彼らの一日:後編




ふう、と軽く息を吐く。なんとか時間内に待ち合わせ場所に着くことが出来たが、きっと彼女はもう先に着いているだろう。


ここは図書館。俺たちの学校近くにある場所で、いつも閑散としている。だからこそ、静かに時間を過ごすにはいい穴場になっているが。



さて、と目を凝らす。


すぐに座っている少女の姿を見つけた。

座って、机に上体を寝そべってる。

静かに寝てしまっている。


顔は見えないが、彼女の少しぼさついた、おさげにしてある髪型で判別がつく。ついでに、制服も俺たちの高校のものだ。



くく、と笑う。

ただ寝かせて置く訳にもいかないだろう。

優しく揺さぶる。




「…ひさめ、ひさめさん。起きてくれー」




「……ん…あれ…」


「…あれ…?

……あれ!?こ、古賀さん!?

あわ、わ!待っ…ぼ、僕まだ!」




あわあわと慌てて、横に置いてある眼鏡を壊れんばかりの勢いで付けて、必死に髪を整えている。顔は真っ赤だ。




「あはは、そんなに慌てなくていいよ。

ていうかごめんな、少し遅れちまって」



「いや慌ててなんか…

いえ、遅れてはいな…え、ええと!」




何とか、落ち着こうとする姿を見る。

その姿を見て、自然と笑いが込み上げてくる。



「わ、笑わないでくださいよお…」



「悪い、つい…」



彼女の名前は村時雨ひさめ。高校一年生で…

まあ平たく言うならば、俺の後輩だ。

実は、先程俺の居た生徒会の、庶務でもある。(今はテスト期間の為に来て居なかったが…)


