全部熱のせい(村時雨ひさめ)





「……38度か…まだ微妙だな…」



体温計が示す温度を見て、独り言をする。

一人で居るとどうも静かすぎて落ち着かない。




単刀直入に。

俺、古賀集は風邪をひいた。


原因は何かはわからないが、多分どこかから貰って来てしまったか、疲れが溜まり免疫が弱まった所に…みたいな良くある理由だろう。

まあ、正直原因はどうでもいい。


鈴に体調管理がなっていないと怒られてしまうかと思ったが、そんな事はなく、むしろ痛いところは無いか、辛い所はと、だいぶ過保護気味にとても気遣ってくれた。

看病の為に私も学校を休むと言い出した時は流石に閉口してしまったが…今思うと、鈴なりのジョークだったのかもしれない。


俺のせいでお前に迷惑をかける訳にも行かないから、と鈴を学校に送り出してから、家では俺一人になった。



大体のものは家にあったので、身体は気怠かったが粥を作る。卵と葱、醤油と塩くらいしか使わない簡素なものだったが、これくらいの方が今の身体には良い気がした。


そして、寝る。解熱剤は有ったが、まあそこまで辛いという程でも無く、何やら勿体無い気がして呑まなかった。

そんな無意味で間抜けな行動のせいか、いやに寝付けず、随分と寝苦しい事になったが…





……




微かな物音で目が覚める。

物を片付けるような音と、ひんやりとした冷えピタの感覚を額に感じる。ちょうど貼ってくれているようだ。



「…う…鈴。帰ってきてたのか。

移したら悪いしあまり部屋に来ない…方が…」



目は閉じたままにその手を、ゆっくりと掴む。

感謝を伝えようと思っての行動だった。


瞬間、どうも手の感覚が変な事に気づく。

いや変というか、なんというか。

朦朧としてるだけかもしれないが、これ本当に鈴の手か?


…いや違う。絶対違うなこれ!?



ばっと起き上がって目を開ける。

するとそこには…


…手を掴まれ、どうしようと顔を真っ赤にフリーズしてしまっている村時雨ひさめが居た。



「……えっと……」



「……」




…なんで?




「…なんっ…!げほ、ゲホッ!」



「わわわ、だ、大丈夫ですか!

えっと、お水お水!」




……




「え、えっと…まずはその、失礼しました。起こしてしまったのと…驚かせてしまったみたいで…」



「ああ、いや…看病をしてくれたのはありがたかったから、それはいいんだけど…」



さっき話すには、こういう事だ。

放課後に、ひさめの教室に鈴が来た。

そして申し訳なさそうな顔でお願いをしたのだという。兄の看病を頼めないか、と。

本当は自分がやらなければならないのだが、どうしても用事を抜けれなさそう、との事らしい。



「どうしても忙しいから、私が見てあげられないからって、悔しそうでしたよ」



そう言ってからにこりと微笑む。

その顔に、ちょっとどきりとしてしまう。

彼女にそういうつもりは無いとわかっていても、少し気恥ずかしいというか、照れる。



「と、いう事で鍵を借りて来たんです。

本当は起こさないようにしようと思っていたんですが…」



「ああ、いやごめん。うるさかったりは全然無かったよ。ただ単純に眠りが浅かったみたいだ」



そう申し訳なさそうな顔をする。気に病む必要もないだろうに。



「という事で、今日は古賀さんを看病します。今日は鈴ちゃんが戻ってくるまで予定がありませんから!」



…それはひさめが暇だって事なんじゃないか。そんなに胸を張って言える事なんだろうか。


あ、落ち込んでる。

どうもそれに気付いてしまったようだ。

相変わらずころころと表情が変わるなこの子。


そう思って、つい笑ってしまう。



「えっと…それでは…

そうだ、お腹空いてませんか?

