第4話
その日、私は相変わらず雲の上にぽつんと置かれた牢獄の中で座って、考えていた。その時考えていた事は、自身の存在についてだ。
私は未来永劫ここで、こうして存在している。その存在に意味はあるのか。いや、勿論無いだろう。私は牢獄の中で外の誰にも影響を与える事ができず、ただ存在しているのだ。
一つだけ例外はある。セリオスだ。彼は時々、私の牢獄の前にやってきては、何事かを話していった。しかしそれは、セリオスが私を必要としている訳ではない。
不老不死に近い神も、やはり私と同じ様に暇だと言うことだろうと、私はそう思っていた。
すぐに答えは出た。私の存在に意味は無い。ただし、だからと言ってこの存在を消し去る事も許されない。私は本物の不老不死で、存在する事をやめられないのだから。本当に狂いきって自意識を消し去ってしまえれば、死んだと言えるのかもしれないけれど、この頑丈な体はやはり、それすらも許さないようだった。
私がどれだけ空想の友人と話したり、魔法で脳を弄ったり、セリオスに妙な振る舞いをしてみても、何か最終的な安全装置のような物が働いて、私はたちまち正気に戻るのだった。
これが幸か不幸かは、よくわからない。不老不死を求める者はエルフにも数多くいるだろうし、天上に住む神々だって求めたのだ。
しかしその不老不死を手に入れた私には、どうにもこの体が永遠に続く、拷問のように思えた。
意味のない思考。それをひたすらに続けていると、牢獄の外からバサバサと、翼が羽ばたく音が聞こえた。今の私が唯一会話できる神、セリオスである。
「やぁ、アリアンドール。また来たよ」
セリオスはいつものように微笑んで、乱れた黄金の長髪を整えながら声をかけてきた。
久々に見るその姿は、何だか違和感のある物だった。背には白鳥のような翼が生え、整った顔は微笑みを湛えており、飾り気のない純白のローブを着たその体は痩せている。
以前セリオスの姿を見た時から、その姿は何も変わっていないように見えるが、どこかが変わっているような気がした。肉体では無く、霊魂が姿を変えているのだろうか。
「久しい、か? セリオス」
「そう、久しぶりだね。前会った時から、千八百年くらい経ったよ」
「本当に久しぶりだな」
私はその時、思考を放棄して感覚を遮断し、ひたすらぼうっとする術を既に身に着けていたので、時間の感覚がより曖昧になっていた。ただセリオスに時間を突きつけられると、その経過を実感する。
「お前、何か変わったか。どこか前と違うな」
私がそう言うと、セリオスは一瞬目を見張って、少し驚いたようだった。
「――少し前にエルフと竜の大きな戦争があってね。私達も助力せざるを得ない程だったんだけど、その時に色々あってね」
竜。それはこの世界に巣食う害虫だ。より正確に言えば、生命の樹を喰らおうとしている。何のためにそんな事をしようとしているのかは良くわからないが。
エルフは神々と生命の樹を崇めているので、当然竜を駆除しようとしている。しかし竜もとても強力で、とても少数のエルフでは対抗できないので、時々大きな戦争になる。
神々の存在がエルフに知られているのは、竜との戦争で稀に神々が降臨し、助力をしてくれるからだった。
しかし竜は、霊魂に何か影響を及ぼす程の魔法を使っただろうか。竜たちの魔法は破壊に秀でているが、細かな魔法は全く使えなかったはずだ。そもそも竜と言えど、私が本気で消し去ろうとしてできなかった存在に、深い傷を与えることができるのだろうか。
だから私はその時、セリオスの霊魂を覗こうとした。魔法による第三の目はセリオスの肉体を透過し、その存在の根幹である霊魂の観察を可能とする。
「ちょっと。何を見てるのかな」
「お前の霊魂だ。何が変わったか知りたい」
透明の魔法の目が霊魂に近づくと、弾き出されそうになった。セリオスが魔法を使って防御したのだろうが、私は構わず、するりと防御を避け、通り抜けた。
「――いや、本当に凄い魔法の腕だね。ところでこれ、僕は君にものすごく失礼な事をされている訳だけれど」
「今更だろう。私を殺したければ殺してみせろ」
「まったく、君は助平だなぁ」
セリオスの霊魂は、何やら歪んでいるようだった。歪められる前の霊魂を見た訳ではなかったが、何かの影響を受けて変質しつつあることは容易にわかった。
霊魂の変質とは、存在を傷つけられる事と同義だ。エルフはもちろん、神々だって、存在の根幹が歪んで、そのまま変わらず生きていけるようには出来ていないだろうに。
「なんだか恥ずかしくなってきたんだけど」
「よく平気な顔をしているな。神々は存在のあり方も特殊なのか」
「はぁ……まぁ、君たちとそれほど違いはないよ。僕の存在はもう長くない。あと千年もしない内に消えてしまうだろうね」
そう言ってセリオスは、やはり微笑んだ。
私はその微笑みを見て、何やら複雑な気分になった。セリオスは私をこの牢獄に幽閉した神だったが、私にとって彼は唯一の、現実の話し相手だった。
魔法の目を消し、セリオスの顔をよく見てみる。
その微笑みは、憎たらしい程に美しかった。いや、本当に憎悪しているのだけれど。
「僕が消えるのは、嬉しいかな?」
「お前が千年と言わず、今すぐにでも消えてくれると、私はもっと嬉しいだろう」
私がそう言うと、セリオスは僅かに、本当に僅かに悲しそうな顔をした。
その時の私はセリオスのそんな様子を見て、徐々に苛立ってきた。こんな牢獄に数千年も閉じ込めておいて、こいつは何故そんな顔をするのだ、と。それがわからなかった。
「私はお前が消えた後も存在を続ける。お前たちが樹の実の守護を怠ったせいで、私は存在を続けるしか無い。これがどれほど苦痛に満ちたことであるか、お前にはわからんのだろう。だから私の前で阿呆のように笑って、そのような事を言える」
「そうだね。君はそこでずっと一人、世界の終わりまで生きているだろう。君が生命の樹の実を食べてしまって、私がそう決めてしまったから」
私の恨み言に対して、セリオスはそう言い放った。私の苛立ちはとうとう激しい怒りになり、周囲の魔力は私の怒りに触れて荒れ始め、強い風が吹き始めた。小さな火花や雷がそこかしこで弾け、バチバチと音を立てる。
その時、私は長い牢獄生活の中で感情を失いかけていたが、セリオスによってかつての怒りを蘇らせていた。
「謝りはしない。君の罪はそれほどに重いし、僕が決めた罰はそれに相応しい物だ。君は永遠にも思える時を、たった一人で生きていくしかないんだ。だって君は、不老不死だから」
私は魔法の雷をセリオスに落とした。あたりに轟音が響き、セリオスの体は稲光に飲み込まれて一瞬で蒸発した。
しかしやはり、次の瞬間にはセリオスは何事もなかったかのように、そこに立っていた。
「それじゃ、行くよ。もう会うことはないだろうけれど、アリアンドール。君と話をしたこの数千年、楽しかったよ」
セリオスは最後にまた微笑んで、白い翼を羽ばたかせて、荒れ狂う暴風をものともせずに遠くへ飛んでいった。
セリオスの言葉通り、それから私の前にあの神が姿を現すことは、二度と無かった。
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