春と桜の咲く頃の(村時雨ひさめ)



緑が萌える道の中を少女が通る。

少し強い風は吹くたびに桃色の花弁を散らせ、少女の髪をたゆたわせる。


少女はそれに構わず先へ、ゆっくりと。


歩いた先。少し開けた場所に出る。


そこには樹齢百は下らないだろう、大きな桜が咲き誇っていた。


まだ春先の暖かさが届ききっていない季節なのにもかかわらず、花を開かせたその姿は只々美しい。


少し切れた息をゆっくりと整えながら、少女はその眼鏡の奥の目を躍らせ、桜へ向かう。



(まだまだ満開だ。…綺麗だなぁ。

それに、今日は陽当たりも良い)



少女、村時雨ひさめは、四日ほど前。周りに桜が無いのにも関わらず飛んできた桜の花弁を不思議に思い偶然にもここを見つけた。


そもそもあまり知られていない場な上、桜前線を裏切る狂い咲き。周りに他の人は無い。


ひさめはすとん、と木の麓に座る。

そして眼鏡を傍らに置き、眼を閉じた。



彼女は特別に桜が好きという訳では無い。

だが、日本人の御多分に洩れず少しは思う所があるし、加えて…


ひさめは眼を閉じたまま、その場を包んでいる静寂を聴く。


緑が風でさざめく音、花を散らせる風のひゅるりと言う音。それ以外はただ閑かな。

彼女はそんな、この空間を気に入っていた。



それまではここで少し静けさを味わい、すぐに去っていた。だがこの日は、天気が良く、風も生暖かく、うららかな暖かさだった。


ほんの少しもたげた眠気があっという間に少女の小さい体躯を包む。


そのまま彼女は春に意識を預けてしまった。





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




彼がその場を見つけたのはほんの偶然だ。

少し前、近くに大きな桜の木があると知り、知人よりそこが既に咲いていると聞いた。


だから少し覗いてみようか。

そんな軽い思いで青年は来た。


青年、古賀 集はその桜を見て驚く。


その木の威容にでも、桜の美しさにでも無く、その麓に座る少女に。



彼がよく知っている少女、後輩の村時雨の筈だ。


ただ、妖艶な程に美しい桜の元に座るその姿はいつものトレード・マークの眼鏡を外しているからか、まるで別の何かのようだった。

まるで桜の精のような。


彼はそれを見て、彼自身にもよくわからない不安に襲われる。

ふと近づき、顔の前に手をかざす。

勿論呼吸はしている。


頭には、花弁がはらはらと着地をしている。よく見ればもう一つのトレード・マークである三つ編みも今日は無い。成る程、道理で。


そんな事を思っていると、少女は気配に気がついたのか、眼を覚ます。



「………あ、あれ?

古賀さん、どうして?」



「今ちょうど、俺も驚いてる所だ」



「…そう、ですか」



まだ夢うつつなのか、ゆったりとした口調で少女は話す。



「隣いいか?」


「…はい」



古賀は少女の隣にゆっくりと座る。

会話はあまり無かった。ただ、それまで通りの静けさが、その場にはあるのみだった。



「…髪。今日は結んでないんだな。

それに眼鏡もかけてない」



出し抜けに、古賀はそう話す。



「は、はい。整える事もないかと思いまして。

…変ですか?」



「いや。眠ってる時、一瞬誰かと思ったよ。よく似合ってる」



「…前半部分は余計ですよ。

ただ、ありがとうございます」


はにかみながら少女が静かに下を向く。そしてまた、場を再び静寂が包む。その静寂は、不思議と心地よい静けさ。



「…似合うって言ってくれましたし、髪型を変えたりしてもいいかもしれませんね。どうでしょうか」



「いや。俺はいつもの方がいいな。

いつものひさめが好きだ」




古賀は自分でも意外な程に素早く出た否定に、しまった。と、気を悪くしてしまったか、と不安げに少女の顔を覗く。


彼女はただぽかんと口を開け…

…その後、照れ臭そうに、にこっと笑った。




「ありがとうございます。僕も古賀さんが–––」

 


–––––です。



その言の葉は、ひときわ強い風に花びらと共に攫われて搔き消える。少女の頬にその花弁の色だけを残して。




「…すまん、なんて言った?」



「…いえ、何でもないです。

…ね、そろそろ帰りましょうか?

