめた。ひさめは顔を少し顰めながら、ただ何も言わずに受け入れた。
「…ふふ、とっても。
気持ちいいな。って思うんだ」
…
……
「……しっかし、よくそんなん買ったなぁ本当…
どうする?せっかくならプールや海でも行く?」
「え、えええええ!?い、いやいや!絶対無理、無理だよ!こんなのを着て衆人環境に出るなんて恥ずかし過ぎて死んじゃうって!」
「そ、そうだ!それにほら!こんなのを着た僕を見られて古賀くんはいいの?」
「それは嫌だ!」
「ひゅっ…
…そ、即答をされると…えへ、照れちゃうな…」
「お前、自分から言っといて…」
…要するに。
彼らはまた、相当に浮かれているのだ。
ぎりぎり、他人の目を気にできる程度に。
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