彼の周りは少し愛が重い

澱粉麺

彼らの一日:前編




…布団の中で目が覚めて、その数秒後に目覚まし時計の音が鳴る。少しもたついた手先でそれを止めてゆっくりと起き上がる。

何故か肩が凝る。思い当たる節は幾つかあるが、どれか特定するのは難しい。ただまあ、突き止める必要も無い。


部屋を出て、階段を降りる。

既に良い匂いがする。今日は母と父共に早い筈だ。だからこれを作っているのは…



「兄さん、遅いですよ。

冷めてしまう前に食べてください」



「悪い、昨日ちょっと夜更かししちまって」



「まず顔を洗ってきて下さい。

お皿に目やにが落ちそうです」



洗面台に行き、顔を洗う。

歯を磨き、鏡で顔を見る。別にどうって事ない、普通の行動。普通の朝に、普通の光景。


ただ一つ、どう贔屓目に見ても普通でないのは

俺の顔に付いた大きな傷痕。酷い火傷の跡。


子供の頃に何やらやってしまった時の傷らしいが、正直なところ自分自身ではよく覚えてない。まあどうせストーブに顔から突っ込んだみたいな下らないことだろう。



「兄さん!何を愚図愚図してるんですか!」



うわっと。大きな声が俺を正気付かせる。

直ぐに身嗜みを整えて、椅子に座る。


今日は、妹の鈴が作った朝御飯。簡素な物ではあるが、寝起きにはむしろそれがありがたい。

するすると掻き込んでから、鞄を持つ。


追われるように玄関を後に。それに数瞬遅れ、後ろから扉が開いて閉じる音。

鈴が後ろに居る。



そうして、共に登校をする。

いつもの、平和な通学風景だ。

横には一人の少女。


古賀鈴。俺の自慢の妹だ。

セミロングの黒い髪ときっちりした着こなしはいかにも真面目そうであり、実際に真面目だ。

中学三年生であるというのが信じられないほど大人びて、しっかりしている。俺の上背が無駄に高くなければ、どちらが兄(姉)かわかったものじゃなかったろう。



「そういや、そろそろテスト期間だな。

鈴はやっぱ余裕か?」



中高一貫校に俺たちは通っている為、通学路は同じ。帰り道はそれぞれ放課後に用事がある為違うが。

だから、テストの日にちも殆ど同じ。それに起因する話題だったが、少し後悔する事になる。




「余裕…とまでは行きませんが、誰かさんと違って詰め込み学習をするつもりはありません」



うっ、と唸る。耳が痛い。

じとっと睨みながらの発言は、誰を表しているかを完璧に示していた。



「ま、まあ、なんだ。

平均くらいは取れてるしいいだろ?」



「一週間前に暗記する事の不健全さについて言っているんです。日々の予習、復習を徹底すればそんな事をする必要はない筈です」


「それに『いいだろ?』なんて私に許可を取る必要も。勉学とは自身の為に行うものであって誰かの納得を得る為の物では無いのですよ」



「…ハイ、一字一句その通りです…」



語調は少し強いが、鈴が言っている事は全て正しい事だ。しかも彼女は当然に口だけではない。実際鈴が詰め込みをしているところを見た事は無いし、成績も非常に優秀だ。




「…すみません、朝から説教臭くなってしまいましたね」



「俺の事を思って言ってくれてるんだろ。大丈夫、分かってるよ。鈴は昔から優しいからな」




そうして、頭を撫でようとする。それに気付き、手を途中で止める。


昔からの癖で、ついついやってしまいそうになるのだ。だが妹ももう思春期だ。家族にすら敬語を使うような程だし、下手に触るのもよくないだろう。




「…兄さん?」



「いや、なんでも…

…っと、あれ!?もうこんな時間かよ!

悪い鈴!ちょっと先行くわ!他の約束あるんだ!」



「え、ちょっと…!」




返事も聞かずに走り抜ける。

いや、本当にすまん。後ろでは時間管理がなってないと怒ってるだろうか。そう言われたら割と否定しようが無いな。






「……行っちゃった」


「……言い過ぎだった、かな…」




ーーーーーーーーーーーーー




何とか、朝の用事には間に合った。

『そんな急がなくても、もし暇だったらくらいで良かったのに〜』と言われた時は力が抜けてしまったが、まあなんだ。クラスメイトの力になれたって事は喜ばしい事と思っておこう。


そうして、あっという間に昼休み。

昨日作り置きしていた弁当を早々に食べ終えてしまい、購買で何か買おうかと食堂へと向かう。


 

すると、ある一場所に人だかりが出来ていた。

なんだろうと目を細めて見る。そうして、なあんだ、と拍子抜けした。

なんだ、よくある事だ。



人だかりのほとんどは女子が占めていて、そしてその中に居る人物は非常に見覚えがあった。


すらっとした顔立ちに、高めの身長。清潔感のある、後ろに纏めた髪と、非常に珍しい赤い目の色。カラーコンタクトでもなんでもなく、地なんだそうだ。



それは、我が校の生徒会長サマだった。彼女はその中性的な口調や見た目から、女生徒ながら、他女生徒に王子的な扱いをされているのだ。


彼女は、シドと呼ばれている。

無論本名ではない。彼女の下の名前は史桐(しとう)と言うのだが、どうも本人がその名を気に入っていないらしく、『気軽にシドと呼んでくれ』とあだ名呼びを薦めてくるのだ。





