第3話

「やぁ、また来たよ」


 その日、私は牢獄の中で石になったつもりで、ただぼうっとしていた。すると、格子の外から声がかかる。

 背に翼が生えた神だった。


「そういえば、君の名前を聞いていなかったと思ってね。教えてくれるかい?」

「名前……?」


 その時の私は直前まで石になったつもりでいたから、とても冷静だった。だから以前の様に、怒り狂って魔法を放つようなことはしなかった。

 しかし、自分の名前を思い出すのは酷く苦労した。この神の言う通りならばだが、私がこの天上の牢獄に入れられてから、もう千年以上の時が経過しているのだ。誰も呼ぶことのない名前をきちんと覚えている訳がなかった。


「もしかして、忘れてしまったのかい?」


 答えに窮する僕を見て、神は酷く悲しそうな顔をしてそう言った。ここに私を閉じ込めた神の一つである癖に、どうしてそんな顔をしたのか、その時の私には分からなかった。

 しかし私は、自分の名前を思い出したくなった。それは神の言葉を受けての、ただの気まぐれのような物だったと思う。

 

「少し待て」


 私は魔法で自分の霊魂を観察し、そこに深く刻まれていた自分の名前をすぐに探し当てた。すると連鎖して、名前に関する記憶が次々に蘇る。

 それは私を産んだ母が死の間際に名付け、その後に育ての母が、幼い私に教えてくれた名だった。


「アリアンドール。私の名前はアリアンドールだ」


 久しぶりに、本当に久しぶりに。育ての母と父の姿を、朧気に思い出した。

 産みの母は体が弱く、私を産んですぐに死んだ。実の父は竜との戦争で、私が生まれる随分前に死んだのだった。

 育ての両親は私を引き取り、真っ当に育ててくれたように思う。しかし慣れ親しんでいた筈の両親の顔はやはり、完全には思い出せなかった。育ての父は鼻が大きかった気がする。覚えているのはその程度だ。


「教えてくれてありがとう、アリアンドール。『光り輝く子』。いい名前だね」


 ああ、そんな意味だったか。名付けた産みの母だって、まさか私が本当に光り輝くとは思っていなかっただろうけれど。

 しかし、変な名前だ。周りのエルフ達の名前とは全く響きが違ったから、名乗ったら変な目で見られる事が度々あった。

 

「それで、そっちは? まさか私に名乗らせておいて、自分は名乗らないつもりではないだろうな」

「あはは、まさか。僕は『天翔ける鍵』。セリオスだよ」


 そういって背に翼を持つ神、セリオスはニコリと笑った。今でも時々思うが、千年も牢獄に幽閉した相手に向かってこのように振る舞えるセリオスは、少しおかしい。

 

「天翔ける鍵? なんだそれは」

「まあ、通り名みたいな物だよ。君にはセリオスと呼んでほしいな」


 この時、私は神々の異名、称号について知識を持っていなかった。だから深く考えず、眼の前の神をセリオスと呼ぶ事にした。

 

「セリオス。私がここに入って何年になる?」


 自分を千年も牢獄に幽閉した相手に向かってこの様に振る舞う私もおかしいが、この時の私は完全におかしくなっていたので、それは仕方のないことだろうか。

 