ちょっと寒くなってきちゃいました」



「ん、ああ。大丈夫か?上着貸すか」



「大丈夫です。

…代わりでは無いですけど、帰り道エスコートしてください」




戯れるように、まだ座っている青年にひさめは手を差し伸べる。



古賀はそれを手に取り、立ち上がる。



気づけばもう日暮れ。

夕焼けが手を取り合う二人の影を照らす。



うらびれた、ある二人の話、

うららかな春の日を、少女は青年と過ごす。










……








それは僕と古賀さんが、再び会う時の話。

僕と彼が、先輩と後輩の仲になる時を、たまに思い出す。




「いやー、まさかひさめが私と同じ高校に入れるとは…私はもう思い残すことは無いよ…」



入学式。僕の友達のハルカがそう言う。

感無量と言わんばかりの態度に、つい笑ってしまった。



「あはは、何言ってるのさ、そんな」


「だって、ほーんと大変だったんだもの!

もっと感謝して然るべきだよ、ほらほら!」



…そう。僕は正直、頭が悪い。

一応真面目に授業も受け、普通程度には復習もしているはずなのだがどうしても頭に入ってこず、いつもダメな成績を残していたものだった。

そんな僕が1ラインは高いこの高校の入学式に居る事は、奇跡に近く、そしてそれはこの友人によって齎されたものだ。



「うん、本当に晴果のおかげだと思うよ。

ありがとう、本当に…」



彼女がその身を削って勉学を教えてくれたのだ。

たまにダメさ加減に驚かれてしまう事もあったけど…匙を投げられなかっことは、ほんとうにありがたいことだ。



「…やっぱガチ感謝は無し!恥ずかしくなるじゃん!それに入れたのはあんたの努力の結果だってば。私じゃなくってね」



照れ臭そうに、彼女がそう言う。

自信満々な口調とは裏腹に照れ屋さんなんだ。




「…うん、ありがと!」



「ほらほら、説明会だからってずっとひっついてる事は無いでしょ。憧れのセンパイの所、行っちゃいなよ!」




……ギョッとする言葉が来た。

びくりと体を動かし、声を出さなかっただけ良かった。



「え!?い、いやいや、そんな急に!忙しいかもしれないし、それに、何処に居るかもわからないし、それに…!」



「それにそれにうるせー!

ほら、行った行った!」



「うわ、わっ!」



ごちゃごちゃと言い訳をする僕の背中を、ハルカは思い切り押した!転びそうになりながらも何歩か前に出る。そして振り返ると、もうそこにハルカはいなくなってしまっていた。



「…え!?ちょ、ちょっと!晴果?

置いてかないでよー!」




気のせいか、どこからか晴れやかに良いことしたっ!と言う声が聞こえたような気がした……




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





(…ま、迷った…)



その数十分後。既に僕はうろうろと学校をあてもなく彷徨って、結果自分がどこにいるかもわからなくなっていた。我ながら、情けない…



(うう…学校の地理なんてわかんないし…大体、あの人学校しか知らないし、クラスだとか部活だとかも知らないんだって…)



心の中で誰にでもない言い訳をぶつぶつとする。

だめだ。そうやって諦めようとするのはやめよう!って前に決めたんじゃないか!頬をぱしんと叩く。



(…図書館では、良く目立ってたなぁ。背丈が大きくて、最初に話すようになったのも、届かなかったものを取って貰ったからだっけ)



『あの時』を思い出す。

そう、彼に初めて会った時。



(そう、あんな位に大きくて、目立って…)


「……え、ええ!?」



「?うん…あれ、君は…」



…幻かと思った。

いや、でも本物だ。

まさかこんな事があるなんて。




「あ、その、お久しぶ…

いやえっと、覚えてないです…よね?