「……ああ、ありがとう。ボクも嬉しいよ。

うん?…成る程、以前の意見は君のおかげだったのかい。感謝しているよ」




言葉の一節一節毎に黄色い悲鳴が聞こえてくる。遠目に見ると、その端正な顔には爽やかな笑みが張り付いていた。


それを見て、ふふっと笑いが出てしまう。


瞬間、悪寒がした。

目が合った。バッチリと、こっちを見ていた。一瞬だったが、完璧に目は笑ってなかった。




「……うん?いや、何も無いさ。

ふふ、心配してくれてありがとう」




黄色い悲鳴が遠くに聞こえる中、俺は頭を抱えてしまいたかった。ああ、放課後が怖い…






……




「それで?何で笑っていたのかな」



「いや、その…すげえあからさまな作り笑いだったからその…つい笑いが出ちまって…」



「あはは、キミは相変わらず素直だねえ。

つまりボクを馬鹿にしていたんだな?」



「違う、違うって!お前を馬鹿にしてたとかじゃなくてなんかこう…シュールで!」



「言い訳がド下手くそかキミは」




生徒会室で、赤い目が俺を糾弾する。

糾弾しているその顔は非常にウキウキとしてて、楽しそうですらある。

…この女やっぱり悪魔なんじゃなかろうか。




「おや、何かまた良からぬ事を考えてるな?古賀くん。反省が足りないんじゃないのかい?」



「なんで分かったんだよ!?

いだだだだ!!指絡めするのやめろ!」



「いい加減にポーカーフェイスを身につけ給えよキミは。ほら、さっさと詫びを成果で出しなよ」



……そう、いつからこうなったんだったか。


品行方正、才色兼備、成績トップで教師の評価も最高。そんな生徒会長サマは、この生徒会室、俺と二人きりの時だけにその分厚い猫の皮を脱ぐ。

我儘で、ねじ曲がったその性根を表す。



初めはそうじゃなかった筈だ。

(シド目当てでの)水面下争いが激しすぎて、他職の人員が決まらないのだという生徒会の仕事を俺が臨時で手伝う事になった時はまだ、俺の前でも彼女は猫を被っていてくれたんだ。




「おや、その書類も書き終えたのかい。

相変わらず仕事が早いねえ」



「お前に散々慣らされたからな…

あ、そのチョコくれ。甘いもの食いたい」



「これボクのだから駄目」



「一個くらい良いだろ!?」



「キミの断られた時の顔が見たいから駄目」



にんまりと笑いながら、悪びれもせず言う。

この野郎…とは、言わなかった。言う気力も尽き果てていたというか、言っても無駄だとわかっていた。



いやほんと、いつからこうなったんだったか。


げっそりとした俺の顔を見て、シドがカラカラと笑う。その笑顔は、昼休みに食堂で見た笑顔とは、まるで違った。張り付いたような笑みでは無く、心からの笑みのようだった。


それを見てると、まあこの関係も悪くはないかなんて思えてしまうからずるいもんだ。




「しかし珍しかったな、食堂で囲まれてるの。お前そういうの嫌がっていつも隠れて食うだろ」



「彼女らが他に迷惑をかけそうだったからね。仕方なーく姿を表したのさ。やれやれ、人気者も楽じゃあないね」



そう自慢じみた言葉とは裏腹に、表情は本当に困り、疲れてしまっているようだ。



「全く、キミといるくらいが幸せでいいよ。

いっそ逃避行しないかい古賀くん」



「勘弁してくれよ、俺が女子に殺されるだろ」



「はは、フラれちゃったか。…残念」




酷く、落ち込んだような顔をする。

どうせフリだろう。この生徒会長はとんでもない演技派なのだ。もう騙されないぞ。




「しっかし…よく付いてこなかったな、この生徒会室に。なんとか追い払ったのか?」



話題を変えようと思い、そう言う。あの数、あの熱狂を流すのには大変だったろう。



「…ん?ああ、そりゃあ全力で追い払ったさ。書類仕事の邪魔になるから、迷惑になるからとね。唯一の憩いの場すら壊されたくないもの」



一瞬の沈黙。

その後、低い声が聞こえてきた。




「それに、キミと二人きりの時間を他の奴らのせいで失うなんてあってたまるか」




その言葉を何度か反芻してようやく理解する。




「…おいおい、どんだけ俺虐めるの楽しみにしてるんだよ」



「アハハ、そういうことじゃないけどね。

いや、それもあるかも?」



瞬間、チャイムの音が聞こえて来る。

おや、もうこんな時間か。



「すまん、時間だ。まあ割り振られた分の仕事はしたし許してくれよ…くれよ?」



「オーケー、ボクを笑ってた分の残りの言及はまた明日にしようか」



「まだあんのかよ!…んじゃ、また明日な」



「うん、また明日。

…明日も来てね。約束だ」




最後に言ってた言葉は声が小さくてよく聞こえなかったが、まあきっといつものような軽口だろう。俺はただ、早歩きをし始める。

待ち合わせをしておいて、待たせる訳にはいかないだろう。




「……ちぇっ」





後編に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る