鈴なりに成る(古賀鈴)



嫌いだとか、好きだとかって。

どんな理由があるべきなのだろう。

そんなことを考える。



「兄さん。

お風呂の蓋開けっ放しですよ」



「あ、ごめんやらかした」



「もう。やらかした、じゃないですよ。以前も同じこと言いました。加えて頼んだ洗剤の補充も忘れてますよ。殊更にそれらを責めるというわけではないですが…最近気が抜けているのではないですか?」



ぽつぽつと口を突いて出る愚痴を申し訳なさそうに聞きながら、言い訳の余地も無いとしている兄。そうしているうちに、ふ、と。

何かを思い直したようにこっちを向いた。



「…鈴、いつから敬語になったんだっけ」



急に問われたことにまず少しきょとんとして、次にその内容でまたちょっと目を開く。えっと、と考え込んでから頭を抱える。遠い遠い昔のように感じる。ただでさえ、希薄な幼少期の頃だ。



「ん…どうでしたっけ。

確か、小低学年の時くらいはまだ…」



「あ、思い出した。

多分お前が小3の夏くらいの時だった」



「…なんで覚えてるんですか気持ち悪い」



「えぇ…?ごめん」



「じょ、冗談ですよ…しかし聞いた割にはかなり鮮明に覚えているものですね。それに驚いたのは事実です」



「そうだなぁ。なんだかんだで衝撃的だったというか、インパクトのある出来事だったからな。

それに、わりと寂しかったから覚えてるよ」



「ふーん…寂しかった、ですか?」



「ああ、寂しかった。なんていうかさ、鈴は元気だけど俺にいつも甘えてくるような、そういうままだと思ってから。

だからちゃんとし始めたのが寂しかったんだ」



へえ、と息が漏れるように一言つぶやく。

その発言になにやら、丹田のあたりから込み上げるような喜びがあるのは何故だったろう。私について寂しがっていてくれたのが、嬉しかったのか。『ちゃんとした』と認識されている事が嬉しかったのか。

それでも、まだ甘えたがりさんだけどな。と、そう頭を撫でてくるいつものあなたに、照れながら嬉しくなったのか。



「……む、うるさいですね。

大体、兄さんがそうやって際限なく甘やかすから…」


「…あ、いや!別にやめて欲しいというわけじゃなく!

だからその、やめないでください。はい」



そうして頭部に伝わる感覚を名残惜しく思いながら、ふと考えていた。寂しく思われていたのだということは当時に気づいてはいなかった。当時はただ、自分がもっと完璧にならないとということにだけ精一杯だった。もうこれ以上、あの人を傷つけたくないと。


傷つける、とまではいかなくても。

ちょっとだけしんみりとさせてしまっていたのだなあ、なんて改めて考えて。それから、ちょっと恥ずかしいかも?と思いながら。

それでも悪戯心も合わさって、やってみようと思った。

これをしたら、どんな反応をするだろうかと。







……





「ということで、今日だけ口調を戻してみるねお兄ちゃん」



「何が!?」



真顔で、しれっと目も合わせずにそう言われて俺はどんな反応をしていいのかわからなかった。というか、どういうことな訳でなのかもわからなかったぞ。

どうにも、敬語になったことを寂しく思った、と話したことが発端になったらしい。別に気にしなくていいのに。



「気にして、というか…最初はそうだったかもだけど、今やろうと思ったのは単純に楽しそうだから」




あ、そう。じゃあいいか。




「…まあ別にやる事は変わんねえか。

んじゃちょっと買い出し行ってくるよ。

なんか欲しいのある?」



「じゃあなんかお菓子買ってきて。

何か二人で食べれそうな甘いもの」



「はいよ。アイスあたりでいいか」




そうして家を出てスーパーマーケットに向かうと、しばらくしてケータイ電話に連絡が来る。開いてメッセージを見てみるとそこには追加で買い出しして欲しいものの要望。

だが、それを見て笑ってしまった。


『お兄ちゃん!キッチンペーパー足りないから買ってきてもらっていい?ごめんね〜!』



いつもは敬語で、いっそ業務連絡みたいになっている連絡すらもちゃんと口調を昔に戻して打ち込まれている。生真面目というかなんというか、これをいったいどんな顔で打ち込んだのかと思うと、笑いが込み上げてくる。


は、と道ゆく人に不審な目で見られて背筋を正した。





「お帰りお兄ちゃん!