おかゆとか作ったり…」



「あー…さっき作っちゃった」



「さ、さいですか…ええと、それでは喉は乾い…てないですよねさっき飲んだばかりですし。冷えピタもさっき変えたばかりですもんね」



「まあそうだな…」



「……え、どうしましょう。

な、何すればいいんでしょうか?」



「…ふ、っふふ…俺に聞くのか…」



頭に疑問符を浮かべたように困惑して話す様子は可愛らしく、それにまた笑ってしまう。

『もうやる事が無い』という事は、彼女はもうやるべき事は殆どやってくれている、という事なのに何を困る必要があるんだろうか。



「…ありがとう、ひさめ。

なんだか凄い楽になったよ」



「え?いや、僕なんか全然何も…」



「居てくれただけで、嬉しい。

それが嬉しいんだよ」



それを伝えた。

彼女がいる空間は、なんだろう。

なんというか、すごく和らぐ。

一人で大丈夫だと思っていたが、どうにも俺は思いの他、心細かったみたいだ。



「?や、役に立てたなら、良いんですが…

あ、熱測りましょうか」



「いや大丈夫」



今のこの顔の熱が、風邪によるものなのか小っ恥ずかしい事をつい言ってしまった事に起因しているかは解らない。

何を俺は言っているんだか。



そうしている内に、なんだか眠くなってきた。さっきまでのような無理矢理寝付いた時のようなそれではない、確かで重い眠気。



ひさめは、座りながらまだ少しだけ落ち着かなさそうにきょろきょろとしている。

知り合いだとは言え、やはり男の部屋に一人など気が気じゃないのかもしれない。



「…正座なんてしてたら足が痛くなっちまわないか?もっと楽にしてもいいんだぞ」



「へ?い、いえ!その…僕はこれでいいというか、畏れ多いというか?」



素っ頓狂な声と答えが返ってくる。

やはり緊張しているのだろう。


そんな彼女に、こんな事をしてもらおうと言うのはやはり申し訳ないだろうか。

彼女に負担を掛けてしまうだろうか。



「……なあ。

一つ頼み事があるんだけどさ」



「!はい、なんでも!」



「はは、元気だな…

って言っても大した事じゃないんだけど」



きっとひさめは断られないだろう。優しさを笠に、言ってしまっても良いのだろうか。そう思った気持ちもあった。

ただそれでも、言ってしまった。



「…ただ、横にいてもらえないか。

さっきは移らないようになんて言ってたけど、実はちょっと…いや、結構心細かったんだ」



「…そう、なんですか?」



「目覚めた時、驚いたのも確かだけど。ひさめが居てくれて、凄い嬉しかったんだ。だから、そこに居てくれないか」



「ええ。いいですよ。

それくらいなら、お安い御用です」



「もちろん嫌なら…って、いいのか。

…ごめんな、急にこんな事」



「…寧ろ僕、嬉しいです。古賀さんが僕の事を必要としてくれた事、これまでぜんぜん無かったですから」



掌に、何かの感触を感じる。

体温の感触だ。ひさめが、布団の中の俺の手をそっと握ってくれている。



「僕は貴方に頼ってばかりなのに、貴方が僕を頼ってくれる事はとても少ない。だから、今みたいな事を言って貰えると、本当に嬉しいんです」



そう言って、恥ずかしそうに俯く。

だがその発言を修正したりはせず、その目からはむしろ、確固たる意思を感じた。



そんな事は無い。

ひさめはいつもひたむきで、気が利く。俺がふとした時に物事が片付いていたりで、俺は寧ろ君に頼ってばかりなのにな。


ただ、気怠さと眠気がそれを口にする事を許さなくて。代わりに一言だけ。




「そうか、ありがとう。

ひさめは本当に優しいな…」



そう言っていく中で、眠気が限界になって、色々な物が曖昧になっていく。ただ手に残る別の体温と横にある気配だけが、そこに残っている。



ぼんやりとした、認識の中。





「……この瞬間がずっと続けばいいのに」




