神官の後悔

「女神様……どうか私にお導きを……」


 神官アイリスとして、私は勇者候補であるアレンさんの元を離れて単身王国に戻り、女神の礼拝堂で祈りを捧げています。理由は、仲間であったロイドさんをアレンが……追放した時に女神様から授かった神託。


 追放されし純なる者、魔王の地位を簒奪し必ずや人間の害となるであろう。


 私は神託を聞いて、意識が遠くなるような感覚を味わいました。そして、急いでロイドさんの追放を考え直してもらおうと、アレンさんの元へと行った時には既に遅かったのです。

 アレンさんが使用していた魔道具は、間違いなく私が所属している教会が所有していたものでした。かなり貴重な物であると、以前に教皇様がおっしゃられているのを聞いたことがあります。そんなものが、何故まだ勇者候補でしかないアレンさんの手に合ったのかは、私にもわかりません。ですが、一番の疑問は何故ロイドさんが抵抗しなかったのか、でした。

 とても失礼なことはわかっているのですが、はっきりと言ってしまうとアレンさんではロイドさんいは逆立ちしても勝てません。むしろ、敵対して目の前に立つことすら危うい力の差があると思います。なのに、ロイドさんはなんとなく失望したような諦観のような表情を浮かべて全てを受け入れていました。


「…………いけませんね。祈りに無駄な思考が、入ってしまいました」


 女神との交信は非常に難しいものです。神官の力量の差によって得られる信託には違いが生まれるのか、時々教皇様がおっしゃられている神託とは、全く違う神託が私にもたらされることがあります。ですが、私はそれを胸の内に秘めていました。


「私は……」


 目を、逸らしていることはわかっています。

 教会は既に、内部から腐り果てていることも、知っています。教皇様が、嘘の神託を流して自分の富に変えていることも、他の神官たちが神託を受けたことがないことは、女神様からの神託で私は知っているのです。

 ですが、教会の腐敗は私が聞く女神様の神託が間違っていると教えてくれますが、自らが聞く女神様の神託が幻聴ではないと、誰が言えるのでしょう。所詮、私も神の声が聞こえると言っているだけの気狂いなのかもしれないと思うと、酷く怖いのです。


『属性を司る精霊、魔王の麾下に入り、戦争を終結へと向かわせる』

「え?」

『愛し子、魔王に下れ』


 私は突然聞こえてきた女神様の神託に混乱してしまいました。

 女神様が言う属性を司る精霊とは、魔族領にいるとされる四属性を司る四精霊のことでしょう。王国が血眼になってその存在を探し、魔族と敵対させようとしていると聞いたことがあります。その四精霊が、魔王……つまりロイドさんの麾下に加わるというのは、本当なのだろうか。

 王国の歴史には、数百年前に暴風の化身とされる風の精霊トレイスが王都を襲い、瞬く間に嵐で全てを薙ぎ倒して去っていったという伝承が残っています。そんな力を持っている精霊が、四体とも魔王の下に。

 しかし、それ以上に女神様の魔王に下れと言う神託には、私の思考が停止してしまいました。


「め、女神様……それは、私に王国を、教会を裏切れということ、なのですか?」

『既に王国は民を裏切っている。偽りの神託、偽りの勇者、偽りの歴史。全てが報いとなって王国に襲い掛かるであろう』


 女神様の神託に、私の意識が一瞬だけ遠くへ言ってしまいました。すぐに頭を振って、女神様の言葉の真意を探ります。しかし、どれだけ考えても出てくる答えは一つ。


「女神様は……人を、見捨てるのですか?」

『是』


 女神様は、人を見捨てた。

 欲に駆られて偽りを塗り重ね、戦争を続ける人間を捨てることにしたのですね。驚愕する自分とは別に、何故か納得できている自分もいました。

 女神様の神託は、いつだって人間にだけ寄り添っているものではありませんでした。教皇様が魔族は悪であり、撃滅して魔族領を人間の領地にしなければならないという神託を受けたと言っていた日、私の元には魔族と人間の関係を、昔に戻すべきという神託がありました。


「……魔王は……ロイドさんは私を受け入れてくれるのでしょうか」


 加担していないとはいえ、私はロイドさんを追放したアレンさんの仲間です。どれだけのことをしても償いきれない罪であると思っています。


『魔王はやがて邪神との決着をつける』

「邪神?」


 初耳の存在に、驚いてしまう。そもそも、王国に伝えられている神の存在は世界を創り、人を導く女神様だけ。他に神様がいるなんて聞いたこともなかったのです。


「邪神とは、一体なんなのですか? ロイドさんは……本当に魔王に?」


 私の問いに、応える者はいませんでした。女神様の神託は殆どが一方的で、私の質問に答えてくださることの方が少ないのですから、今日は逆によく話せた方と言えるでしょう。しかし、どれだけ神託を受けても不安は消えません。


「私はどうすれば……」


 女神様は人を見捨て、ロイドさんに下るのが正しい道であると言っていました。しかし、こんな私のことを信じてついて来てくれる人々もいるのもまた事実です。王国は間違っていて、教会が腐っているとしても、そこに生きる全ての人を見捨てるなんて私にはできません。


「おぉ、こんなところにいたのかアイリス神官」

「……教皇様」


 礼拝堂をこんなところ、と呼ぶ教皇様は私を見つけて安心したような表情を浮かべていました。


「他の神官たちは皆、勇者候補様の補佐をしているのに、いきなり帰ってきた時はどうしたものかと思ったが……顔色は良くなってきたようだな」

「……はい」

「そうかそうか。アイリス神官は特に女神様からの感受性が高いから、魔族の罪深さに体調を崩してしまったのだな」


 そう言いながら、私の身体を舐め回すようにジロジロと視線を向けてくる教皇様は、ふくよかな身体を揺らしながら私に近づいてきました。


「他の、神官たちは?」

「勇者候補様と結婚する、と言っていた子が何人かいたが……まぁ、大したことではない」


 それは、そうでしょう。

 女神様の神託によって、私はこの教会や教皇様の裏側を知っている。神官と呼ばれ、勇者候補様の御側に仕える者たちは元々は教皇様の……遊び相手であった少女が多いこと。そして、勇者候補様にとってもただの遊び相手でしかないこと。唯一、私だけが女神様の神託を高頻度で受けられると言うことから、何も知らない信者様たちに丁重に扱われていました。


 私は、女神様の言う通りに人間を見捨て他の方が良いのでしょうか。

 もう、なにもわかりません。

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