第13話

「こちらの部屋です。リリアナ様も中でお休みになられています」

「そうか」


 魔法で探ればリリアナの場所はすぐにわかるのだが、ヴィクトールが部下に案内させると言うので、部下だと言う男のヒトに案内され、その部屋の前までやってきた。

 そうして私がリリアナの部屋に入ろうとすると、何故か部下の男はそのまま扉の横に立って動く気配がない。

 何故まだいるのだろう。もう案内は必要ないのだが。


「……? 何かございましたか?」

「いや……」

「左様でございますか。私はこちらで待機させていただきますので、何かご入用の物などありましたら、遠慮なくお伝え下さい」


 何故それを私に言うのだろうか。この部屋はリリアナの部屋で、私の部屋では無い筈なのだが。

 まぁ、気にしても仕方がない。私は扉を開けようとしたが、私が動き出すと同時に、彼は見事な身のこなしで腕を動かし、サッと扉を開けた。


「どうぞ」


 これはヒト独自の文化なのだろうか。目上の者の行動を一々補助して回るのは。

 私はエルフの王宮に深く関わった事も無かっただろうし、そこで働く従者達の事もよく知らないし、覚えていない。

 何となく釈然としない気分で部屋に入ると、扉は静かに閉められた。

 そして私は、寝台らしき家具の上で寝転がって、ボンボン、と全身で跳ねているリリアナを発見した。


「……あっ」


 リリアナは私に気付き、寝台にうつ伏せで突っ伏した。

 何をやっているんだ。何だその奇行は。

 そのまま暫く沈黙の時間が流れたが、リリアナは身を起こしてこちらを見た。その顔は少し赤くなっている。


「お、おかえりなさい」


 別にどこかに行っていた訳では無いのだが。

 リリアナを無視して室内を見回すと、何とも過ごしやすそうな部屋に見えた。掃除がよく行き届いていて、広々としているし、机や椅子、クローゼット等の家具も一通り揃えられている。

 家具はエルフが使っていた物とそう違わないだろう。ヒトとエルフは体の大きさや形が似ているから、使う家具の形も似てくるのだろうか。

 ガラスが嵌った窓から外を見ると、既に空は赤くなっている。ヴィクトールとは随分と長く話し込んでいたのかもしれない。

 

 最後にリリアナが跳ね回っていた寝台をよく見ると、白い布の塊のような物が敷かれている事を発見した。

 近づいて触ってみると、とても柔らかい。

 それは牢獄の中で数千年過ごした私にとって、大きな衝撃を与える物だった。

 

 何だこの柔らかい寝台は。この上で寝転ぶなんて、そんな事が許されるのか。いや、許されなくても私はこの上で寝転びたい。

 私は即座に誘惑に負け、リリアナの隣に寝転んだ。


「ちょ、何!?」

「素晴らしい」


 本当に素晴らしいの一言だ。ヒトは何て素晴らしい物を作り上げたんだ。

 私が地上でかつて使っていた寝台は、木材で組み上げて木の葉をその上に積んだ物であり、その硬さはこの柔らかな寝台とは比べるべくもない。この寝台と比べれば、エルフの寝台はゴミだ。