関係性はそれが初めてではなく、ちょっと奇妙な仲だったんだがそれについてはまあ説明するのも面倒だし、何より必要も無い。 



眼鏡におさげの髪、そしてひょこりと一本生えたアホ毛。彼女が意識してセットしているというわけでは無いらしいが、にしては見事に生えてるものだ。


そして、顔が良い。

野暮ったい服装や髪型などでもまるで霞んでしまわない程度には、非常に顔が良いのだ。


背格好が小さい事もあり、大きなキズが付いてる俺と並んでると正直誘拐の現場みたいだ。この制服が無ければ何度か通報されてたんじゃないだろうか。




「……じゃあ、そろそろ始めようか」



「は、はい。今日も宜しくお願いします!」



「ああ。…えっと、今日は何だ?」



「…はい。では…『これ』をお願いします…」




そう。そんな彼女と連日ここに集まっているのは何も彼女との密会だとか、そういう訳では断じて無い。ここに来ているのは…




「……『化学』か。

また少し教えづらいものを…」



「す、すみません…お願いします…」




…彼女のテスト勉強の為だ。






……





「……うーん…採点終わったぞ」



「うへえ…ひ、低いですね…」



「何を他人事みたいに言ってるんだ…

ほら、そこの答えの解説一応書いておいたから、分からない所あったら言ってくれ」



「はいぃ…」




そうして、また頭をうんうんと悩ませる光景を見る事になる。


彼女はその…

とても、真面目だ。

真面目で、言われた事はやる。


ただどうしても勉強はそこまで好きではないのと、その…何というか、要領が悪い。

そのせいで、どうも成績が芳しくないのだ。



一世一代の告白のように、勉強を教えてください!と言われた時の事を思い出すと、ついつい微笑んでしまう。それを言うとひさめは拗ねてしまうが。


教える事により俺自身の知識の裏付けにもなる。だから教えるのも快諾した訳だが…




「…あっ。ここって…こういう事ですか?」



「…いや、ちょっと違うな…

もう一回考えてみ」



「うう…わかりました…」




…安請け合いした事を、ちょっとだけ後悔している節はある。


というのも、俺もそこまで頭が良い訳ではない。あくまで平均レベルだ。そんな人間が教えても彼女の力になれないのでは無いか。と、ついつい不安になってしまうのだ。

ひさめの時間を、みすみす無駄にしてしまってるだけなのではないかと。




「!わ、わかりました。

こういう事ですよね!」



「お、どれどれ…

……うん、そうそう!良く頑張ったな!」



「や、やったあ!」



疲労混じりの、にへらとした笑みを彼女がする。その笑顔がひどく可愛らしくて、ついさっき抱いた様な不安がさらさらと消えて行くのがわかる。我ながら現金なものだ。




「そろそろ休憩しよう。図書館だから飲食は出来ないけどまあ、息抜き程度にな」



「そうですね…

僕もちょっと疲れちゃいました…」



そう、ふにゃっと溶けていく。その様子を見てまた、笑いそうになってしまう。

馬鹿にしている訳ではなく、微笑ましさからだと上手く説明できればいいんだが。




「……しかし、何で俺なんだ?」



「…へっ!?な、何がですか!?」



「いや、教えて貰う人。

俺以外にもよっぽど賢い奴居ただろうに」



「あ、ああ、そういう事ですか。

…そうですね。以前その…教えてもらったじゃないですか。あの時、とてもわかりやすかった

のと…」



「と?」



「その…た、楽しかったので…」




そう言っている彼女の頬は少し赤くなり、微笑みを浮かべていた。

『あの時』の思い出が、彼女にとっては良い思い出になっていたらしい。それはとても嬉しい事だ。




「…そっか。そう言って貰えると嬉しいよ」



「は、はい。僕もその…古賀さんと一緒にいる事が出来て嬉しいです」




微妙に会話になっていないような会話を、少し怪訝に思いながら笑う。

彼女なりの俺が嫌いじゃないという意思は伝わってきた。それは、喜ばしい事だ。




「しかしその…すまん、失礼だけど…どうしてこの高校に来たんだ?ひさめの学力なら一つ下の所に行った方が楽だったと思うぞ?」



そういうと、ひさめはぴくりと肩を震わせた。

瞬間、こっちを真っ直ぐ見た。




「…ここが」


「ここが良かったんです。

ここじゃなきゃ、駄目だったんです」



と、いつもの気弱な様子すら消えてきっぱりとそう言った。


俺は様子を見てそれ以上何も言えなくなった。そうか、分かった。彼女が拘った訳を…



「…そうか、ひさめは寝坊助さんだもんな。家から近いこっちじゃないと厳しいか…」



「そ、そんな理由じゃありません!」



「あはは、冗談冗談」




そうこうしている内に、日が暮れていく。

図書館内に閉館のアナウンスが流れた。




「っと…そろそろ帰らなきゃか。

それじゃ、また明日な」



「あ…

…はい。それでは、また」




名残惜しげな顔をしてから、にこりと笑ってくれる。そんな顔をされたら、こっちまで名残惜しくなってしまいそうになる。だがだからといって帰らない訳にはいかないだろう。




「……また、明日」




ーーーーーーーーーーーーー





家に戻ると、玄関に鈴が立っていた。何をしている訳でもなく、じっと遠くを見つめるように、ぼーっとしている。最近の鈴には珍しい光景だ。


しかし、何故玄関に?どうしたんだろう。鍵を落としでもしたんだろうか。



「ただいま。…どうした鈴。

家の鍵無くしたのか?」



「おかえりなさい、兄さん。

…そんな間抜けな事はしませんよ」



そう言われて家を見てみると、明かりは付いているし、良い匂いもする。既に料理も作っているようだし、鍵を無くしたという事ではないのだろう。



「…兄さんを待っていたんです。

帰りが遅かったから…」



「遅い?…って言っても、そこまでじゃないだろ。そりゃいつもよりちょっと遅めだけど」



「…帰ってきたのならよかったです。

さあ、ご飯を食べましょう。一緒に」