その、僕は…」



しどろもどろに自己紹介をしようとする。

あんなに言葉を考えてきたのに、何も思い出せない。



「いやいや覚えてるって。

ひさめちゃんだろ?どうしたんだ、こんな所に」



覚えてる。覚えてて、くれてる。

その事実がまた、頭を真っ白にしてしまった。



「え…えっと…その…」



「……!制服着てるって事は…

今年からここに入るのか。おめでとうな!」



「!は、はい!その…古賀さんは何を?」



「いや、腐れ縁っていうか…今年から会長さんになる奴から生徒会の手伝いを頼まれててな。ここまで宣伝しに来てたんだが…」



「へえ…その、所属してる部活とかは良かったんです、か?」



「いや、俺部活とか入ってなくてな。

だから割とこき使われてるワケだが」



生徒会に。

ぴんと、真っ白になっていた頭にその言葉が入ってきた。



「…せ、生徒会の方にはその。

度々足を運んだりするんですか?顔を、見せたり?」



「?ああ、まあ、そうなるが…

どうした?そんな緊張しなくていいんだぞ?」



「にゃっ…なんでもないです!!」




噛んだ。肝心な時に。

死ぬほど恥ずかしかった。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





「…お、遅かったね古賀くん。と言ってもボクもちょうど戻ってきた所だった…が……」


「……その子は?」



部屋に入った途端、そう言われて視線を感じる。

とても綺麗な人。それに、目がルビーみたいに真っ赤だ。

物語の中のヒトみたい。



「ん、近所の知り合いの子って言うか…

どうやら今年から入るみたいでさ」



「…ど、どうも…」



「ああ、こんにちは。

そんなに萎縮しないで、気楽にしてくれ」



そう言われても、緊張してしまう。

ガチガチに固まったまま、返事をした。



「……ふ…」



「はい、古賀くん。何故笑うんだい?

おかしい所はないだろう?」



「い、いやいや。

凄い猫被りだなって思って」



「やれやれ、失敬な。というかそんな可愛らしい子の前で誤解されそうな事を言わないでくれ」




仲が良さそうに話すお二人の姿。

それを見て、緊張が少しほぐれる。

というより、緊張を他の想いが少し上書きした。




「……あ、あの。僕、生徒会に入ろうかと…」



意を決して、そう言う。

瞬間、沈黙が場を支配する。

や、やっぱりダメだろうか?




「…何!?それは素晴らしい!」



…その人はガタリと椅子を立ちながら、大声で叫ぶ。

こ、怖い…



「いや、この頃わざわざそんな殊勝な子は少なくってね、かく言うボクもまあ期待の押し付けられというか…」


「…っとすまない話が脱線する所だった。いや、ボクは心から歓迎するよ。ただ、もし良ければ理由を聞いてもいいかな?嫌ならいいんだけれど」



「は、はい。その…僕、とろくって。こういう所に入れば少しはそういうのが治るかなって思ったのと。その…」



それは、少しあった本音。

でも、もっと大きいところの本音は…



「……」



つい、視線が彼の方に行ってしまった。

古賀さんの、方へ。




「?」



「!」



「……す、すみません、その、もう一つの理由は…」



「…な、るほどねぇ」



僕のそれを見て、生徒会長は何かを察したように、口を押さえる。そうして、何かしらを考え込み始めてしまった。



「なあシド、そろそろいいか?この後出来ればこの子を案内しようと思って…シド?」



「…下手にたらし込ませないようにと思って人の寄り付かない案内役にしたはずだったのに…まさかまさかの『攻略済み』だなんて…畜生、さすがに予定外だよ…」



「…シド?」



ぶつぶつと言っていたそれは僕には聞こえなかったし、彼にも聞こえなかったようだ。


 

「何でもないよ!ほーれ、もう行っちゃいなって。その子を…っと、失礼。名前を聞いてなかったね」



「…村時雨、ひさめです」



「うん、いい名前だ。ボクは…気軽にシドと呼んでくれ給え。さて、ひさめさんを待たせるのも忍びないだろ?行った行った」




生徒会長……シドさんは、そう、柔和な笑みを浮かべた。

本当にフレンドリーな方なんだろうけど、何故だか少しそれが怖く見えてしまった。僕はなんて失礼だろう。




「おう、んじゃまた後でな」



「ああ。

…『攻略済み』はその子だけじゃあないんだからな」



「ん?なんか言ったか?」



「独り言さ。じゃあね」




そうして扉が閉じる。

学校の案内に。

古賀さんの、案内…

つい、頬が緩む。

あとで、ハルカに感謝を伝えないと。







「…やれやれ。

予想だにしないライバル、登場かあ」





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