まほろばの、陽だまり(古賀鈴)




俺は今、ある孤児院に向かっている。というのも、そこを経営してる人が両親と親交があり、幼少のみぎりからよく手伝いに行っており。今回もそのような流れで何か出来たら…という事だ。


向かっているのは、俺と…



「兄さん、あまり離れないように」



もう一人、古賀鈴。

つまり俺の妹だ。


本人も忙しいだろうし来なくても大丈夫だと言ったのだが「絶対に行きます」と言って聞かなかったのだ。


本人曰く、一人で手伝わせる訳にはいきません、との事だ。なんともまあ、ありがたい事だ。俺には勿体ないくらいの完璧な妹だ。


ただ、連れてくとなると一つだけ心配な事があるのだが…



「わかってるわかってる。

行き慣れてるし迷子にゃならないよ」



「万が一、です」



…流石にこれは過保護な気もするが。

でも善意からやってくれている事だ、咎めることもないだろう。


そんなこんなで歩いていると建物が見えてきた。何度も来たことのある場所だからか、ちょっとした安心感のようなものもある。



「…今日行く事は事前に連絡してありますよね」



「勿論。兄を甘く見過ぎだ」



「そういう訳じゃないんですが」




そんな風にして中に入る。

入り口には、今は誰も居な…




「にーちゃん、久しぶりー!」


「おっと」



急に足近くに飛びついてきた小さなシルエットを、少し驚きながら受け止める。

不意気味だったとはいえ、その衝撃はそこまで重いものではない。



「よお、元気だったか。…少し見ない間にちょっとデカくなったんじゃないか?」



「もう!女の子に重さとか、大きさとか聞くのはタブーだってば!」



「はは、悪い悪い」



そう、俺の足を掴んで嬉しそうに話す、小さな子を撫でる。

ここの孤児院の子の一人なのだが、何故だかかなり懐かれているのだ。


それ自体は微笑ましく、嬉しい事だが。

ちらりと横を見る。

その視線をどう思ったかは知らないが、妹は少し前に躍り出た。




「早く離れなさい。

兄さんが困っているでしょう」



「えー、そんな事ないよね?…ああ、まさかこれだけでヤキモチ妬いてるの?うわあ、心狭ぁ」



「脚にしがみついて、もし兄さんが貴方共々転んでしまったらどうするのです?そんな事も考えられないのですか」



「んー、言い訳がましいなー。

悔しいなら悔しいって言えばいいのに。

恥ずかしくて言えないのかなぁ?」



「安い挑発ですね。余程語彙が足りてないと見えます」




ああ、始まってしまった。そう、一つ心配な事とはこれだ。どうもこの二人は噛み合わせが悪い。どれくらいかと言うと、顔を合わせればすぐ喧嘩を始めてしまうくらい。


最初の頃はどうどうと二人を諫めてたが、最近はそれももう面倒くさくなってきた。



「いい加減に…しろ!」


「うっ」


「いてっ」



だからこうして、ごつんとゲンコツを一発ずつ。無論軽くだが。


さて、わざとらしく大袈裟に頭を抱える横あいの少女を引っ張るようにして先に。


今日は手伝いに来たんだから、小競り合いはまた今度。いや今後もされたら困るんだが。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「ふう」



とりあえず、やるべき事は大体終わったか。

そこらの椅子に腰掛けて少し休憩。


と、そうするや否や。



「にーちゃん、おつかれ!」



その膝にひょいと飛び込んでくる小さなシルエット。その呼び方をするのは一人しか居ない。



「よ、お疲れさん。俺らの作業、手伝ってくれてたろ?ありがとな」



そう言って、ねぎらいを込めて頭をポンと叩く。すると、弾けるような笑顔を返してくれた。



「へへー、もっともっと感謝してよね。

私がんばったんだから!」



「ああ。ほんとサンキューな」



「そうだ!ね、遊ぼ遊ぼ!