成る程。鈴は、恐らく一人で夕飯を食べるのが寂しかったのだ。今日は両親共に帰りが遅い。そうなると、俺以外食卓を囲める者は居ない。


鈴は、とてもそうは見えないが、案外寂しがり屋なのだ。本人にそう言うと躍起になって否定するが。




「はいよ…あ、その前に手洗わないとな」



「ふふ、そうですね」






……




「あー…今日は学校、どうだった?」



「…なんです、その聞き方」



「…ほんとだよ。娘との接し方がわからない父親じゃねえんだからな」



「ぷっ…ふふ!確かに、それっぽい」




食事を終えて、ダラダラとクイズ番組を見ている最中だった。なんだかよくわからない沈黙に耐えきれずに、変な切り出し方をしてしまった。まあ結果笑ってくれたから良し。


風呂上がりだからと言う事もあるだろうか。鈴の雰囲気は朝よりも幾分か柔らかい。

というよりも、家の中だと彼女から張り詰めた雰囲気が些か減るのだ。




「えー…これBじゃねえかな。絶対そうだよ」



「いや、Aですよ絶対。多分」



「どっちだよ」



「Aですって。100円賭けてもいいですよ」



「言ったな。じゃあ俺Bに100円」




財布を互いにぬるりと取り出す。小銭を漁ったら10円が10枚有った。通りで財布が重いはずだ。もし外れてたらついでにこれを押しつけてしまおう。




『答えはCです〜!』




「「……」」



「…ノーコンテストだな」



「…絶対Bって言ってたじゃないですか」



「いや鈴も絶対Aって言ってたろ!」



「私は『多分』に修正しましたから」



「うわずっる!コスずるいぞお前!」



「なんとでも言ってください」




静かに笑いながら、時間が過ぎていく。

だんだんと夜が更けていく。


明日も学校がある。それぞれ自然に、お開きの形になっていく。それぞれの部屋に戻る、そういう流れに。


そうして、リビングから部屋に戻ろうとした時に。




「兄さん」




急に、声を掛けられた。




「ん?なんか俺やらかしたか?」



「いえ、そう言う訳では…」




そう、鈴には珍しく語調が弱まる。いつも理路整然とした鈴らしくもなく、言い淀む。




「…その…朝は」



「?」



「朝は、すみませんでした」



「……?」




本当に思い当たる節が無く、首を傾げてしまう。それに、痺れを切らしたように鈴が叫ぶ。



「朝!説教をしてしまった事です!不快な思いをさせてしまったのではないかと思って!」



「え…ああ、あれか!なんだよ、全然そんな不快な思いなんてしてないって!謝る理由なんて無い無い」



「本当ですか?…なら、何故…」


「…なんで、撫でてくれなかったの?」



「ん?」



「朝、走って行っちゃったのも、どうして?」




…なるほど、どうも、俺の軽率な行動が鈴にとんでもない誤解を生んでしまっているようだ。




「あれは違うよ。走ったのはマジで約束を忘れてたからだし、撫でなかったのは…お前ももういい歳だから、嫌がるかと思っただけだ」




「…本当?…お兄ちゃんは嫌な事を嫌だって言わないから…我慢させちゃって、嫌な思いさせちゃってたかなって…」



「……考えすぎだよ」



そう言う傍らで、俺は自分に喝を入れてしまいたくなっていた。


そうだ。幾らしっかりしてるからって、強く見えたからと言って、鈴はまだ中学生。


そして、俺の妹なんだ。敬語を使い始めたから。思春期だから。そんな風に勝手に見切りを付けて、判断をするなんていけない事だった。




俺は静かに、鈴の頭を撫でた。

昔のように、ゆっくりと。




「鈴は寂しがり屋さんだな」



「…そんな事、無い」



「はは、そうだな」




必死になった時、取り乱した時、追い詰められた時、鈴はつい敬語が解けてしまう。俺を呼ぶ時も、以前のような『お兄ちゃん』呼びになる。勿論、そうそうある事では無い。


つまり今は、俺が彼女をそれくらい追い詰めてしまったと言う事だ。俺のせいで、そんなにも追い詰めてしまったのだ。


ただ、今のその顔を見ると、もう大丈夫なようだ。もう、一人でも大丈夫だろう。





「…それじゃ、おやすみ」



「…はい。

おやすみなさい、兄さん。また明日」




そうして、部屋に戻る。





ーーーーーーーーーーーーー





さて、寝る前に単語の一つでも見ておこうか。

そう寝床に転がりながら考えて単語帳を開く。


が、疲れていた事もあり、すぐに眠気に襲われてしまう。


いかんいかん。ちょっとは覚えておかないと。

そう思いながらも身体は正直だ。



あっと言う間に、眠ってしまった。






……





夢を見た。

それは、語るのも恥ずかしい夢。


おさげと眼鏡の少女が俺の手を取った。赤い眼の女性が、その手を奪うように手を取る。

そしてその横で、真面目そうな女の子が俺の裾を掴んだ。



そして、皆が言う。


『誰を選ぶの?』と。





ぴぴぴぴ。

ぴぴぴぴ。


目覚まし時計の音が鳴り、少しもたついた手先でそれを止め、ゆっくりと起き上がる。



(……我ながら、自意識過剰すぎるだろ)



わけのわからない罪悪感と、気恥ずかしさ。夢は無意識の表層って聞いたことがある。

つまりは、こんな事をちょっとでも考えている自分がいるって事だ。ああ、嫌になる。




そうだ。それぞれ、彼女たちが俺に好意を向けてくれてるのはわかっている。


だが、それはLoveではなく、Likeなのだ。そんな事はとうにわかりきっているだろう。

そう、洗面台で鏡を見ながら自分に問う。


そうしていると、顔にある火傷跡がいやでも目に入る。

ああ、そうだ。こんな傷がある人間を愛してくれる人間なんて、居るはずが無いだろうが。


そう思って少し笑った。

さっき見た夢の自嘲だ。




さて。頬をぱんぱんと叩き、それらを忘れる。


今日のご飯係は俺だ。鈴が起きてしまう前に色々とやっておいてしまわないと。



ちゅちゅちゅんと、雀が鳴く。

また、一日が始まる。


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