イーブン・ア・ドッグ・ウォント(九条史桐)






「ハイ、これを」



赤い目をにやつかせながら、何やらだしぬけに彼女が俺に渡してきたものは、円状の皮で出来たもの。長さを調整できて、リードをつける事が出来るようになっている。


それは、チョーカーとかでもない。

明確に首輪だった。


彼女は、シドはそれを急に手渡して来たのだ。




「?何だ、ペットでも飼うのか」




そう言いながら、ふと犬を飼っているシドを想像する。まあ金持ちらしく、大きな犬を飼ったり可愛がったりしたりするだろうか。想像をしてみると、かなり様になる。

いや。意外と小型犬を猫可愛がりするのかもしれない。可愛いものは人並みに好きなのだから、そういう小さい子を撫でたりするのではないだろうか。




「あはは、違う違う。

それはちゃんとした奴だよ。横着してペット用を使う人もいるけど、あれはその子達用の薬剤が塗ってあるからかぶれちゃうんだよね」



「?」



犬や猫やらのかわいらしい想像をしていた所をずばりと否定して、しかし何やらあやふやで、よくわからない内容をぺらぺらと話し出す様子に、いよいよ首を傾げてしまった。




「…いよいよ何の話かわかんないんだが」



「あ、ごめん。主語が無かったね。

説明不足はボクの悪い癖だ。

気が逸ってたっていうのもあるけど」




そう言うと、あちゃあと自分の後頭部をわざとらしく掻いてからシドは改めて首輪をこちらに向けて渡した。




「まあつまるところ、それ人用の首輪だからちょっとボクに付けてみてよ」



「なんてもん渡してんだお前!!!」




…犬を走らせる、とかのそんなほんわかとした妄想は突きつけられた異常な性癖の前にあっという間に霧散した。








……






「いやぁ、真面目な話さ。こういうものを経験しない内から否定するのはよくないしねぇ。色々とアブノーマルなものも試してみて、自分たちの中で一番『ちょうど良い』ものを探すってのも悪かないだろ?」



もっともらしい事を、そう言う。会話の内容に騙されてはいけない。彼女がこう言った理論の武装とそれらしさを出す時とはつまり、内容などどうでもよく、彼女がやりたい事をゴリ押ししたい時と相場は決まっているんだ。




「だから。いつも急だってんだよ、お前…そういうのは事前に相談してくれりゃあいいものをいつも独断専行で…」



「だってマトモに相談したらキミ、イエスを出すかい?」



「………そりゃあ、しないが…」



「だろう?だからこうしていつも通りに先にやっておいてからゴリ押しするのさ。キミは甘っちょろ…人がいいからこうすりゃ大抵断らないからね」




本音がまろび出ていた。

なんとまあ失礼な、と思うが事実だと思うし、いつもこうした彼女の独断専行についていくばかりで止めたり出来ないので、返す言葉は無い。ただ、代わりにぐぅの音を出した。



「さあさあ、早速やってみようじゃないか。

別にボクら以外に見る人は居ないし恥ずかしがることはないよ」



「そのお前に見られるのが恥ずかしいんだよ!ていうか、シドはその、いいのか?

