第12話

「あの、アリアンドール殿、彼女はあなたの大切なお仲間ではないのですか?」

「違うな。ただの連れだ」


 その後、ヴィクトールが是非私と話をしたいと言う事なので、部屋に残って、彼と相対していた。


「はぁ、そうなのですか……しかし、少しやりすぎでは」

「そうか?」

「あっ、いえ、あなたを非難している訳ではありませんよ! はい……」


 ヴィクトールは何やら、私に怯えているようだった。彼の肉に包まれた顔に少し慣れてきたおかげか、私にも表情が少しだけ分かるようになってきた気がする。

 彼の額からは冷や汗がダラダラと流れ、その顔は大変見苦しい事になっていた。


「お前に魔法を使うつもりはないから、そんなに怯えなくてもいい。安心しろ」

「は、はぁ……左様で……」


 ヴィクトールは顔を小さな布で拭ったが、まだ安心してはいないようだった。

 何故だろうか。私は本当に彼を害するつもりがないのだが。私にとって、彼の態度は不思議だった。


「その、確認したいのですが。アリアンドール殿は、魔法を詠唱なしで使えるのですか?」

「……詠唱とは何だ?」

「えっ?」


 当然のことながら、地上に降りてきてから、私は知らない事ばかり遭遇する。魔法の詠唱とやらも、私は初耳だ。

 字面から推測すると、何やら唱えるのだろうか。そんな事が魔法的に何の意味があるのか、私にはよくわからなかった。

 ヒト独自の魔法か何かなのだろうが、私はヒトを使う魔法を見たことがない。


「ええと、詠唱と言うのは……そう、我々が魔法を使う時に唱えるものです。我々は詠唱しなければ魔法を使えないのですが……」

「ほう、そうなのか」


 それは少し、興味深かった。エルフは何かを唱えなくても魔法を使う事ができるのだから。ヒトは魔法が苦手なのかと思っていたが、どうやら本当に苦手らしい。

 詠唱の意味は想像の補強だろうと思われる。想像力が乏しいから詠唱が必要なのだろうかと思ったが、彼やこの街を見ると、とてもそうは思えない。


「エルフは誰でも、詠唱せずに魔法を使ったと思う。私もそうだ」

「ははぁ、それは恐ろし――あっ、いえ、流石はエルフですね。はい。では、リリアナ様も?」

「リリアナ? あいつは――」


 エルフではなく邪神だが、詠唱は必要としないだろう。

 私はそう続けようとした。だが、果たしてリリアナが邪神であることを、ヴィクトールに伝えて良い物だろうか。

 絶対に面倒な事になる予感がしたので、私は彼にそれを伝える事はやめておいた。


「――エルフだから、詠唱はしないな。魔法は拙いようだが」

「そうなのですね。まぁ、リリアナ様はまだ幼いようですから」

「……そうだな」


 リリアナは子供ではない、と私は思っていたのだが、あの様を見ると、どうも子供にしか見えない。

 もしかしたら、本当に子供なのかもしれない。もちろんあいつは、恐らく千年以上は前にエルフが滅んだ事や、竜が滅んで魔物が生まれた事を知っていた。

 しかし神々にとっては、それ程の時間を過ごしたとしても、まだ子供なのだろうか。だとすれば、私は少しあいつに厳しく当たり過ぎたのかもしれない、とぼんやり思った。

 だが、今の私はリリアナよりも、魔法の詠唱に興味があった。


「ヴィクトール。魔法の詠唱をして見せてくれないか」

「……申し訳ありませんが、私に魔法の才は無いので、魔法が使えないですし、詠唱の内容も知らないのです」

「何?」


 魔法が使えない。そんな事があり得るのだろうか。確かに、得意不得意はエルフにもあったように思うが、まるっきり使えないような奴はいなかった筈だ。

 魔法とは、創造主が生命の樹と共に我々に与えた、身を守る力だ。その中にヒトは含まれていなかったと言う事だろうか。


「使えるヒトはいるのか?」

「数は少ないですが、いますよ。彼らは魔法の才が有るとわかると、すぐに帝都の魔法院に入れられるので、私達はあまり目にすることがありませんが……」


 ヴィクトールいわく、ヒトの魔法使いは数が少ないらしい。

 創造主は彼らヒトを愛さなかったのだろうか。魔法使いが完全に居ない訳でも無いあたり、よくわからない。


「帝都?」

「あぁ、申し訳ない。我々の国、ソレイリア帝国の都です。そこに魔法使い達が修行する為の学院がありましてな。魔法に関しては、その学院がほとんど独占しているのですよ」

「ほう」


 ヒトの都、帝都の学院とやらは、魔法をほぼ独占していると言う。これは正直に驚かされた。

 ヴィクトールの話を信じるならば、ヒトの中の、一つの組織が魔法使いを管理していると言う事だった。それはつまり、ヒトにとって、魔法とはそれほど強力なものだと言う事だ。やはりヒトは弱く、魔法の力を恐れているのだろう。