「たった今。二千年が経過したよ」

「そうか」


 その時私はその時間の経過を、静かに受け止めた。もちろん、私が直前まで石になっていたのでなければ、やはり激怒していたのかもしれないけど。

 しかし、千年も二千年も、もはやあまり違いはない。私はそう思っていた。


「アリアンドール。今回も、何か私に言いたいことはあるかな」


 セリオスはそう言って、両手を広げた。まるで何かを受け止めるかのように。

 どうやら、また魔法が飛んでくると思ったらしい。私はそれを見て、ただ鼻で笑った。

 しかしそれでも、目の前の神に聞きたいことはあった。


「生命の樹の実とは、一体何だったんだ」


 ずっと考えていた。私が食らい、世界が終わるまでここに閉じ込められる原因になった、その樹の実の事を。

 私に不老と不死の力を与えた、不思議な樹の実。確かにその性質は貴重で、とても有用な物だ。しかし、ここまでされる程の事なのか。

 私はその時、何度目のことかわからないが、それをずっと考えていた。


「そうだね。君にはそれを聞く権利があると思う。他はどう思うか知らないけど、まぁ、いいだろう。教えるよ」

「この世が終わるまでここにいるしかないからな。何を聞いても、何もできん」

「はは、その通りだね」


 私は笑って細められたセリオスの目を見て、先を促した。


「生命の樹の実とは、食した者に不老不死の力を与える、奇跡の実だ。私達は生命の樹を育てて実を大きくし、みんなで分けて食べて、不老不死になるつもりだったんだ」


 やはり生命の樹の実は、不老不死の力を与える実なのだった。

 それを神々で分けあって食べるつもりだったらしい。それを途中で横から全部いっぺんにつまみ食いしたのが、この私だと言うことだろう。

 なるほど、神々の怒りもわからなくはない。

 しかし。


「お前は不死ではないのか。何度殺しても、消しても、殺せなかったが」


 丁度千年前、私は激情に駆られてセリオスをあらゆる手段を以って抹殺しようとしたが、できなかった。セリオスは明らかに不死であるように見える。


「いや、これでも私達の命には限りがあるんだよ。君のせいで随分と擦り減らされてしまったし、不死でも不老でもないんだ。これ以上は教えれられないけどね」


 つまり、殺そうと思えば、いつか殺せる可能性はあると言うことか。私がそう考えたと知ってか知らずか、セリオスの顔から微笑みが消えた。

 だけどその時の私は、名前を名乗り合って、今こうして話をしているセリオスの事を殺そうとは、どうしても思えなかった。


「――あれ、魔法は使わないのかな?」

「なんだ、殺されたいのか」

「いやいや! 話を続けようかな!」


 少し魔力を練って風を起こすと、セリオスは面白いほどに慌てて、話を続けた。

 そう、私はセリオスの事を面白いと、愉快だと考え始めていた。よくよく狂人である。

 

「そう、生命の樹の実! あれは君が食べたあの一つしかこの世に存在しなくてね。この先、生命の樹が再び実をつけることもないんだ。つまり、私達はもう不老不死になれないってこと。それに私達は子を作れないから、もう本当に、君のせいで困ったことになったんだよね」


 神は不老不死ではない。子を成す事もできない。それはつまり、こういうことだ。

 

「お前たちはやがて滅びるということか」

「――まぁ、そうだね。恐らく君がこの世の終わりを見る時、僕たちはそのずっと前に、とっくに滅んでいることだろう。君が生命の樹の実を食べてしまったせいでね」

「ハハハ」


 ちっぽけなエルフ一人のたった一度のつまみ食いで、神々は滅ぶのだ。それはやはり、この上なく愉快だった。

 セリオスの話はとても愉快だ。私をこんな風にした神々は、私のつまみ食いのせいで滅ぶ。しかし私はここから出ることはできないが、ずっと生きているのだ。

 ずっと生きているのだ。死ねず、狂い切れず、ただただ生きているのだ。確実に、生きているのだ。


「そんなに大事な物なら! 自分たちで大事に守っていればよかっただろうに! ハハハハハハ!」


 神々はエルフの守護者に生命の樹を守らせて、私に生命の樹の実を食われてしまった。こんなに馬鹿な話があるか。笑いが止まらなかった。セリオスの苦々しげな表情も本当におかしくて、私はずっと笑っていた。

 その時、私の頭に横から何かが、バコンと勢いよくぶつかった。驚いて見て、拾い上げてみれば、それは小さな剣だった。大きな赤い宝石がはめ込まれた黄金の柄と、白銀の刀身を持つ、豪華な剣だ。もっとも、その刀身は私の頭にぶつかったせいか、少し歪んでいたけれど。

 その剣は、牢獄の格子の隙間を通って飛んできたようだった。

 

『余計な事を言うな。終わりだ。すぐに戻ってこい』


 と、私が持つ剣が厳しい声色で喋った。どうやら遠くから剣を介して声を届けているらしい。

 酷く単純な魔法だ。私の頭にぶつけたのだって、ただ剣を僕に向かって発射しただけだろう。あまねくエルフが崇め、供物を捧げる神々ともあろうものが、こんなにも単純な魔法を使うことが、少し面白かった。

 剣は喋り終えると同時に消えた。持ち主の元に帰ったのだろう。


「おおっと! それじゃ、またいつか来るよ!」


 セリオスは慌てて鳥のような白い翼を羽ばたかせ、空に浮いて遠くへ飛んでいった。なるほど、ああやってここに来ていたのか。知らぬ間に目の前にいたから、気づかなかった。

 と言っても、セリオスの体があんな羽で飛べるわけがないから、あれも魔法だろう。空を飛ぶ魔法なら、今の私にも使える。

 ああ、この牢屋を出て、どこまでも自由に飛んでいけたら、どれほどいいだろうか。

 いや、空はもううんざりだった。

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