そんな微かな声と、唇に何か温かい物の感触があった気がした。






……




僕を頼ってくれた。

僕に横に居てくれと、言ってくれた。



『大丈夫、俺に頼ってくれよ』


いつもそうして、貴方は僕を助けてくれる。

笑顔で助けてくれて、その度に嬉しくなる。

でもそうしている度に不安になるのだ。

いつも迷惑ばかりかけてないか。

負担になってしまってるのではないかと。


彼はそんな事言わないだろうし、思いもしないだろう。でもだから、それなのに勝手に僕がそう思ってしまう。彼に釣り合って居ないのではと。意地悪な自分自身がそう囁く。



貴方の為に何かをしてあげたいなんて、烏滸がましいかもしれない。

貴方の助けになりたいなんて、夢のまた夢だったかもしれない。


そんな僕に言ってくれたのは、僕にしか出来ない事。僕を見て言ってくれた、『横に居てほしい』。




…ああ、最低だけれど。

本当は良くない事だけれど。

どうしても思ってしまう。

彼がこのような状態でい続ける事を望んでいる訳でもないのに。


でもきっと、これが終わってしまえば貴方はまた僕を助けてくれる。僕以外にも目を向けてしまう。今貴方は僕だけを頼ってくれる。

僕を見てくれている。


だから、ああ。



「この瞬間が、ずっと続けばいいのに」



自分の口から、そんな言葉が出た事が信じられなかった。だけれど自己嫌悪よりも、何故か先に湧いてきたのは熱に浮かされたような高揚感で。



そしてその熱に浮いたそのままに、目を閉じたその顔に、僕は静かに。顔を近づけて…







……





ぴぴぴぴ、と測り終えた音。

体温計が示すのは完全に平熱。1日ゆっくりと寝て、治ったようだ。良かった、これ以上休んでしまったら授業に置いてかれる所だ。


もう大丈夫ですか?と心配する鈴にもうバッチリだと示してから学校に向かう。一日しっかりと休んだ事もあり、体が全体的に軽いような気もする。



と、あれ。珍しい。

いつもこの時間帯には居ないはずだが、目覚めがいつもより早かったんだろうか。


目の前に、昨日世話になった後輩が居た。

そうだ、昨日も次目覚めた時にはもうひさめは帰ってしまっていたので、感謝を伝えられなかったのだ。



「よう、おはよう」



そう声を掛けた途端。

びくりとその肩が大きく震えた。

…そんな大きい声を出してただろうか。




「ひゃっ!ど、どうも、おはようございます。…えっと、その…」



…どうにも歯切れが悪い。

朝から話しかけるべきではなかったろうか。




「昨日は…そのう…覚え、ていますか?」



そう思っている内に、ひさめは俯きながらゆっくりとそう聞いてくる。昨日は横になっていたから俯いた顔の表情を見れたが、今はそれを伺う事は出来ない。


昨日。あの看病の事を言っているのだろう。もちろん覚えている。あの安心した感覚を忘れる事はないだろう。




「?ああ、覚えてるぞ。

昨日はどうもありがとうな」




「〜〜〜っ!」




そう言った途端、ひさめはバッと顔を上に上げた。その顔は…湯気が立ち上るという比喩がそのままそっくりに似合いそうな程に赤くなっていた。



「ひえっ…い、いやこちらこそ…

じゃなくて、いや…その…」



後退りしながら器用にもあわあわと両の手を顔の前で動かす。そして危なくないか?と少し手を動かした瞬間…


びくり。再び肩が動き。




「ご、ごめんなさいっ!」



…真っ赤な顔はその言葉と共にとんでもない速度で学校方向にすっ飛んでいってしまった。




「……ええ……?」




何か気に障る事をしてしまったのだろうか。昨日の横に居てくれるように言った事が彼女を傷つけたりしてしまったのか?そう悩みながらも登校すると、既にクラスでは登校中に後輩にフられた!と話題になっていた。



誤解だ、誤解!今回は本当に!


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