お疲れさま、重かったでしょ!」



エコ・バッグの中身をいっぱいにして戻ってきた時のその反応すら、昔のまま…というか表情や態度すらいつもと全くもって違くなっていた。言っている事の内容自体は、まあ変わらないのだが。


そうしてそのまま、夕飯になり同じ食卓に付く。

いつも通りに、母さんたちは忙しく二人の食事だ。

テレビを適当に付けて見ながら食べてると、不思議とちょっと不機嫌そうな鈴に気付く。不機嫌と言っても、そんな深刻なものではなくただ、むくれているというような感じだが。



「どした、そんなむくれて」



「…だって。ちょっとつまんない。

お兄ちゃん、あんまり反応しないんだもの」



反応。

そう言われて、ああ、とピンと来る。

せっかく鈴が敬語をやめてこういう口調にしているというのに、それに狼狽したりしないのがなんだかつまらなかったのだと。



「あはは、悪い悪い。

つってもあの連絡の時はすごく反応したぞ?」



「結局私見れてないじゃない」



「確かに。まあ、なんだ。

鈴の口調が変わってもあんまりって感じでなあ。

なんなら、今でも時たま普通に戻ってるし」



「そんなこと…

えっ、そんなに普段から戻ってま…戻ってる!?」




…どうにも無意識だったらしい。なんだか申し訳ないような気持ちになって話題をあからさまに流した。




「あと、そうだな。そりゃあの時は寂しいと思った、つったけど…別に今は寂しいとかあの時に戻って欲しいだとか、小さい頃みたいになってほしいなんて思ったことなんて無いし」


「それに、いつだってどうあったってお前が何したって、鈴が、可愛い妹だってことは何一つ変わんないから。お前がなんだって俺はお前を愛してるから変わんないよ。まあ、流石に急にグレられたりしたら怖いけどな」



そう言うと、どっと力が抜けたように息を吐いて、そのまま少しふてくされたように膝を机に付いてしまった。



「…はあ、ならどちらでもいいですね。

今は、敬語の方が慣れてしまってますから、こっちで」



「おっけ。さっきのも可愛かったし、これからもたまにやったらどうだ?」



「兄さん以外にはやりませんよ、恥ずかしい」




確かに、そうだったのだろう。つまらなそうにするその顔はほんのりと赤くなっており、から元気を出していたのであろう事が読み取れた。そこまでしなくてもいいんじゃないか。




「……そういや結局、なんで鈴って敬語になったんだ?

それだけ聞き忘れてたな」



「む。たしか…ちゃんと、しようとして…親しい仲にも礼儀を、と思ったから…だったような、気がします」



「へえ、珍しいな。

鈴がそういうあやふやな感じにもの言うの」



「……正直あんまり覚えてなくて。

ご随意に添えなくて申し訳ありません」



「そんな拗ねるこたないだろ、忘れたならしょうがないさ。それくらいの方が可愛げもあるしな」






……





全てに理由があったらなと、思うことがある。

そうであった方が、説明できる方が、とても性に合うというか、得心がつきやすいから。私の本性はきっと理屈屋で頭でっかちで、そうやって説明できた方がとても楽だから。


でもそれはどうしても認めなきゃいけないことで。

どうやっても理由がないものもいっぱいある。どうあっても理由をつけれない物事というのは、山のようにある。

いいや、それもまた少し違う。

理由がないんじゃなくて

まず何かがあって、それから理由をつけた。

この世にはそんなものが沢山あってしまうのだと。


つまり、理由なんて後付けで。その時はそうだったからそうで、その後にこじつけじみて理由が発生するというような、因果と結果、過去と現在の矛盾。



そういうのは私のこの、敬語への変化でもあって。

私自身のこの気持ちでもある気がする。


いつからだったか、なんでだったか。

そんなことは覚えていない。

明確にそれを抱き出したのはわからない。

なんで、そうなったもわからない


だから、ただ敬語になった今、当時に理由をこじつけて、そうした理由を作り上げるしかない。

…ただ、好きになった後に、好きになった理由を頭の中で分析構築して理由をこじつけていくしかない。



だから、嫌いとか、好きとかって。

どういう理由があるべきなのだろう。


そんなことを考えてから、いつも途中で考えを止める。

どういう理由があっても結果はきっと変わらない。

私はあの人が好きだし。

きっとあの人は、どうであってもその気持ちを受け入れる。

だから、考える必要なんてないのだ。



それなのに、どうしてもいつも考える。

好き、嫌い、好き、大好き。

愛している理由は、どうあるべきなのだろう。



答えはない。

それを、さがすから貴方といるのは楽しいのかもしれない。


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