 あまりみだらに、外で魔法を見せびらかさない方が良いのかもしれない。学院に属する魔法使いに見られると厄介な事になるだろう。


「良い話を聞いた。ヴィクトール、礼を言おう」

「いえいえ、私などの話があなたのお役に立てたならば、私としても幸いです」


 私が素直に礼を言うと、ヴィクトールは恐縮した様子で頭を下げた。

 彼は恐らくヒトの中でもかなり身分の高い者に思えるが、何故かとても腰が低い男だった。


「……失礼ながら、アリアンドール殿は……エルフの王なのでしょうか?」


 ふと、ヴィクトールは恐る恐ると言った感じで、そのような事を言いだした。

 何の冗談だ。私は自分でも無意識の内に、笑っていた。

 私のような精神破綻者が王などになれば、その国は早晩終わりだ。


「私は王ではない。ただの魔法使いだ」

「あぁ、そうでしたか。これはとんだ勘違いを」


 ヴィクトールは明らかに安堵した様子だった。

 彼の腰の低さは、私を身分の高い存在と勘違いしての物だったようだ。しかしその誤解が解けても、私に尊大な態度を取ろうとしない辺りに、彼の人柄の良さを感じられた。


「いやぁ、申し訳ない。どうもアリアンドール殿からは、只者ではない雰囲気を感じまして。エルフの方々は、皆そうなのでしょうか?」


 ヴィクトールの言葉に、私はかつてのエルフ達の性格を思い出そうとして、しかしその記憶は遥か遠くに掠れてしまっていて、思い出せなかった。

 家族の顔すらもよく思い出せないのだ。彼らの雰囲気など、とても覚えてられる筈がなかった。


「すまないな。私も記憶が曖昧で、その辺りは覚えていない」

「……そうなのですか? それは、エルフが滅んだと伝えられていることと、何か関係があるのでしょうか?」

「まぁ、そうだな」


 あまり関係はしていないが、ヴィクトールに適当に話を合わせた。

 私はエルフが滅んだ時、天上の牢獄にいた。それからリリアナが現れるまで、地上の命からすれば長過ぎるであろう時を、そのまま牢獄でただ座っていたのだから。


「では――これはもしかしたら、不躾な疑問かもしれませんが――何故あなたとリリアナ様は、生きているのでしょうか? 私達『人』は、この大陸にやってきて六百年ほどになりますが、これまでエルフの遺した物を発見することはあれど、生きたその姿を見たことは一度もなかったのです」


 当然、その疑問は出るだろう。しかし私は自分が不老不死だなどと、彼に教えるつもりはなかった。別に教える必要は無いであろうし、私はそれについて吹聴する気もなかった。


「私はかつて、大昔に神々の宝を盗んだ。その罰として、最近までずっと眠らされていたのだ」


 だから、少し嘘をついた。神の宝を盗んだ事は事実だし、私にとって天上の牢獄で過ごした時間は、ほとんど寝ているような物だったからだ。


「か……神、ですか? 神の宝を――いえそれよりも、神は、実在したのですか!?」


 すると、ヴィクトールは私が予想していなかった所に食いついた。

 そう言えば、神はかなり前に滅んだのだった。私は彼らヒトが、神々の存在を知らない可能性を考えていなかった。神々はこの大陸にしか降臨しなかったのだろうか。


「お前たちは、神々を見たことがないのか?」

「……遥か昔の神話では、神の姿を見たとか、神の力を借りることができたとか、その類の伝説はあります。しかし、我々がしっかりとした歴史を記し始めて以来、その様な話は聞きませんね」

「そうか。やはり神は滅んだのだろうか」

「神が、滅んだ……?」

「お前たちヒトにはわからないかも知れないが、神々が生きている時代、世界には独特の神聖さとでも言うべきか、その様な空気が満ちていた。私が目覚めて以来、それが全く感じられないのだ。だから私は、神々が滅んだと考えている」


 私がそれを伝えると、ヴィクトールは絶句した。見事に固まっている。

 もしかしてヒトは神に対して、並々ならぬ信仰を捧げてでもいるのだろうか。もしそうであるなら、彼には残酷な事を教えてしまったかも知れない。


「いや、すまない。これは私の個人的な考えだ。神々は滅んだのではなく、私が感じられないほどの遠くに隠れた可能性もある」


 もちろん、私が知るセリオスは、確実に消えてしまったのだろう。彼自身が近いうちに滅ぶと、そう言っていたのだから。

 しかし他の神々は、滅んだ事を直接確認した訳では無い。だが、彼らだって不老不死ではないと、セリオスは言っていた。だから恐らく滅んだのだろう、とは考えている。


「……た、確かに。私達の教会では、そのように教えられています。神々は竜との戦で疲弊してお隠れになり、どこかから我々人間を見守っているのだと」

「教会とは何だ?」

「我々に神々の教えを説く、神官の組織です。あなた方エルフの国にも、あったのではないですか?」

「ん……あぁ、神殿か。そう言えばあったな」


 神官が神々に供物を捧げ、大仰な儀式を行い、預言を伝える神殿と言う組織が、エルフの国にはあった。教会はそれと同じ様な物なのだろう。

 しかしその神殿には、あまり良い思い出が無いような気がした。その詳細は思い出せなかったが。


「そうです。私はエルフの研究家として、神々の伝説よりも、あなた達エルフのお話が聞きたいのです!」


 ヴィクトールは突然興奮し、その様に言い出した。しかし、私はエルフの事について覚えていることは、そう多くない。

 エルフの文化について、多少は覚えている部分はある。しかし詳しい所はどうも曖昧で、特に話せることも無いだろう。


「すまないが、私は眠っている間にかなりの記憶が抜け落ちているようでな。話せる事は、そう多くないだろう」


 私がそう言うと、ヴィクトールは少し落胆したようだったが、すぐに気を取り直して、私に色々と質問を始めた。

 ほとんどは覚えていない事だったが、いくらかは答える事ができた。彼はそれに満足したようだったので、私は彼に断りを入れて、先にリリアナが向かった部屋に向かうのだった。

 あいつは恐らく怒っているだろうから、少しは甘やかしてやらないといけないかもしれない。

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