 それにこの、頭を支える為にあるのだろう、布の塊だ。これも素晴らしい。私の後頭部をしっかりと支えており、首がとても楽だ。極楽とはこの事か。

 私はもう、ここで世界の終わりまで過ごしたい。それほどこの寝台は、私にとって凄まじく快適だった。


「……これ、ベッドって言うんだって。柔らかいでしょ」


 私があまりの衝撃に固まっていると、隣のリリアナが呆れたような声色でそう言った。

 ベッド。それがこの素晴らしい寝台の名前か。

 私はヒトが大好きになったかもしれない。こんなに良い物を作って、しかも使わせてくれるのだから。


「柔らかすぎる。ずっとここで寝ていたい」


 それは私の本心からの言葉だった。

 もうヒトとかエルフとか、竜とか魔物とか、本当にどうでもいい。ここでひたすら惰眠を貪っていたい。

 そうして、私は頭を空っぽにして、目を閉じて完全に睡眠の体勢に入った。


「何言ってんの、この変態っ!」


 すると、リリアナが突然足で私の体を蹴り出して、床に落とした。

 床には厚めの敷物が敷かれているが、ベッドと比べると、とても硬い。

 全くこいつは酷い邪神である。私は痛みを覚えながら立ち上がった。


「痛いだろう。何をするんだ」


 そう言いながら、私は再びベッドに寝転んだ。

 ああ、素晴らしい。この柔らかさが私を癒やしてくれる。


「はぁ!? 私の方が痛かったんだけど!? 指折れたんだけど!」


 こいつは私の痛みを正確に感知して、自分の痛みと比較する能力でもあるのだろうか。

 いやそれよりも、まだ覚えていたのか。こいつの知能ではとっくに忘れてしまったものだと思っていた。


「少しやりすぎだったな。すまない」


 私はベッドのお陰で大層気分が良かったし、ヴィクトールにも何やら言われた気がするので、適当に謝っておいた。

 するとリリアナは何故か、視線を泳がせて口をパクパクと開閉している。腹でも減っているのだろうか。とんでもない食い意地の持ち主である。


「指を見せろ。折れているなら治してやる」


 絶対に折っていないし、ほぼ確実に折れていないのだろうが、一応診ておいてやろう。

 他者の体を魔法で治療した経験は無いが、まぁ何とかなると思われる。直接的に治す事が難しそうでも、治す方法はいくらでもあるだろう。


「……折れてないもん」


 リリアナは体ごと私に背を向けて、小さな声でそう言った。


「そうか」


 やっぱり折れていなかった。何故そんな嘘をつくのか、意味がわからない。

 

「……ごめんなさい」

「何がだ?」

「あなたの分のお肉食べたから、怒ったんでしょ」


 何故かわからないが、リリアナは明らかに落ち込んでいるようだった。しかし、私がこいつを痛めつけた原因は、こいつの無性に腹が立つ気色悪い表情である。

 それにしたって、リリアナが反撃に魔法を使おうとしなければ、私はこいつの額を一度打つだけで終わりにするつもりだったのだが。

 そもそも、私としては特にあの肉が食べたかった訳でもない。


「いや――んん、まぁ、うん。もういいぞ」


 しかしそれを正直に伝えようとした所で、更にリリアナが面倒な事になりそうだと思い至ったので、寸での所で堪えた。

 危なかった。こいつが本気で魔法を使って私を害そうとするなら、四肢を折る位の事は必要になったかもしれない。こいつはどう見ても子供の様だったが、一応は邪神なのだ。

 しかし、私も地上に降りてから成長したようだ。他者の反応を考慮できるようになるとは。


「……ねぇ。明日、一緒に街で楽しいこと探さない?」


 嫌である。私はこのベッドの上で寝転んでいたのだ。何故わざわざ街に出ていく必要があるのか。


「私はここで寝ている。一人で行け」

「は?」


 すると、何故かリリアナは信じられない、と言った様子で見てきた。こいつは表情がわかりやすいのだが、何故そんな反応をするのか、私には良くわからないのが問題だった。


「あれ……? 今の流れって、私のお願いを聞いて仲直りする流れだったよね……?」

「何だそれは。意味がわからん。私は寝る」

「はぁーっ!? なんなのこのダメエルフ! ほんと信じらんないっ!」


 私が目を瞑って寝ようとすると、リリアナは何故か怒り出して、私をゲシゲシと蹴り始めた。やはりその力は弱く、ほとんど痛くはないが、蹴られると寝られない。

 本当に鬱陶しいからやめて欲しい。私が上機嫌でなかったら魔法で吹き飛ばしているかもしれない。


「おいやめろ。私は寝るんだ。やめなさい」

「じゃあっ! 一緒にっ! 行くのっ!」


 何故こいつは、こんなにも私と街に行くことに拘るのだろうか。街を見て回るなら、ヴィクトールとでも行けば良いんじゃないか。彼なら詳しく案内してくれるだろうし、楽しい事とやらも知っているだろう。

 しかし私は、何よりも今、このベッドの上で眠りたかった。静かに惰眠を貪りたかったのだった。


「あぁわかった、わかったから。行くから蹴るな」

「ほんとっ!?」

「あぁ本当だから」


 すると、やっとリリアナは私を足蹴にする事をやめた。もう少し蹴られてたら魔法を使っていた所だったが、とにかくこれならすぐにでも眠れそうだ。

 本当にベッドは素晴らしい。もしも天上の牢獄にこれがあれば、私はこの面倒な邪神に纏わり付かれる事も無かっただろう。絶対に牢獄から出ないからだ。

 あぁ、もう眠くなってきた。こんなに幸福な気分で眠るのは、初めてかも知れない。


「おやすみっ! あー楽しみだなぁ!」


 うるさい。少し黙れ。

 その言葉は、強い眠気のせいで声にはならなかった。

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