そんなこう、痛そうだったり、屈辱的なさ…」



「ハハハ!どうせそんな酷い事できないだろうに!口だけは達者だね、古賀くんは」




どの口が言いやがるどの口が。

そう食いかかろうとした言葉のいの一番を、食い気味に別の言葉で遮られてしまう。




「それにキミがやるなら構わないよ」




そう言われてしまえば、こちらとしても何も言えなくなる。

何より、こちらを言い包めるとかそういうのでもなく、ただ本当にそう思ってるというか、当然だろうと言ったその様子が、また何か言う気を失せさせてしまう。



過去に子猫を拾った時を思い出す。

保護のみで飼うことはしなかったが、万が一脱走をしても野良猫として保健所に連れて行かれないようにこうして首輪を付けたものだった。


あの時と違うことは、相手が暴れないこと。

そして、手に触れそうな距離の首筋が、その脈拍が聞こえそうな薄皮であること。

なんだかおかしくなりそうで、精一杯に無心に着けた。




「…息苦しいね。

まあ、多少そうじゃなきゃ意味ないんだけど」



「……えっと、そのリードもか…?」



「当然だろう。

逆に何に使うと思うんだいこれを」



「ううん……」




首輪のリング部分に、かちりと嵌め込む。

しっかりとした鉄の輪は、到底力づくでは取る事が出来ない事を実感させる。


そこまでした所で。

シドのじっと見つめる眼を感じる。

圧を感じた。


さあ、ここまでやったのだからお前も覚悟を決めろと言わんばかりの。ちゃんとやれよ、とそう言わんばかりの、視線の熱。それを向けられても俺はただ困るだけだというのに。




「え、えー…じゃあお手?」




「……はー……」




…そんな、苦し紛れにやった命令への反応は、恐ろしく深い溜息と失望を露わにした、大袈裟なほどのボディランゲージだった。




「やる気を感じられない。

がっかりだよ。キミにはがーっかり」



「な、なんだよ!

そんなボロクソに言われるほどか!?」




「言うほどだよ全く。

まずもって、これをしとけば満足だろうなーみたいな妥協と驕りが見えるのがダメだし、良い人ぶろうと自分は遠くから俯瞰していようと、この期に及んでしているのもダメ。合意があった上でそれを全うしないのはただのカッコつけだよ。だからダメダメのダメ付くしだ。ダメの豪華3点セット」




ぺらぺらと理路整然と駄目出しをしてくるシド。首輪をつけながらそう、上から目線にモノを言う姿はどこか滑稽で、そして且つ言っている事にむかっと来た。




「やるならちゃんとやり給えよ。

それが責任ってもんだろう全く」




責任もなにも勝手にそっちがやったろうが、とか。合意なんて取ってないじゃないか、とかそういう言葉は出ないで。


ちょっと…

いや、結構。

ムカっと来てしまったと言うこともあり。


俺はつい。リードをグイ、と引っ張った。

つらつらと話し、澄ましていたシドがバランスを崩し、よろめいた。



「おっ、と…怒ったかい?

まあどうせキミのそれは…」




もう一度引っ張る。

問答無用に、目も見ずに。今度はさっきよりもより強く、自分の足元に来るようにして。

よろめく姿に、何かしら頭の中の何かが砕けるような快楽があった事を否定できはしない。




「…こ、古賀く…」



「四つん這いになれ」




「…い、いやあ、ハハ。確かにちゃんととは言ったが、こうまで急にされると意外と」





「犬が人の言葉を喋るな」




「……ッ!」



「…く、くぅ、ん」




そうして取ったのは、服従のポーズ。


躾られ、高潔で、他には牙をすら向けるシェパードが、命じられるまま主人に身を委ねるような。そんなような、インモラルにすら感じる背徳が目の前に展開される。


衣服は乱れていない。

乱されているのは、その尊厳のみ。

彼女の、赤目の凛としたプライドが。

目の前で、ただ一つの革の輪とただの紐に服従して立ち伏せられているのだ。




「くぅん、あっ、待っ、待って、ああっ…」



「や、やめて…!

いやだ、いや!離してくれ…っ!」





ぴくり。

シドのその言葉で、ようやく正気付く。




「………あ、うわあッ!」




まさぐるようなその手を自分でびくりと抑えて跳び離れる。自らの凶行に恐れを成したように、ただ腕を絞め殺すように腕を握った。




「……あ、ご、ごめ、俺、シド…」




やってしまった。

明らかに、彼女は怖がっていた。

自分は何をする気だったのだ。

ほんの少しでも衝動のままに動いた自分自身のそれを恐ろしく思った。


謝らねば。

まずは、怖がられたとしても。

びくびくと怯えるだろう彼女に、それでもなんとしてでも謝らないと。

そう、決して顔を見る。

すると。




「……あっちゃー…いや。ごめん、これはボクのミスだね。こういう事をやる前にちゃんと『セーフワード』を設定しとくんだったよ。こういうの言ったらキミがそうやって止めちゃうことくらいわかってたのに」




…シドはそんな俺の後悔を嘲笑うように、けろりとした顔をして立ち上がった。

さっきまで浮かべていた恐怖の顔も、綺麗さっぱり消えて失せてしまっていた。



「いやー、まずった。

興奮してついついってのもあるけど、それにしてもボクらしからぬ迂闊さだ。

反省、反省。まずは計画通りにだね」



「……?え?シド、あれ?

