第6話
そして、地上である。
「うわーっ! 地上だーっ! やっほーい! 青くさーい!」
リリアナは何やら喚きながら跳ね回っている。とてもうるさい。
私達は雲から飛び降り、魔法で地上に降り立ったのだった。ほとんど落ちているだけだったが、空の旅は少しだけ新鮮だったと言えるだろう。
周囲を見渡すと、私が朧気ながらに覚えている地上とは、様変わりしていた。
まず、木が無い。地上は生命の樹を中心として生えた大木が巨大な森を成し、樹海に覆われていた筈なのだが、今私の周囲には、背の低い草が生い茂った緑の平原が、見渡す限り続いている。
「ここはどこだ? 何故森が無い」
その疑問に答えたのは、跳ね回る事をやめて私の前まで戻ってきたリリアナだった。
「ここは昔々、大昔に生命の樹があった所だよ! とっくに枯れて死んじゃったけどね! だから森もここには無いよ!」
生命の樹が枯れた?
そんな事がありえるのだろうか。あの大いなる樹は、世界の始まりからそこにあった。創造主が種を植え、育てたあの樹は、世界の終わりまでそこにあり、また新たな世界を始めるのだと言う神話があったはずだ。
ああ、そう言えば竜がいたか。
「竜に喰われたのか」
「その通り! 全部食べられた訳じゃないけどね! もちろんエルフは絶滅したよ! あなたは別だけどね!」
「そうか」
エルフは生命の樹が生み出す魔力の恩恵を受け、繁栄していた。竜に蹴散らされ、生命の樹も枯れたのならば、もはや滅ぶしかなかったのだろう。
思うと、エルフは生命の樹に依存していた。生命の樹が生み出す魔力は膨大でとても質が良く、魔法の使用を容易な物していたのだから。高い高い空の上で乏しい魔力を使って何とか魔法を使っていた私には、もはや関係しないことだったが。
「どう? 悲しい? ねぇねぇ今どんな気持ち?」
なるほど、こいつはやはり邪神である。自分の種族が滅んだと聞いた者に、笑いながらこのように問いかける邪悪さは、まさしく邪神であると思う。
しかし、空の上で孤独に数千年もの間過ごした私は、既にエルフと言う種族への帰属意識はとても薄い。不老不死であり、もはや何者も必要とせずに生きていける私は、良くも悪くも独立している。
「特に何も思わない」
「――なんだ、残念」
悲しいだとでも言ってほしかったのだろうか。リリアナは眉根を下げ、明らかに残念がった。こいつは表情がとても豊かだ。邪神とはこういう物なのだろうか。
「じゃあ行こっか! ここにはもう何もないし、どこかでヒトを探そ!」
「ヒト?」
リリアナは手を差し出している。その手を取れとでも言うかのようだが、私はそれを無視して問いかける。
ヒトとは何だろうか。リリアナは地上の事に詳しいようだが、私は何千年も空の上にいたから、それが何かすら全く分からない。
「他の大陸からやってきてここに住んでる種族だよ! 数が多くて賢いけど、笑えるくらい弱いんだよ!」
こいつは他の大陸と言ったか。この大地の他にも、大地があったと言うことか。それは初耳だった。エルフの都の周辺で、ちっぽけな魔法使いとしてしか活動していなかったかつての私には、知り得ない事だ。
しかし、リリアナいわくヒトは弱いらしい。生命の樹を喰らい、エルフを滅ぼした竜に対抗できたのだろうか。
「竜はどうした?」
「自滅したよ! 生命の樹を食べて満足して、それで存在の目的をなくしたんだ。おバカだよね! ほら、行こっ!」
「おい」
リリアナは強引に私の手を取り、歩き出した。引っ張られて、仕方なく私も歩き出す。
リリアナの力はとても弱かったが、逆らう理由もなかった。それに確かに、こうでもしなければ、私は座り込んで、ただ石のようにそこに転がっているだろう。特に目的がないからだ。
それは自滅したと言う、竜に少し似ている。しかし彼らは不老不死では無いので、そうしていればいつか死ぬ。だからヒトは、エルフも竜もいなくなったこの大地に居着けたのだろうか。
リリアナはこちらを振り向き、前を、草原のずっと向こうを指さした。
「あっちにずっと行くと、ヒトの街があるんだ。きっとそこなら、楽しい事が見つかるよ!」
私は歩きながら、その言葉に対して反応しなかった。
楽しい。そのような感情は既に、ほとんど失っていた。そもそも、楽しいとは、何か意味があることだったのか。私のこれからの生に意味は無いのだから、仮に私が楽しいと感じた所で、何の意味があるのだろうか。
まぁ、私にとって楽しいことが見つかったとして、暇潰しにはなるだろう。しかしそれも一時の事だ。私がこれからも過ごすであろう、無限に近い膨大な時間の中の、ほんの一瞬の夢幻だ。
「それに何の意味があるんだ?」
だから、リリアナに問いかけた。何の意味があるんだと。
草原を風が走り抜け、私の長い銀髪を巻き上げた。リリアナは体ごと振り向いて、私の手を両手で掴んで、後ろ向きで歩き始めた。
「あなたが楽しいと、私も楽しいんだよ。だから一緒に、楽しいこと探そっ!」
リリアナがそう言いながら、ニマッと浮かべた笑みは、やはり気色悪かった。
私が楽しいとリリアナが楽しいなんて、意味がわからない。こいつと私は別個の存在だ。感情は共有していない。
ただ、無邪気に見えるリリアナの笑顔は気色悪かったが、同時にどこか美しいと、そう思った。
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