せっかく手伝ったんだし、ねぇ!」



「ん…まあいいが、そんな長居はするつもりもないぞ?もう時間も遅いし」



外を見ると、日が半分ほど暮れかけている。長いこと居座っても相手方に悪いだろう。



「えー、少しだけでいーから!」



「わかったわかった。

んじゃあ、何する?」



「私がにーちゃんの手を握って、で、ずっとそのままでいるの。いいでしょ?」



「…?」



正直、よくわからない。何かのまじないだろうか?にしても…しかし、子供の遊びやブームなんて分かろうとする方が野暮だし、断る理由も全然無い。



そうして。

差し出した手を、嬉しそうに握られる。



「なあ、これ…」



楽しいか?と聞こうとしたが、その顔を見たら、まあ楽しそうに、るんるんとしていた。


その顔を見たら、なんだか何か言う気も無くなってしまう。喜んでもらえるなら、別にいいかと。



「ねー、また来てね。結構寂しいんだから」



ぽつりと、そう言う。

その顔には一抹の悲しさがある。


結構大人びてる子だが、人恋しい所もあるんだろう。この、手を繋ぐ事も、その由来の行動なのかもしれない。


だから俺は笑って言う。



「ああ、またすぐ来るよ、きっと」



「ほんと?絶対だからね!絶対絶対にだから!」



「はは、分かってるよ」



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「今日はありがとな、わざわざ付き合って貰って」



「いえ、寧ろ私が無理を言ったんですから。

…こちらこそありがとうございます」



敬語でそう返す妹を、少し寂しく思う。

いつからだったか、家族にも敬語を使うようになってしまった。

たまにパニクったりした時はそれまでの口調に戻るが、それを言ったら前怒られてしまった。



「それと…あの子と仲睦まじくしていましたが。その…何か言われたりしませんでした?」



「何かって…また来てねってだけは言われたけど」



「なら、いいんです。それなら」



俺が答えると、安心したようにそう返す。



「…なあ。どうしてお前、あんなに仲が悪いっていうかさ。つっかかるんだ?」



「!いえ、別にそんな…」



「『そんな』じゃあないだろ。

なんかやな事されたって訳でもないだろうに。…それとも何か、理由があるのか?それならちゃんと俺に言ってみろ」



「いや、でも」



「大丈夫、何でも受け入れるぞ。

それに、むしろ完璧な妹の弱味を見れるのは嬉しいくらいだからな」



冗談めかして、そう言う。


すると、彼女には珍しく語頭をごにょごにょと濁らせて、言いづらそうに話しだした。



「……だって、あの子ったら。

『お兄ちゃん』だなんて……」



「…兄さんを兄さんって呼んでいいのは、私だけなのに」



へ?と間抜けな声を出してしまった。

伏せた顔を見ると、すごく赤い。林檎のようだ。まあ、たしかに恥ずかしいだろう。


なんだ、本当にヤキモチだったのか。


敬語云々で距離を置いちまってたのは俺で、本当はコイツは、何も変わってない、甘えんぼのまんまなんだな。


ポン、と手を置き。そのまま頭を撫でる。

子供の頃、兄ちゃんに任せろと言ってよくこうしたものだった。つい癖になってしまっているから直そうとも思うんだが。



「なーに、変なこと心配してんだ。

お前が望む限りは、俺は、お前の兄貴だよ」



「…なら、いいけど…」



小刻みに震える頭を掌で感じながら撫でる。

その時間がそこそこ続いた。


ブーっと、携帯の音が響くまでは。

ビクリとその音で正気付いた彼女は、慌てて俺の手を退かした。



「い、いつまで撫でてるんですか!

ほら、早く帰りますよ!」



「はいはい。あ、今日のメシなんだって?」




赤い顔と共に家路に向かう二つの影。

すっかり暗くなった周りを街頭が照らす。


歩いて、帰っていく。

そうして、俺の1日が過ぎていく。









……









……それは、私の追想。

私の、古賀鈴に刻みこまれた記憶。

今でも見る、夢。

子供のころの私たち。



お兄ちゃんの事は、好きだったし、優しくって遊んでくれて、いいお兄さんだと思った。


ただ、兄としてはあんまり頼りないかなぁ、なんて思ってた。いつも、私の意見にばかり賛同するし、何かやってと頼まれたらすぐやっちゃう。優しいんだけど、優しすぎるっていうか。


だから私がちょっと、支えてあげないと。

そう思っていた。



ある日の事。留守番をしている時、家の中でかけっこをしてた。

危ないよと止める兄に、これくらい大丈夫だよと言い張って。


おにさんこちら!と、キッチンの方に逃げて振り返った時。


あの優しすぎる兄が、鬼気迫るような顔をして、こちらに飛び込んで来て。

渾身の力で、思いっきり私を突き飛ばした。


痛くて、痛くて。それより怖くて。すぐ泣き出しそうだったし、泣くつもりだった。


でも、そんな場合じゃない事がすぐわかった。

兄はその顔から、全身にかけて熱湯をかぶっていた。火にかかっていたヤカンからの、それを。


そこでようやく理解した。

突き飛ばしたのは、私を庇う為だった事。

私のせいで、こんな事になった事。

兄ちゃんは危ないからと止めてたのに、大丈夫と言ったのは私だった。



頭が真っ白になったけど、このままじゃいられないと、何とか救急車を呼んで、氷とか水とかを必死にかけた。

それくらいしか、出来なかった。



……


………



幸い、お湯の温度がまだそこまで上がりきってなかった事や、冷やした事が功を奏したらしく、眼や身体に支障は無いらしかった。



ただ。火傷の傷は残ると思った方が良いと。そう診断された。



ベッドで寝ている兄の横に座って、起きるのを待っていた。

私は、真っ青になってぶるぶる震えていた。


痛々しい包帯が、私がどんな事をしてしまったか突きつけてくるようだったし、それに、もしこれで。嫌われてしまったらどうしよう。考えた事もなかった。



『…ッ…いてて…』



兄ちゃんが起き上がる声に、息を飲んだ。死刑宣告のベルが鳴ったみたいな心持ちだった。



『…ここは…

…そうだ!ケガ、ケガないか!

ごめんな、思い切り殴っちゃって!』



真っ先に、兄は私の肩を掴んでそう聞いて来た。起きて最初にやる事は、私の心配だった。


震える声で、私を恨んでないか。

聞いてみた。



『ん?確かに傷は痛いけど…まあ別に直ぐ治るしさ。それに、お前が無事で居てくれて良かった。兄ちゃん、それだけが心配でさ』



もう申し訳なくて、申し訳なくて。謝罪の言葉も、言ってしまえば兄の行動の侮辱になるみたいで、ただただ泣いてしまった。


兄はそんな私を、酷く心配していた。

大怪我を負ったのは、自分なのに。





それから私は、考えを変えた。

私は、自分が出来る限り完璧であろうと、そう思ったし、そうあろうと思った。


真面目に、勉学に励み、運動も出来、人に優しい。誰かに手を差し伸べられる人間になろうとする事が出来た。


そうでないと、兄さんの横に立つのにふさわしくないから。

大変だと思う事も何回もあったけど、それでもその一念があればこそ、頑張れた。



兄さんはいつも私を、自分には勿体ない完璧な妹だって言うけど、むしろ逆。



あの時、笑って自分を犠牲に出来た貴方が、私にとってはいつまでもヒーローなの。



私にとって。

貴方はいつでも完璧なお兄ちゃんだから。



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