あの、怖がらせてごめんって、俺…うん?

えっと、何の話……??」



「ああ、セーフワードって言ってね。

こういうのをする時は見せかけの『待って』や『嫌だ』で行為が止まらないように二人の間で決まった言葉を言ったときは絶対に止めるって約束をするんだ。無理矢理シていくのに興奮するってのもあるし、何よりちゃんと本当に嫌な時は止められるようにしないとだからねえ」




「…え、っと」



「ん、ああ、ゴメンゴメン。

また説明と主語が足りなかったね」


「…まあ、つまり。

あくまで、今のはタテマエ。

嫌だなんてあるもんか。

さっき言ったこと。覚えてるかい?」




「ボクはね。

キミになら何をされても構わないの」




さあ、どうぞ、と。もう一度そうしてリードを握らせてくるその華奢な腕。

にこりと、弾けるような笑みで誰かを隷属させる事を望むその姿はまさに、どうしようもないくらい、本物の悪魔のようで。


そしてまた、そんな悪魔のように美しい目の前の彼女を、ただ支配するのは。

きっとそれは何より幸せなのではないかと。



気の迷いで。

俺は、そんな事を思ってしまった。









……









「…さあて、反省会の時間だ。

まさかキミがここまでノリノリになるとはね」



「ごめんなさい……」



「ああいや、謝ることは無いさ。ボクがやれって言ったんだし、むしろキミは途中で止めようとしたしね。なんなら強要してキミに心的ストレス与えちゃったかな?」



「それは…大丈夫」




罪悪感や、自分への嫌悪感だったり、そういうものがたくさんあった事自体は間違いない。だけどそれでもやめなかったのは、ただシドに言われたから、命じられたからというだけでなく…




「くく、く。キミはハマったかな?

だけどボク的には『無い』かなあ。物事は経験の後に評価すべきだから、ひとまずやってみたはいいけど…ちょっと過剰すぎたね」



「こうでもしないと見れない変わった姿もいいけど、ボクはいつもの優しいキミの方がずっとずっと好きだなあ。

もう、あんまり見たくはないかも…」



う、とどきりと胸を見透かされたような、一番言われて厳しいような言葉を言われてしまう。

あんなような事をした人間が今更優しくするなんてのも、欺瞞じみてるような気がする。



そうして、自己嫌悪に陥りながら、彼女が目線で命ずるままに彼女の首輪をそっと外す。

下には少しだけ赤い跡がついており、また自分のやったこと、しでかした事にげんなりと嫌悪感を抱いた。



その、瞬間。首輪の裏地部分に何かを書いてあるのに気がついた。



そこには、流暢な字で、こう。



『Just kidding!(冗談さ)』



それを読んで顔を顰めた俺の後ろでニヤついた赤い眼は、そうしてそっと首筋に歯形を立てた。がり、と傷をつけて、血が流れる程。




「あはは、はは!冗談、冗談。

ボクは、『キミ』なら、例えどんなキミだって好きだよ。もちろん、さっきのも刺激的でサイコーだった。またやろうね」




そう、血の流れる首筋と耳を交互に囁かれる気の狂いそうな感覚の横で、脳裏が回転を続ける。

この首輪に何かを書いてる暇なんて、今の瞬間には全く無かったはず。

だからつまり、この文字が書かれたのは、俺に渡される更にその前であって…





「…なあ、お前。どこまで計算ずくだった?」



「んー、今日のこと?フフ…なーいしょ」




「だって、女の子はヒミツがあるくらいの方が魅力的だろう?」




なるほど、まさにその通りかもしれない。

だからきっと、こいつは。シドは。



こんなにも麗しく、蠱惑的なのだから。


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